GPz400Fについて思うこと

GPz400F.カワサキの空冷4発400ccの進歩の中で実質最高馬力を誇るモデルです.発売は84年.前年はほぼ同じ外観でGPz400が世に出て,それが当時の4メーカーによる開発競争の中でたった1年で名前を変え,51馬力が53馬力になった400Fが世に出ました.これも85年にはカタログ値で54馬力となり,他の3メーカーが水冷,油冷のエンジンを持ったレーサーレプリカを出す中,唯一空冷を400のフラッグシップに抱えていた,そんなカワサキの歴史を大いに物語ることが出来るモデル.

エンジンについてはz400FXである程度完成されていたエンジンであるとはいえ,当時の高出力化の波の中でいろいろなリファインが加えられ,誕生以来約10馬力のスープアップとなっていました.このエンジンはほとんどそのままゼファーにも搭載されましたが,ゼファーではカムが低速側に振られ,最高馬力は46馬力となり言わばデチューンされた経緯があります.実際はこの移り変わりの間に馬力はグロス表記からネット表記に変わっていたりするので,そんなに大きくデチューンされたわけではないと思いますが...実際のところ,バイクに今から乗ろうとする若い人は最高馬力に結構こだわっていたりするので,そこらへんの数字のマジックに舞い踊らされてしまいがちですが,レースでもしないかぎり所詮最高馬力を使い切ることはありませんし,ノーマルでレースに出ることもありませんのでカタログスペックをそんなに重視するのもどうかな?なんて当時思ってはいました.でも未だにこんな最高馬力の歴史を語れる私も結局のところその呪縛に影響を受けていたのかな?なんて思います.

外観はもう当時レーサーレプリカ全盛の中で,流線型のカウル,タンク,テールへのラインが最高なのでした.他にもレーサーレプリカ以外のヨーロピアンテイストを重視してでっかいカウルがついていたバイクがありましたが,それらから比べると別次元の格好良さ.アンダーカウルがなく,空冷のエンジンがむき出しなところも,メカメカしい印象を強調しているようで,乗り手の自己満足を掻き立てるものでした.


そんなGPz400Fに私は86年から88年の約2年半の期間,距離にしてたった約15000kmですが乗ることができました(プロフィールのとこの昔話参照).それは偶然安い中古車を見つけたからに他なりません.当時は学生で貧乏でしたから,もちろんお金があったら当時流行のレーサーレプリカに乗っていたでしょうし,もしそうだったら今こんなにバイクいじりの好きな人間になっていなかったと思います.そういった点でニンジャよりも私の人格形成に重要な意味を持った車体であることは間違いありません.

ここまで書くということは,いろいろな車体をいじってきた私が,ついにGPz400Fに触手を伸ばし始めたことに他ありません.今までニンジャについては何度も手がけてきたのですが,どうもGPz400Fについては手をつけなかったのはその境遇によるものが多かったかもしれません.私のGPz400Fというのは,2年間とてもよい思い出をくれたものでした.別に何の不具合もなく,ほぼ絶好調の状態で車検も通ったばっかりだったのに,私が限定解除した後に我慢できなったばかりに売っ払われてしまったワケで,いわば乗らなくなって不調になって手放されたその後のGPz750Rに比べてもとても不憫なお別れをしたことになります.あと,このGPz400Fは族車の中では人気車だったので,盗難の被害が非常に多いことが特徴です.最近旧車会のほうでももてはやされていて,どうもノーマル然とした車体についぞお目にかかれなくなっているのも私にとってはさらに不憫な感じがするのです.

ある意味そのような状況に目をそむけるような感じでGPz400Fからは距離を置いていたのですが,よくよく考えると欧州や南米などの輸出仕様は実は90年代中盤までセールスが続いていたという事実もあり,そんなに手がけることがそう困難でないように感じてきたというのもありまして,徐々に興味を持ってオークションを徘徊するようになった私なのでした.

ここまで能書きをたれてきましたが,今回はここまでです.果たしてどのような進め方になるかは知る由も有りません.でもゴールは決まりました.ということで,若かりし頃の思い出にどっぷりはまれる企画が始まったのでした.

KEN-Z's WEBのトップへ NEXT