涙のADSL(その1)

ITバブルのはじけまくった2001年は日本のネット社会においてはブロードバンド一色の一年でした.それまではブロードバンドといえば,ISDNよりちょっと早いぐらいのCATVなんかが主流だったのですが,2001年中盤よりADSLが台頭してきてあれよあれよという間に話題をぶんどっていったのです.また,話題性も去るものながらその価格も魅力のひとつでした.CATVが当時トータルで8000円ぐらいだったでしょうか?ADSLは5000円程度とCATVに大きな水をあけた形で登場したのでした.

こういった新種に対しての私の態度といえばまず静観です.どこが一番安いか?サービスの内容はどうなっているか?さんざん吟味した挙句に申し込むのです.ところが今回はそうもいきませんでした.それは○ahooBBの出現によるものでした.6月のある日,アメリカからオークションにいそしんでいると,いつもとはちがうバナーが.○ahooBBなんじゃ?それ...で早速アクセスしてみると”安い!”当時値段が概ねはっきりしてきていたフレッツADSLと比べて破格の値段.しかもプロバイダ料金も安いので,接続料とは別に改めて2000円近く出してプロバイダに入る必要もない.うーん,遠い空の下思い悩む私.しかし次のアクセスの時にはすでに申し込みフォームに記入していく私がいました.

さて,サービスはすぐには開始しないとのことで,しかもうちはそんなに都会でもないのでひたすら待つことにします.少なくとも3ヶ月は待つのかな〜と思っていたら案の定本申し込みの7月から3ヶ月後の10月にようやっと開局情報が出てきました.開局情報によると11/中旬には開局するとのことで,もう少し気長に待つことにしました.

まあ開局情報も打たれたことですし,もう人に薦めてもいいころかな?と思い,この時点で身の回りの方総計10名に○ahooBBをお奨めしていた私.そうこうするうち開局も予定通り遅れ,11月下旬の開局と相成りました.それと時を前後してモデムが送られてきました.うーん,手際が悪いのかよいのかわからんなこれじゃあ...でもいいや.繋がれば.と心の中では結構楽観視しておりました.ちなみに開局直後にモデムをスプリッタとともに接続してみるもADSLのステータスランプは点滅.これが点灯にならない限りは接続できない.ジャンパ工事がまだなのかな?ということで待つことにしました.しかし開局してジャンパ工事が終わるはずの2週間後にも未だつながらず.うちのドアホンが悪さをしているのかと思い,壁から引っぺがして直結してみたり,全てのモジュラーケーブルとツイストペアにフェライトを入れたり色々やってみてもダメ.そうこうするうち,会社のTくんのところは申し込んで2週間でつながったとかいう知らせが.私のお奨めした殆どの人は問題なくつながったようです.なぜっ!なぜなの!??

仕方なく○ahooBBにメールを入れて対策をお願いするも,ナシのつぶて.どうやら新規会員はどんどん増えていく一方でサポートの手足りない様子.そこから3週間待って.2度ほどメールするものの見当違いのメールが届き,ついには解約申し込み.いつごろ調査するとか,より詳しく現状を把握するためにどのようにすればよいか等,一向にアドバイスも無い上に,ひたすら今しばらくお待ちください.って,ねえ.○ahooBBのユーザーが集まった掲示板なんかではこれを放置プレイというらしく,私も例に漏れずプレイのパートナーにされてしまったというわけか...まあ話題になった部分では経験できたから良いか(←ちょっと意味不明).でもつながった人に話では安いし,お気軽だし,とっても良いみたい.まあ,戦略自体は間違いではないかもしれません.はじめの頃の○ッコアメみたいなもんで,のどもと過ぎればという感じになるんでしょう.私は運が無かった.く〜.悔しい〜.

(つづく)

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