西宮北高校の校舎(その2:本館および北館)

さて渡り廊下を渡るとそこはもう北館である.私の在学中は1年は北館の1階と2階,2年は3階と4階,3年は本館の3階と4階というざっくりとした割り振りであった.しかし教室として使える部屋は1階あたり4つしかなくて,当時第二次ベビーブームの真っただ中でありながらも丙午の影響を受けた我々の学年でさえ9クラスもあったので,その割り振りからあぶれた9組や上下の学年には当然の如く存在した10組とかは別校舎になってしまったりしていた.

だからそんな当時の事情を知っている私からするとただでさえクラスが多く,校舎に詰め込むのが大変な北高で9組をクラスまるごと消してしまうなんて消失の世界の改変者はなんとしても面倒なことまでやってのけたもんだと思う私なのである.ちなみに今の北高はwebで確認する限りおそらく1学年4クラスのようで今となっては当時の喧騒ぶりは想像もつかないことだろう.

さて当時は1年,2年と私の所属した写真部の部室代わりの地学教室などがあった北館の方が馴染みが深いのであるが,北館はもともと一般教室と理科系の4教室しかなかったので一般的な学生は本館の方が思い出深いのかもしれない.まあ本館にはなんせ職員室なるものがあり,休み時間や放課後に教諭たちに遭遇する可能性も高く,どうも足がそちらを向きにくかったというのが真実なのである.

思い出せば写真部が地学教室を追われジプシー生活を始めだした頃は同級生の部員に放送委員をやっている輩がおり,職員室からほど近い放送室にたむろしていた時期があった.しかし私はその放送室では全く落ち着かないひとときを過ごしたものなのだ.今思えばその頃にはすでに何につけても取り締まる側から距離を置く習性が身に染みついていたと言えるわけだ.

さてお次はいよいよ教室である.教室のレイアウトや備品は特段コメントするに及ばない何の変哲もないもので,いきなり異空間化することも机や椅子が宙を舞ったりはしなかった.いや私は知らなかっただけで2年か3年に一度ぐらいはそんなことも起こっていたのかもしれないが,私のまさに何の変哲もない高校生活においてはごくごく普通の教室であったと言える.

ただキョンくんも度々愚痴っているが,少なくとも当時の教室は冬場は極端な寒さを誇っていた.前述の通り,創立がオイルショックの直後であった我が校は校舎の建築資材をことごとくケチったのが影響して,窓際の席などは今どきのアウトドア派御用達の屋外用テント以下の防寒性能なのであった.確かにサッシは隙間がいっぱいでちょっと強めの六甲おろしが吹いた日なぞ授業に支障が出るほどガタガタいっていたし,すきま風も半端ではなかった.壁は薄いパネル一枚で,内側から手でさわって四季の移り変わりが容易に体感できてしまうような造りであったのでそれも当然と言える.

アニメではキョンくんもハルヒも窓際の席で一冬を越すことになっているようだがその当事者であった私はいやでも当時を思い起こしてしまうので,見ているこっちまで寒気に襲われるほどである.そういえば私の席はなぜか窓際の後ろの方の席であったことが多かったように記憶している.当時なぜか三時間目が終わったところで早めしを食らっていた私はその三年間の3つの教室のそれぞれで窓際で友人とまさにキョンくんと国木田くんの如く弁当をかっ食らっていたのである.

そんな席であるから授業中も興味のない授業などは窓から山並みや遠くに見える海をぼーっと眺めていたように思う.こうやって思い出すと確かにこの窓際の後方の席はそうやって現実逃避するに持ってこいであり,そのおかげもあり何かと問題を引き起こすアニメの主人公の数多くがここら辺に座る設定になっているのだろう.そう考えてみると自分の高校時代は席配置上恵まれた環境にいたんだと思う.当時は暑さ寒さの厳しいだけのハズレくじ席だと思って止まなかったのに...

さてそろそろハルヒアニメのほうに話題を移そう.まずキョンくんたちの教室についてである.ここは我々の在校中は毎年3年一組が定番使用していた教室である.前述のように3年は本館の3階,4階を使用し,あぶれた9組以降は2階といった具合であったので,我々が3年のときも私のいた9組(理系男子のみ)だけが2階を使用する形になっていた.加えて本来ならすぐ横の教室に下級生のあぶれたクラスが来るはずだったのに,不自然にぽっかりと空いていたりして,まるで漢臭い9組だけが周りから取り残されて漂流教室になっているかのような錯覚を覚えたもんだ.

なのにハルヒ,キョンくんは1年のくせに本館なのである.これはひとえに本館は建て替えられたものであり比較的新しいので,そちらを京アニさんのロケハンの時に優先的に見てもらった結果ではないかと推測している.今のように1学年4クラスならば本館を1年が使うこともあろうが,9クラスまであるハルヒのケースでは,1年坊主が本館を使うなんてありえないのである.といっても別に本館に深い思い入れがあるわけでもないので,これは私にとってもどうでもいいことなのかもしれない.

ちなみに話が大幅にそれてしまうが,私が1年であったときの担任も体育教師ではなかったがハンドボール部顧問のO教諭であった.ハンドボール部顧問と言うところと,苗字の頭文字が一致しているところには何か感じるものがあるが,単なる偶然であると思う.私の言っているO教諭が谷川さんの入学した時期まで在校していたかどうかは定かではないが,もしO教諭が岡部教諭のモデルだとしたらちょっと気持ち悪いぐらいなのである.

通学路ではグラウンド脇の坂から見る夜景が絶景であることを書いたが,校舎からの絶景というのも紹介しておきたい.実は校舎からは主に芦屋方面の景色が見渡せるものの,視野の約1/3は六甲山だったりする.まあ山を愛でることも人生には必要かもしれないが,山岳部でもない高校生がそうそう山に見とれていてはまずいので私の場合は校舎から見る絶景としては同じく秋から冬にかけての夕暮れ時の六甲山の稜線に現れる夕映えを推して止まない.

確かに芦屋方面の夜景や昼間の海の様子もキレイはキレイなのだが,坂から眺めた大阪方面の夜景のほうが数段上であると思うので,絶景とは言いがたい.それに対して六甲山の稜線に現れる夕映えはオレンジ色がきれいにグラデーションになり遠くまで続いていく感じがとてもキレイで,当時既にやさぐれ汚れてしまっていた私でさえも心が洗われるほどなのである.実際これが見れるのは放課後の5時以降なので授業中にボーっと見るようなわけにはいかないが,北館の4階などから見るこの夕映えは非常に美しく,10分以上はジーっと眺めてしまうのである.ちなみにこの夕映えについても一度写真を撮ってみたがやっぱり白黒写真では限界なのであった.

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