西宮市立図書館

ハルヒシリーズのみならず一般的にマンガを含め書き物が原作のアニメにはよく図書館や図書室が登場する.これは物書きを生業にしている方々の多くが生い立ちの中で図書館や図書室に馴染み深い生活を経験してきたが故のことであろうと私は勝手に推測している.

以前私が今となっては紙を媒体とした書物にとんと疎くなっていることを書いたと思うが,実際そのようになったのは中学以降ずーっとであり,それ以来図書館,図書室なるものにも馴染みがない.実際中学の頃は図書室には何度か足を運んだ記憶があるが,正直北高では図書室に行ったことがないばかりか今現在その図書室が本館の二階にあったのか三階にあったのかさえも思い出せないのである.

前述のように本能のいざなうままにことごとく教諭達と距離を置いてきた私であるから職員室がある本館の東側には足を向けることはごく稀であり,もし足を運んだとしてもそれは何かしら普段とは異なる特別な事情があったからということになる.そうなると本館に入るや否やその目的地に直行してわき目も振らずとんぼ返りを決め込むわけだが,その道すがら何があったかなんぞいわゆる馬車馬状態で駆け抜けていただけの私に聞くほうが野暮って言うものであったろう.

このような体験がそうさせるのか分からないが今だに図書館なるものに足を踏み入れたとたん謂われない疎外感を感じてしまうほどになってしまっているのだが,時折かみさんや子供の都合で止む終えず図書館を訪れることがあり,大体そんな時は雑誌コーナーで適当に数冊読み漁ったらすぐに爆睡を咬ますのが私の常套手段なのである.従って雑誌コーナーでハルヒの携帯コールでたたき起こされるキョンくんの気持ちは痛いほど分かるわけだ.

そんな私も小学生の頃はしっかり図書館には馴染みがあったりした.そのうち4年生以前の宝塚に住んでいた頃は図書館までの距離が半端なものではなかった上,交通の便もすこぶる悪かったためいわゆる移動図書館にお世話になっていたりしたが,以降の西宮ではそのような障壁もなく,学校が終わって妹も私も家にいるようなことがあるとオカンが図書館に行きたがるようになったのである.まあ子供もある程度大きくなってくると少々の空き時間も生まれてくるだろうし,ほな本でも読もかという心理状態になったのであろう.

実際当時の私はというとすでに本嫌いの虫が性根の奥深いところに孵化してしまっておりかなり嫌々ついて行ったような記憶があるが,一通り図鑑やなんかに目を通したらすぐに退屈になってしまい,帰ろうな〜などとほざき出した私にオカンがエラい人の伝記ぐらい読んどきというので,嫌々エジソンだのリンカーンだの日本のみならず片っ端から借りては読んでを繰り返した.当時は確か一回あたり四冊まで借りられたので貧乏性な私は毎回キッカリ四冊借りては期限内の二週間でこれまた貧乏性な私はキッカリ読破して返却してを繰り返していた.今になって思えば本嫌いの兆候が現れていた私にしては驚異的なハイペースである.

いまだに私は本を斜め読みするクセがあるが,それはこの一件で染み付いたものであろう.このクセは頭の良い人ならば怖いもの知らずの武器になるのであろうが私のような単細胞がそれをやるとどうしても読解力を阻害してしまうし,文学書などの行間を読む必要のある書物はことごとく心に響く内容からは程遠いものになってしまうわけで,現代文学はとにかく学問の中でもひときわ苦手になってしまったわけである.

まあそのように勉学の苦手が発言した理由を図書館の記憶のせいにしてしまっては申し訳ないので,あくまでも図書館は悪くないと申し訳をしておこうと思う.しかし斯様に伝記ばっかり読んでいれば,当時の図書館の蔵書数なぞたかが知れていたわけで最後に豊田佐吉の伝記などというかなりなレアアイテムに手を出したところで西宮図書館の伝記シリーズは底を突いてしまい,このような私の異常動作はあっという間に収束を見ることとなった.そうこうするうちその後発生した家庭の事情によりこの図書館詣でもなくなっていったのである.

ここまでさんざん私の短期集中図書館通いを紹介してきたが,実は私の知っているその図書館というのはハルヒアニメに出てくる図書館とは違うものである.ハルヒアニメに出てくる図書館というのは特に制作者側からの講釈があったわけではないので明言出来はしないのだが,不思議探しツアーの時の図書館はロケーション的には西宮市立図書館の支所にあたる北口図書館,消失の最後に出てくるのを含めて外観的には西宮市立図書館本館である.当時は西宮北口には図書館施設はなかったし何分震災前だったのでその北口図書館が入っているビルもなかった.また当時は蔵書もそんなではなかったから支所といっても市内の何箇所かの公民館に貸し出し可能な文庫があった程度である.

従ってここでは西宮図書館の中央図書館について話を進めたいのだが,その中央図書館は香枦園界隈にあり,その規模も京阪神を代表するベッドタウンに相ふさわしいものになっている.場所的には西宮北口からはかなり距離がある香枦園界隈の図書館まで2人が歩いて行ったとは思えないので,恐らく北口図書館のようなビルの中にあるような小さい図書館ではストーリー的に物足りない部分があるということで実際のロケーションは気にせず外観とロケーションを使い分けているのであろう.一方で私がここで思い出の中で引き摺り出してきた図書館は名前こそ西宮市立図書館ではあるが今のそれとは全く異なるものである.

そう,ご想像の通り西宮市立図書館の本館ともいえる中央図書館はこの三十有年の間に移転してしまったのである.ではなぜハルヒアニメとほぼ関係ないその今はなき旧西宮市立図書館を思い出に出てくるのに任せてここまで登場させるのかということになろうが私はこの昔の西宮市立図書館の佇まいがこの上なく好きだったからなのである.

その昔の図書館というのを今になって調べてみた.建物としては昭和3年の建築であったそうで,思っていたほどに古いものではないようだ.それでも場所的には市民会館のすぐ西側にひっそりと佇んでいたので,戦時中の西宮空襲を生き延びた由緒ある建物であったことは確かだ.まあ昭和初期といいながらも外観は非常に質素な造りになっており,ぱっと見は図書館には見えないほどの出来であった.中に入ってみれば入ってすぐのところにロビーなどもなく小さいカウンターがあり,内装もレトロに仕上がっていて図書館という割には多少薄暗い感じがするような暖色系の明かりがなんとも心落ち着く感じで各部屋を照らしていた.

ロビーからは本棚のある部屋がいくつか続いており,しかし元々が狭いために各部屋には本棚がぎっしり詰まっており,本棚はどこもかしこもマンパン.閲覧スペースはいつも子供や大人でいっぱい.初めて訪れた時には図書館なんて性に合わないな〜と思いながら過ごしていたのが何度も行くうちにそこは私にとって心地よい空間になっていったのである.私でさえもそんな思いを持つぐらいなのだから,あの在りし日の西宮市立図書館というのはもし図書館萌えの人がいたならばおそらくその大多数が萌え要素を感じざるを得ないほどなのであろうと勝手に想像して止まないのだ.

ちなみにこの旧西宮市立図書館は村上春樹さんが幼少時西宮に住まいがあった頃通っていたのではないかといわれており,その著作である海辺のカフカに登場する図書館のモチーフになったのではといわれている.残念ながら今時点でその海辺のカフカという本を読むに至っていないのでその真偽のほどまでは言及できないが,もしそうだとしたらあの独特な雰囲気を言葉に残しておきたいと思った人が文学界にもいらっしゃるということで喜ばしい限りなのである.

奇しくも消失世界で長門が市立図書館で借りたとキョンくんに告げた本が村上春樹さんの本であった.これに暗示めいたものがあったとするならば,村上春樹→海辺のカフカ→西宮市立図書館というつながりで,その図書館というのは間違いなくあの私の好きだった図書館であったはずだ.残念ながらその格調高い図書館は私が北高を卒業した昭和60年にはその役目を終え取り壊されたようである.今となっては思い出の中にしか存在しない図書館ではあるが,そんな思い込みを自己満足的に拡大解釈して実は谷川さんも長門を居座らせたり,カードの逸話において感情のゆらぎを認識するに至ったりさせたかったのはこのレトロな図書館のほうにしたかったのではないか?などと考えてみつつ,そうならば一層ストーリーに深みが増してくるように思うのは私の単なる思い込みと考えて自重しておいたほうがよさそうだ.

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