”直観”の意義について(その1)

"驚愕"以来久々の新刊を読み,少し時間が経過しました.驚愕の時はしっかりと回収しておかなければいけないトピックもありましたが,今回はファンの片割れとしての私も少し意図していなかった新刊であったので,少し触っておかなければいけないような気がして,コメントしたいと思い立ったのがこのwebということになります.面白かったかどうかはあえて書きません.正直ちゃんと前作の驚愕まで全部読んだ上で読むことを強くお勧めします.本作のみ読んでもちんぷんかんぷんになるはずですので,その点はちゃんとご理解の上,お読みください.なおネタバレになるようなことはやはり避けたいので,読んでいない方が読んでもちっとも面白くないような表現が各所にありますので,その点はご容赦ください.

<印象深いところ(その1:吹奏楽部の練習)>

まず”鶴屋さんの挑戦”のところは謎解きメインですので,ここでは情景描写などで北高出身の私ならではの感じるところはありませんでしたが,前半はちょこちょこありました.まず”威勢だけはいい掛け声と,吹奏楽部の下手なトロンボーン練習”というところ.おそらく谷川さんは在校中は文芸部でしたので,放課後の北高ではちょうど吹奏楽部が活動していた本館の階下とかで活動されていたのではないかと思います.だとすると谷川さんが耳にしていたのは北館に反射した音ではないかと思います.で,当時の北高の吹奏楽部は部屋の中で練習していたような記憶がありますので,窓を開けていたとしても南側すなわち北館とは逆方向に音が多く流れると思われ,部屋から北館に向けて反響するような音というのはそんなに大きな音ではなかったようなような気がします.

そこで気になったのは”下手なトロンボーン”というところです.実はうちの娘が中学のころ吹奏楽部でトロンボーンをやっていまして,そのトロンボーンというのが,楽器としてはその内部の容積を大きく変化させて音階を作り出す楽器であるが故,かなりな肺活量と呼吸の速度を必要とするものなのです.そうなると必然的に成長の過程である中学生は”下手くそ”になるわけで,中学と高校で大きな差を生みやすい楽器の最たるものがこのトロンボーンであると思うわけなのです.

なので,谷川さんのこの”下手なトロンボーン”の表現は北高よりも中学時代の記憶のよるものではないかと推測するのです.で,私が思い起こしたのが,北高ではなく私が思い込んでいる谷川さん上ヶ原中学OB説です.実は上ヶ原中学の校舎の配置は,コの字型につながった本館と南館の構造になっていて,ちょうど吹奏楽部が活動する音楽室がこのコの字の縦棒の4階にあったのです.しかも以前ご紹介したように廊下に窓がないオープンコリドー形式であったため,吹奏楽部が廊下で練習することがあっても,ほかの部が文句を言うことがないため,結構吹奏楽部の面々が廊下で練習することが多かったのです.そして,その吹奏楽部が活動していた音楽室の前の廊下はコの字の内側を向いていたので,そこで練習しようものなら相当な大きな音がコの字に並んだ本館の全域にまるでオーケストラをホールで聴いているかのように響き渡っていたのです.

もちろん,これが上達したあとのものであれば美しい響きにも感じられたのでしょうが,これが上達途上,それも中学生では特に上達がむつかしいトロンボーンであったなら,さらに下手に聞こえたに違いないと思うわけなのです.なので,この”下手なトロンボーン”という文章のみで,私が勝手に谷川さん上ヶ原中学OB説をさらに深めてしまったのは無理もない話なのであります.

<印象深いところ(その2:それほど歴史があるわけでもない県立高校)>

北高の歴史の中では谷川さんは多分16回生.私はそんな価値のある卒業生というわけではありませんが12回生です.4年のタイムラグがあるわけですが,私が在校中にこの作品の中でわざわざハルヒが説いたそれほど歴史があるわけでもない県立高校に類する言葉は,数多く耳にしました.これはおそらくですが,当時の教諭陣の口から多く発せられた言葉ではなかったかと思います.それがさんざん耳にする羽目になった私たち生徒の耳にも残り,未だにほぼ新設校である北高の卒業生である自覚を持つに至らしめているわけです.

で,私はここで違和感を禁じ得ないわけです.実は以前も述べましたが私が入学したその1年後に西宮の中でさらに北に甲山高校ができたのです.もちろん同じく県立高校ですので,わざわざ北高を新設校扱いしなくても,さらに新設校ができたわけなので,教諭陣はその事実を認めた上で,北高を歴史が浅いという一面を強調する必要はなかったように思います.しかし私が2年,3年と進級するにおいてもやはり一部の教諭陣は北高に歴史が浅い点を生徒の前で公然と主張し続けていました.

そして,この”直観”を読んで,その謎に気づいてしまったのです.それは教諭陣のコンプレックスのなせる業ではなかったのかと.要は生徒の我々が通学路をもって強制登山と言わしめるような境遇を一地方公務員でありながら教員である北高の教諭陣はある意味島流し的な仕打ちを受けているように感じていたのではないかと思うのです.確かにさらに島流し的要素の濃い当時超新設であった甲山高校の教員はさらにひがんでいるような意識の教員が多かったと聞いたことがあります.また,前述しましたが私の父も当時西宮で高校教員をやっていました.その当時やはり総合選抜という成績平準化の権化ともいえるシステムであった地域においても市内トップであった県立西宮高校に対してコンプレックスのようなことをさんざ口にしていました.そんなことから,私よりも4年もあとの谷川さんの代になっても,私たちに教鞭をとった教諭陣が同じ言葉を吐いていたのだなぁと,感慨を持ちながら読み込めたわけなのです.

さて,思いが深すぎて長文になってしまいました.続きは次回ということにしましょうか.

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