五段坂・新池

だいたい坂というものは地形的に高いところとその周辺の物流をつないでいる都合上その高台からどの方面に下りるか分かりやすくするために何かしら特徴を持っているものはその特徴に基づいた名前,そのような特徴がない坂には随分と適当な名前がついていたりするものである.

この五段坂というのはまさにこの前者に該当し,市内でも有数の由緒正しきスポットといえる.このケースにおける高台というのが上ケ原地区と呼ばれるところであり,数十メートルの高低差をもつ台地となっている.ハルヒの中では上ケ原という地名が草野球の相手チーム名の中に登場する.まあロケーションの特定をぼやかすために読みは“かみがはら”に変えられてはいるが,こんな名前を草野球チームにつけてしまいそうな大学を谷川さんが卒業したとのことなので,さぞかし思い入れのある地名なのであろうと勝手に想像して妄想を拡げて見ることにする. 実は関東に移り住んでから知ったことではあるが,この上ケ原という地名はこの特徴的な台地形状ゆえに上ケ原台地という地学的には国内でちょっと名の通ったものになっているらしい.まあ台地マニアなる人はおいそれとお目にかかることもないだろうし,この台地の周辺で小中高校と過ごす中では私の移動手段が自転車のみであったこともあって,興味がないばかりかその存在自体が疎ましい ものであったことには違いない.

で,本題の五段坂であるが,実は私の経験では恐らくこの坂を1往復半くらいしかしたことがない.一回目は小学生の頃まだ引っ越したばかりで北口から阪急バスの違う路線に乗ってしまって,意図せずに通過したというもの.このときはもうすでに日が暮れていたのでバスの中からは周りの景色がわからず,この五段坂の異常な傾斜の変化で自分の誤りに気付いたので今でもよく覚えているわけである.

二回目は小学校高学年のとき.自転車で友達と一緒に上ケ原のあたりをプラプラしていて,そろそろ帰ろうとなってそれなら度胸試しにこの五段坂をノーブレーキで駆け下りようということになったのである.確かに当時第二次ベビーブーム世代が小中学生であり,我々のようなアホな小学生がわんさといたので,いわばノーブレーキ度胸試しのメッカであるこの五段坂では当時長い休みのたびに小学生、特に男子の交通事故が後を絶たず市内でも問題になっていた.

結局そのときはチキンな私が友達よりも先に早々にブレーキをかけ、友達はというと車ではなかったが、坂の中盤で道路を横断しようとしたおばちゃんを轢きそうになってレース中断となったという顛末であったため,私にとってはまさに勝負に負けて人生に勝ったを経験したわけだが、いずれにしてもあんまり良い思い出ではないと言い切ってよい.

基本的に西宮市内は上ケ原台地の下とそれ以外に分類されるので,台地の上や山手に住む人はあまり自転車に乗らない傾向にある.それは単に台地の下にあるスポットを訪れる場合,自転車だと行きはヨイヨイ帰りはなんとやらになるのを嫌ってのことであろうが,これに加えて台地の上や山手に住む人の富裕層の割合が高いというのも考慮すべきであろう.

当然の如く当時の富裕層のほとんどが自家用車を所有していたし,その家族の一員であれば行き帰りの送迎が車であっても何ら不思議はない.そのような事情が故にあの危険極まりないチキンレースに興じるのは決まって台地の下の輩達恰好よく言えばダウンタウンボーイであったように思う.それは単に地形的な背景の違いだけでなく,生活レベルの差異が生み出した雑草魂の為せる業であったのではないだろうかなどと考えてみるのも一興なんである.

さて、この五段坂はハルヒの中では坂の下りきったところの変則交差点がシーナリーに使われているので坂そのものは一部が映っているのみである.設定では撮影のときの池(新池)と鶴屋さんのうちの近所ということであるが、鶴屋さんの自宅についてはこの近所にはそのモデルとなった建物は存在しないようである.なお,西宮の歴史などに詳しいハルヒ聖地マニアの方々の間では鶴屋さんの名前のモチーフになったのが甲陽園の山手に昔存在した旅館+割烹料理屋のつるやから来ているという方がいるが,実は作者ご本人が鶴屋という名前が171号線沿いのつるやゴルフの看板から生まれたものであるとおっしゃっていて,その説が実際と異なることが既に明らかにされている.

しかし誠に天邪鬼なことに私としてもこの鶴屋さんの名前の由来があのつるやであって欲しいと今になって思ってしまったりするのである.実際のつるやはこの五段坂や新池から北に歩いて30分程度かかるほど離れた立地ではあったが,現在は店がたたまれマンションになっている.このつるやは大正から昭和にかけての甲陽園のレジャーランド時代からの旅館+高級料亭であったようで私が西宮に在住していた期間もまだ営業していたし,西宮の中でも指折りの有名店であったようだ.場所は甲陽園から阪神バスで1つばかりバス停をいったところで,丁度つるやの前にバス停があったので車内アナウンスでもつるや前ですとコメントされていたと記憶している.そんな由緒正しいスポットであったつるやが鶴屋さんの名前のモチーフになっていたとしたらもっと良かったのにと思うのは私だけではないはずなのだ.といっても事実は今更裏返ることはないので,真実はつるやゴルフのほうであるとご紹介するしかないのは少し残念に感じてしまうわけである.

一方の新池は五段坂から歩いて5分程度のところにあるので,ストーリー的にも聖地めぐり的にもリーズナブルな設定といえる.この新池は廣田神社の極々近所であり,なおかつ小説でアメフトの試合をした設定になっていると言われている市立西宮高校がそのほとりに建っていたりする.実はこの市立西宮は北高のそれからは想像できないほど当時との変貌を遂げていて,まずその校舎は震災で全てが新しくなり,その学校としての品質に関しても格段に向上しているのである.というのも総合選抜と言われる押しなべて普通の高校しか出来上がらない受験システムの上で長らくのんべんだらりとゆとり教育を繰り広げていた両校であるが,総合選抜で無くなったとたんに市立西宮高校はその特殊性を売る方針を打ちたて,文武とも優秀な生徒の寄せ集め高校に今となっては変貌しているのである.

昔は想像できない事であるが,入試の偏差値レベルや進学先などについても西宮市内では群を抜いているし,サッカー部などは群雄割拠著しい兵庫県の全国代表になったりしている.こんな状況であれば私も時分の親父が教員として所属していたとしてもこの市立西宮高校を目指していたかな?なんて思うのだが,恐らく今そうであったならばあまりの高レベルゆえにチキンな私は目指せはしなかったかもしれないなどと思ってしまうほどなのだ.

ハルヒアニメに登場している肝心の新池についてであるが,この池についても震災前後で大きくその容貌を変えてきたようだ.震災においてはこの池の西側の堤防が決壊したようで,直接水害は出なかったようであるが,その池の水がほとんど無くなってしまったと両親から聞いたことがある.その災害防止の考えからか,この池の堤防は当時に比べるとかなり強化されているようである.また,その東側を囲む市立西宮高校に延びる道路についても以前は池に張り出した部分があるほどであったのに,今では池と道路の間にかなり広い敷地が設けられていて,土砂崩れ,堤防決壊などの災害を防止する工夫がなされている.また朝比奈さんが池に嵌ってしまう桟橋についてもその市立西宮高校のグラウンドに面した側から伸びているが,昔だったらそこに行くためのスペースはなかった.そんな昔との際を感じながらハルヒアニメを拝見するのも私にとっては貴重な思い出に浸るきっかけになり得たりするのである.

なお,またかと思われるかもしれないが,この新池には立ち入り禁止のエリアは本当の池の際以外にはない.小説やハルヒアニメではフェンスを壊して(?)無理やり入ってしまうようになっているが,この点は実際の新池と矛盾する.そういった点から小説で谷川さんが思い描いた池というのは甲陽園小学校がほとりにある大池のほうなのではないかとしつこくアピールしてしまったりする私なのだ.

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