剣崎 梨々花 ― リズと青い鳥

あれ?響け! ユーフォニアムからはもうやったんじゃなかったっけ?という疑問を感じられる方もいるやもしれませんが,ここは黄前ちゃんとかは出てくるものの別作品ということでお許しください.一応続編であったり,劇場版とかではないですし.主人公が違いますから.

で,その主人公のみぞれちゃんとオーボエで同パートの剣崎梨々花ちゃんが今回のテーマとなります.この作品,題名が演奏曲そのものでありつつ,主人公二人とそれを取り巻く環境みたいなものを暗喩しているということでいろいろ技巧的な作品となっています.ブルーレイで見れば見るほど深く引き込まれてしまいます.その中で梨々花ちゃんはその独特な役回りで,並々ならぬ存在感を醸し出しております.実は夏紀ちゃんについても本編以上にこの作品でもいい味を出していまして,すごく悩んだのですが,夏樹ちゃんは本編でもかなり男前な感じでしたのであえてリズと青い鳥においては梨々花ちゃんということになったのでありました.

<ストーリー上の存在感>

さて,梨々花ちゃんを簡単に紹介すると担当はオーボエでのぞみセンパイにあこがれている1年生ということになります.で,それだけだったらここで取り上げるほどのものではありません.でも,この作品の中で梨々花ちゃんは登場のたびに見る者の心に爪痕を残していくのです.まずは登場シーンでみぞれちゃんに”ダブルリードの会”への参加を断られるシーン.

”まるで小鳥たちのさえずりのよう....なんちゃって”

とみぞれちゃんの気分和ませる戦術を練り,なんとか会話に持ち込もうとしたシーンや,その断られた後の沈みよう(ファゴットの2人を含め).ちなみにダブルリードの会の面々はここでの”ノゾセンパイ”と呼ばれていることから次なる作戦のヒントを得ていたりします.

ここらへんいきなり登場から間髪入れずその存在感を見る側の心に焼き付けてくれます.さぞかし脚本も作画もモロモロ大変だったろうにと思うのですが,やっぱり重要なキャラクターとして印象付ける必要があったということなんでしょうね.次にここでまた立て続けに,のぞみちゃんに相談に行くシーンでは
”剣崎です.” ”あと 梨々花です.”と顔を近づけて念を押すところとか,”そうですかぁ〜?”といいつつ体をよじったり”ありがとうございますぅ”といって首をもたげたりする仕草.その後先輩に物おじせずに味付け卵を渡すところとか.

徐々に攻略が進み,リード作りを教えるといわれた後の”むはーっ”とか”むっ,ふっ,ふー”とか,その後感情を吐露させてしまうところとか. 

その吐露おかげかプールに誘われ,次には練習教室でみぞセンパイを待つ間柄にまでなりました.そして練習曲のデュエットで周りにみぞれちゃんが解き放たれたならより素晴らしい演奏ができることを実証するに至りました.それゆえに麗奈ちゃんはたまらず本人に指摘してしまうことになったわけです.

このキャラクターの濃さのみならず,のぞセンパイの心を徐々に開かせていくのは梨々花ちゃんのただただ深いのぞセンパイへの愛情しかありません.そうなのです.梨々花ちゃんというのは徐々にのぞセンパイに愛情のもたらすものや愛情のありようについてを自らの行動をもって教えていたことになるのです. それは劇中劇ともいえるリズと青い鳥において,青い鳥に大空で自由に仲間の鳥とともに羽ばたく素晴らしさを教えることであり,それが愛する人と距離を生むことになったとしても得るべき幸せであることを気づかせる役割であったといえます.リズがそれを青い鳥との生活の中で意識することなく気づけたのに対し,主人公の二人は自らをリズか青い鳥か取り違えていたために認識できなかったのです.それを気づかせるための重要な役割がこの梨々花ちゃんであるといえるのです.

<新山先生の呼び間違い,自身の言い間違い>

梨々花ちゃんについて,どうしても気になるのが,”鎧 じゃなくて剣崎”という言い間違いです.これは一般的にはみぞれが好きすぎて鎧塚というのがあたかも自分の苗字であるかのように言いだしのところで思わず出てしまうというのことが言われています.でも,私はそれが納得できないでいます.正直そんなことで自分の名前を名乗るときにまちがうでしょうか?

確かに塚さんの鎧に守られた心を崎さんが剣を使ってこじ開けるのは物語的には面白いかもしれません.でもそんな面白いだけの設定を脚本に反映させるかというと,それはないように思うわけです.なので,私は原作者の武田さんは何か他の背景をこの梨々花ちゃんに仕込んでいるのではないかと思うのです.というのも,この言い間違いは梨々花ちゃん本人のみならず新山先生までもが同じミスをしているのです.

新山先生はフルートのエキスパートであり,特段おっちょこちょい設定も与えられていません.むしろフルートののぞみちゃんよりむしろ自分の専門外であるオーボエのみぞれちゃんに将来を見出すほどの冴えものとしての役が与えられています.その新山先生が梨々花ちゃんがちょっと口に出しただけのミスをそのまんま自分の口から出してしまうことはあり得ないと思うのです.なので,何か他の先入観があってあのように口を滑らしたと考えるのが妥当と考えます.

なので,この言い間違いに関してはほかに何があるのか?非常に気になるのですが未だ原作にも描かれていない部分でもあります.単に私も思い込みであるのか,この先新たな事実が明らかになるのか,そこんところはこのシリーズに注目していくに十分値するポイントでもあるわけなのであります.

<この先のこと>

この”ハッピーアイスクリーム!”の後,みぞれちゃんと梨々花ちゃんの関係はずーっと深くなっていくんでしょうね.みぞれは一緒にプールに行ったことだし,毎回ではないものの何度かダブルリードの会に参加することになり,ファゴットの1年生(?)たちとも一緒にパート練習するようにはなっていくのではないでしょうか?そしてリードの製作方法と同じく,素晴らしい指導者としての実力も発揮しつつ自らもさらに技術を磨き,演者としての要所要所を備えていくのだと思います.それはまるで青い鳥が空に羽ばたいていく様そのものなのでしょう.そしてそのストーリーを作り上げたのは全くの無自覚でそれを実現した梨々花ちゃんそのものなのでしょう.

それは無自覚の強みであって,決して恩着せがましくなることもなく,のぞみセンパイに邪魔されることもなく,極めてごく自然にみぞれの生涯をより充実したものにしていくとっても重要な役割を果たすことになるのだと思います.思い起こせばいろいろな組織において,こんな高性能潤滑剤みたいな人っているんですよね.その存在が極めて心地よく映像化されていて,ストーリーの中で忌憚なく発揮できるのがまさにこの梨々花ちゃんなのであって,鑑賞した後にも心地よい息吹を残してくれるのではないかと思うわけなのです.

吹奏楽部って結構生徒任せにしてしまうと組織力が出たりでなかったり波が激しいと聞きます.なので指導者である顧問が大きくその実力を左右するといわれています.この物語の中では瀧先生の存在は絶対なのですが,それでもその下で梨々花ちゃんのような存在が見えないところで触媒として役目を果たしているということが原作者の武田さんはいいたかったのかな?とか思うわけです.

KEN-Z's WEBのトップへ NEXT