宮園かをり ― 四月は君の嘘

今回は私の涙腺を緩ませて止まないあの作品からです.作品としては一応原作を読まずにいたものの漫画の絵柄自体は結構あくの強いものであったため,特にキャラクターや作画に心配があったのもあって期待していなかったのですが,実際とあるシーンで一気に取り込まれてしまったのです.

<最初で最後の>

そのシーンというのがかをりちゃんにとって最初で最後の公生くんとの協奏のシーン.そして単なる伴奏ではなく公生くんの才能を引き出すために重要な瞬間でもあったのです.のちに少し触れますが,ここでの二人の成し遂げた音楽的な何かに加え,かをりちゃんが公生くんに残した何かがかけがえのないものであったと思うのです.したがって制作側の力の入れようもそうとうなものでありました.恐らくですが実際の演奏者に音を出しながらあるいは音を聞きながら弦を操りながら躍動感を表現してもらい,それを撮影したかあるいはモーションキャプチャーしてあの作画をしていったのだと思います.それにはっきり言って私の眼はくぎ付けになってしまいました.音のほうの躍動感も素晴らしかったと思います.それなりにアレンジに秀でた方を演奏者として抜擢してのことだと思いますが,クラシックなどのコンサートや娘のエレクトーンの発表会などでは確実に睡眠に落ちてしまう私が,アニメの上でとはいえここまで魅了されることがあるなんて.自分でも驚きでした.

<アゲイン>

そのシーンでは公生くんの例の症状が出て演奏が出来なくなってしまい,コンクールは絶望となったところで,かをりちゃんが発する言葉がこれです.しかしこれは演奏再開という意味だけではなく,公生くんの人生そのものに対しても再開を即した重い言葉であったのです.そして,そのときの表情がアニメでこんなにキャラの表情が生き生きと表現できるなんてと感動するほどのものであったのです.

そしてあの表情に救われた公生くんは無事完奏したものの,当人はその感動の中力尽きます.弱りつつあった自分の出せる力のすべてを使い果たして,公生くんを再びピアノの世界に連れ戻したその熱意と愛情.そのような重みを感じざるを得ないあの言葉なのです.そしてそれはすべての視聴者の少なからず持っている挫折感,敗北感,劣等感などをポジティブなものに替えられる魔法の言葉になりました.なので私はこの一言によってこの作品の存在価値が大いなるものになっているのだと思うのです.

<最後の手紙>

公生くんに別れを告げる手紙.その文章から公生くんが病室を去ったすぐ後に書いていたことがわかるのですが,かをりちゃんは一体どんな気持ちで書いたんだろうと想像してしまいます.それはまるで種明かしのような気持であったのかもしれません.自分がいなくなった後に公生が謎や理不尽を感じることがないように,そして自分の思い出が公生くんの残りの人生に悪影響を与えないように,心配なところをすべて吐き出していったように思います.そして3人の人間関係を壊さないために仮面カップルを演じたことなど,実際の気持ちを隠していることの苦労をわかってもらいたいというような点.それは中学生のまだ子供っぽさの残る感情のなせる業であったのかも知れません.自分の人生のすべてを一つの手紙に託す.そんな感じがとても切なく,それでもとても重要なことであったのだと思います.

<若くして亡くなるということ>

死というものは万人に等しく訪れるものです.しかし天寿を全うしてなくなる人についてはその死に理不尽がないがために人の心に残りにくいかも知れません.かをりちゃんのように若くして亡くなるということはその理不尽さゆえに人の心に残りやすく,特に公生くんのような境遇であれば一生忘れることの出来ない存在になることでしょう.彼のその後を想像するに,超一流のピアニストになり,ソロも協奏もこなすオールラウンドプレイヤーとして世界に名を轟かせるような存在になっていてほしい気がします.そして公生くんの中にはしっかりとかをりちゃんの魂が生き続けているようなストーリーを想像できてしまいます.

ただ,もう少しわがままを言わせてもらえば2人のセッションは一度だけでなく,何度か確執や挫折とかもありながらある程度の期間にわたって記憶により一層のこるものであったならばと思っています.そしてその音楽性がどんどん高まっていき,何らかの成果が二人を祝福するようなことがあってもよかったかなと思うわけです.しかしそうしてしまうと公生くんにとってのかをりちゃんの存在のはかなさのような成分が薄れてしまうのでしょうね.

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