水道路踏切-夙川女学院-サイゼリア

今回は通学路でもないけどハルヒのストーリー上で重要な局面に登場するところを3箇所寄せ集めでお送りしようと思う.まずハルヒが宇宙人,未来人,超能力者に興味を持つに至ったきっかけをキョンくんに吐露するあの踏み切りである.これは阪急電鉄の呼称は昔から水道路踏切となっている.

この水道路というのは平地の少ない神戸の市街に大正時代浄水を供給するための大きな水道管が埋設されている道路のことで,ここから南西に下って阪急神戸線の北側を通り神戸市街へ続いている.そしてこの逆側は上ヶ原浄水場である.上ヶ原浄水場はもちろん上ヶ原台地の上にあるので,上ヶ原からこの甲陽園地区に水道管を伸ばすのに崖をまたぐように落とすと損失が出るのを嫌い,上ヶ原からこの水道路踏切に向けて不自然ななだらかな坂があった.

私が中学,高校の当時はその坂は舗装がされておらず,あたかも戦時中重要施設を米英の攻撃から守るためのカモフラージュをされているがごとくいわゆる山道状態であった.中学のときにはこの坂がマラソンコースに設定されていて,雨が降った後ここを通るとずいぶんと足元が濡れたり汚れてしまったりしたものだ.現在ではしっかりと2車線の道路となっており,甲陽園地区から上ヶ原に上がる経路としては最もなだらかであるということでそれなりの交通量を誇る道路となっている.しかし上ヶ原の大地に上がりきったところでこの道路はぷっつりと切れており,明らかに土地買収に失敗したっぽいのだがあのような状況になってもう20年近く経っているようなので,もうあのまんまになってしまうのだろうか?

なお,偉そうに水道路のことについて語ってはいるが私にとってこのような知識はこの踏切が水道路踏切という名称であることを含めて,この数ヶ月の間に仕入れた知識である.この踏切からしばらく上ヶ原方面にいくと変な形の六差路があり,引っ越してばかりの頃はけったいな形の交差点やなと子供心に感じていたのであるが,それがなぜこのような形なのか,なぞ考えもしなかった.なんせ小学校に通うのにわざわざ2回も横断歩道をわたらなければならないし,なんせ状況判断力に乏しい小学生にとっては車がどこから走ってくるか皆目見当が付かないのでその交差点はわたるのに時間が掛かる上に危険極まりないわけで,お気楽な盛りの男子小学生にとってはちょっとしたストレスであったわけだ.

その交差点はちょうど御手洗川とその水道路の水道管が立体交差する必要があるらしく交差点そのものが周りの土地より高めに作られており,明らかに不自然な地形を作り出していたりする.前述の台地の縁に沿うように張り付いていた不自然になだらかな坂道も含め,当時違和感は感じていたのにもかかわらずこの30年以上の月日を経てからその由来が明らかにっていくのはなんとも快感なわけである.つくづくこのハルヒアニメに関連したこのようなアクティビティの賜物であるわけで感謝せざるを得ない私なのだ.

さて,肝心の水道路踏切である.この踏み切りはロケーションとしては甲陽園小学校から大池をはさんですぐのところにあるものである.小学校の頃は大概どこかしら窓が開いていたし,授業中であっても甲陽線の電車が通るたびに警報機の音が大池の水面に反射して独特な音で聞こえてきたものだ.当時日中でも3往復はしていたはずなので,10分に一度警報音を聞いていた計算になるわけで,良く考えたら私にとっての水道路踏切は今までの人生の中で一番警報機の音を多く聞いている踏切ということになろうか.

またこの踏み切りは線路が単線で比較的幅が狭いところに来て,阪神バスの山手周り路線が横断するため,実際バスがやってくるとかなり窮屈にハンドルを切りながら横断することになる.大概バスが対向してきたら踏み切り手前で待機しておかないと踏み切り内でバスとお見合い状態になるかはじき出されるかのどちらかになる.たまにそのセオリーを知らずに突っ込む輩がいて,お互い立ち往生したりするので要注意であった.まあ昔は昔で,現在もそんな輩がいるかどうかは定かではないが.

さて,消失でキョンくんが一気駆け下りをやってのけ,疲れきっていたであろうその足にブレーキをかけたのはこの水道路踏切を過ぎて数十メーターいったところであるが,ここから水道路は徐々に下りながら夙川学院中学,高校の校門前を通過する.ここがいわゆる消失における光陽園学院の校門前である.光陽園学院と甲陽学院,夙川学院の設定上の関係は通学路のところでも述べたが,元来の夙川学院はいわゆるお嬢様学校である.まあそのお嬢様たちの暮らしぶりについて当時から知る由もなかった私がお嬢様かどうかわからない女子学生をお嬢様と言い切ってしまうところは少し煮え切らない感じもするが消失バージョンでない光陽園学院をお嬢様学校と設定づけている谷川さんもいるぐらいなので,ここは言い切ってしまおう.

なかなかお嬢様学校と言い切れないのはその夙川学院がほかの事で当時有名であったからに他ならない.実は我々が高校生だった頃の夙川女学院というのはソフトボールの強豪として全国に名を馳せていた.その強さたるや既に別格の扱いで,あまりのインターハイや全国大会での常勝街道まっしぐらぶりで,そこらへんの野球部と試合をやっても負けるはずがないと言われるほどのものであった.その強さゆえに全国にスカウトが足を伸ばして越境入学は当たり前であり,男子のPL学園と並んで評されたりしていたのである.そのような印象が残っているがゆえにお嬢様学校と断言することをはばかる私なのであるが,そんな夙川学園も最近では資金繰りのトピックで新聞を賑やかしたりした末ポートアイランドに移転してしまったり,消失ハルヒの設定そのままに共学化しているのが私にとっては隔世の感を思わせるのである.

さて,この校門前は有名なジョン・スミスの一件でハルヒアニメの中でも非常に有名なシーンとして登場するが,私にとってもこの地点は全く別のトピックで印象に残っていたりする.それは私の当時の道草に起因するものである.当時私は写真部の活動があった日というのは友人たちがほとんど苦楽園方面に山を降りるので,一人でとぼとぼ帰るのがイヤだったのであろう,ずいぶんと遠回りをして苦楽園方面から帰宅することが多かった.そんな道草は大体写真部のSくんの自宅前まで行ってしばらく日没後までバカ話をするのであるが,そこから家まで歩いて帰るとずいぶんと遅くなってしまう.そのためSくんに自転車を出してもらい,2ケツでうちのすぐ近くまで送ってもらうのである(送らせるとも言う).

その経路のほとんどを占めるのがこの水道路であり,ちょうどそのクライマックスに差し掛かる地点がこの夙川学院の校門前なのである.当時ここには街灯がほとんどなく,うっそうと茂る夙川学院の校内のわきをえっちらおっちら2ケツの自転車を漕いでいたり,後ろに乗っていたりして通過していたのである.しかし,そのちょうど校門前を通過するところあたりで何故だかよく警察の黒バイとすれ違うのである.それも数度ではなく十数回とかの頻度である.そのたびにお前ら二人乗りやめ〜よ!といわれるのであるが,あまりにもこの警官との遭遇が多すぎたからか仕舞いにはおまえら何回も言わすな.しばくぞ!と徐々にその諌めも暴言化していったのである.まあそんな思い出があるこの校門前を消失のシーンを見ながらニヤニヤして思い出すのがまた私にとって乙なのである.

ちなみに一仕事終えたキョンくん達の後ろを甲陽線と思しき3両編成の電車が通過するが実際のあそこをあの方向で通過する電車はあのような高速移動は出来ない.というのもこの区間はかなりな上り勾配なのと,すぐに水道路踏切のところのカーブがやってくるので,あの半分ほどのスピードで通過する.演出効果としてはすぐ後のシーンチェンジのためあそこでは電車がすばやく通過してくれたほうが良かったりするだろうから,あの速度は必然であったのであろうか? さて,その道草ルートとしては若干さかのぼることになるが,例のサイゼリアについては実際私の高校時代には昔はここは空き地であり存在しなかったものであるので思い出を語ることも出来ない.入店したことがあるかといった点についても実のところはあの店に入ったことはなく,まあそこらへんにあるサイゼリアとあのサイゼリアに違いなんぞあるわけもなく,里帰りしても家族を連れてそんな実家近所のサイゼリアにそうそう入店する機会もないのである.そんなこんなでなかなかコメントしづらいのであるが,サイゼリアについてはその1号店がうちのかみさんの実家のすぐ近所に昔あったということだけ自慢というわけではないがどうでもいい情報だけ紹介してこの章を閉じることにしよう.

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