廣田神社

ここ廣田神社はハルヒアニメには映画のロケで登場するが,そこへのアプローチや見晴の良い展望スペースなどは実は甲山山麓にあり森林公園からも近い神呪寺(かんのうじ)のものが使われており,一行が休憩を入れる茶店もそちらのものである.神呪寺については確かに境内に入ったりしたことはあるが,それも1度か2度であり今となってはあまり記憶にないので,ここでは廣田神社についてのみを対象とする.

廣田神社はいわゆる西宮(にしのみや)の地名の起源となった神社である.にしのみやとは京都から見て西にあるお宮さんのことであり,あまり事情を知らない人たちは西宮戎神社(にしのみやえびす)のことが京都の人からにしのみやと呼ばれ,それがにしのみやの呼称の起源になったと言ってはばからない.しかしこれは1割正解,9割不正解であるといわざるを得ない.実はこの広田神社は創建が3世紀,西宮戎神社は広田神社から分祀されたという経緯から考えてもまさにこの廣田神社がにしのみやの語源であるということがわかる.まあ今となってはどこがどうのという限定はできないかもしれないが,古来よりにしのみやにはこの広田神社から分祀したものを含めて相当多くの神社が存在しいていたことを考えると正確には廣田神社を中心として存在する神社群が語源であると言っておいた方がよいのかもしれない.

なお,現在は京都から西宮に向け国道171号線という国道が伸びていて,ここは未だに地元では西国街道と呼ばれる.西宮が京都から西の地域に移動する要衝としての役割を長く果たしてきた名残であるが,これがちょうど廣田神社の南500mぐらいのところを北東から南西にかけて横切っている.その街道は廣田神社の参道を横切ったあと札場筋という通りを経て今よりももっと北に位置していたであろう海辺に到達していたといわれている.いわば京都から最も近い海辺がこの西宮の浜であったわけである.江戸時代以前は京都から江戸への交通はそれほど盛んではなかったことから京都から西方への交通が重要視されていた時代,特に西宮が当時陸路・海路いずれにせよ交通の要であったことを意味するのだ.

さて廣田神社の由縁もwebをちょっと調べればさまざまな文献が出てくるが,神功皇后というお方の大阪湾から上陸するための重要な局面を馴れ初めとし,その結果国土の安泰外難の護りということで祀られたというのが創建の経緯であるのことである.また略記によると廣田神社は兵庫県下第一の古大社であるとされている.ここは今回重要なポイントとして声を大にして言いたいところだ.

なぜそんなことにこだわるかというと,昔からこのような事実に地元の小学生たちは早々に気づくという事実があるからである.それもだいたい1月.1月というとプロ野球はキャンプインの直前である.各球団は選手の都合もあるのでキャンプ前は行事を行わず,直接キャンプ地に集合したりするのであるが,阪神タイガースは必ずこの廣田神社に球団関係者と主な選手たちが優勝祈願を詣でてからキャンプに出発するのである.

当然地元の子供たちはそのニュースがテレビで報じられるといつものなじみの神社にあの阪神タイガースの面々が参拝しているところを見て疑問に思うわけである.ほかに大きな神社が周辺にはいっぱいあるというのにいったい何故廣田神社なのか?ということを親や周りの人たちにおのずと尋ねる.すると親兄弟からえべっさんより廣田神社のほうが古いから霊験あらたかなんやと大概のケースでは教わることになるわけだ.

従ってにしのみやの語源は間違いなく廣田神社と言えるのであるが,私の場合廣田神社にもう少しこだわってみたい理由がある.廣田神社は創建時のロケーションは不明とされているが,少なくとも室町時代以前の所在は高隈原という地にあったとされており,それが当時私の住んでいた場所近辺であろうという説が有力なのである.同じ高で始まる地名の現在の立地に極めて近い高座町がそれという説もあるが,地形的にここだとすると,この周辺で蛇行している御手洗川という川を渡って参拝せねばならず,当時の技術では度々の氾濫に耐えるだけの橋を架けることが非常に難しかったことを考えると当時も参拝者が絶えなかったであろう大きな神社のロケーションに高座町は不適であろうということになり,私は前者の方を信じてやまないのである.

この説を知ったのは私が小学生の頃である.その当時地元の子ども会の行事で近所のお宮さんを掃除するという当番があったので,そのときに子ども会の役員のおっさんに教わったのが始めである.そのお宮さんは風神社(ふうじんじゃ)といって小さい路地の坂を上がりきる直前に住宅と住宅の間をすり抜けてようやっとたどり着ける地元の人間でもあまり知らないようなお社であった.まあ住宅の間に挟まっているようなお社であったこともあり,別に神道に傾倒しているような環境も身の回りにない普通の小学生であった私は,いわば義務感のみでそのお社の掃除を友達とふざけながら行っていたわけだ.しかしそのおっさんはこのお社はエライお社やから気合入れて掃除せなアカン.なんせ廣田神社の元になったお社やからな.といったのである.

そのときはまさかそんなはずはないと思ってうちに帰ったのであるが,その後しばらくして市史だったかを図書館で読んでみたらこの地が昔六軒新田の上高隈ノ原と表現されており,そこに室町以前には廣田神社があったという記録があることがわかったのである.その当時単純な頭脳しか持ち合わせていなかった私はこの事実だけで風神社が廣田神社の本殿であるかのような勘違いをしていたのであるが,直接的に言うとそれは間違いなのである.しかし要は廣田神社が今の廣田山に遷宮したときに何かしら元あった場所に残していったそれが風神社の起源なのではないかと考えてもおかしくはない.確かにその気になってみれば風神社の石の祠はこれ見よがしに室町以前の佇まいを醸し出しているし,そもそもこんな辺鄙な場所で永きに渡りこのような小さなお社が維持管理されてきたことに奇跡に近いような感覚さえ覚えるのである.

ちなみに廣田神社がお社の場所を現在の場所に構えたのは意外にも戦後であるとのことである.それ以前は現在の本殿の左手に広がる廣田山にあったそうであるが,戦災にて消失し現在の位置に再建されたのだそうだ.で,その前の話も実はあるようで,現在の廣田神社は長い参道を南からアプローチしたにもかかわらず本殿へは真っ直ぐに参ることは出来ず,鳥居の前で西に向かって参道が折れ曲がっている.これは江戸時代あたりに遷宮したときにこの参道を真っ直ぐ行った先に本殿があった名残であるらしい.どうも先述の御手洗川の氾濫で度々被害があったのを嫌って小高い廣田山に遷宮したようなのだ.ちなみにその今はなき本殿があった場所というのがシャミセンをつれてキョン君が訪れたホームセンターのある辺りなのである.これまた奇遇というかなんというか.

それ以来私は私の過去の実家近所に廣田神社あったはずという考えを信じてはいるのであるが,私の廣田神社贔屓に関して言えばほかにもうひとつあるのでそちらも紹介しておこう.私の親父が教員をしていたことは前に述べたとおりであるが,この教員住宅がこの廣田神社の参道脇にあり,私は生まれてから3歳までをここで過ごした.廣田神社の参道というのは所々に灯篭が立ってはいるが,それ以外は未舗装の土むき出しの松並木道であり,無愛想この上ないものである.私にとってはその脇に住んでいた時期はあまりに幼少であったため記憶はあまりないはずなのだが,いまだに廣田神社の参道を歩けば自然に懐かしい感覚を覚えるのである.

なお私が高校生のころは元旦は必ず廣田神社に初詣していた.ただこの参道は通らず北側から廣田神社にアプローチしていたため,在住していた頃にこの参道を歩くことはほとんどなかった.今は実家が引っ越してやや南下したため,正月に帰省したときにはちょうど参道の入り口から廣田神社にお参りすることになり,このような感慨にふけることもできるようになったわけだ.

ちなみに初詣の時期はお守りの売り子やなんかで巫女さんのバイトを雇うので,大体最寄のうちの親父が勤務する高校の女子生徒が一人二人お守りや破魔矢やおみくじを売ったりしていた.毎年毎年今のご時世ではアニメ萌えキャラの定番である巫女装束の女子高生とごゆるりと談笑するわが親父殿を見て,当時まだそんな言葉はなかったもののイマドキ的に表現すると萌えすぎやろ!と毎年毎年突っ込みを入れたくなったのも今となっては良い思い出なのである.

ちなみにうちの親父の高校は毎年夏の甲子園の開会式などのプラカードガールを輩出している高校であり,毎年高校野球の開会式を見て,ああ○○ちゃんやんか,おおっ△△子ちゃんもここにおるわ〜と知っている女子生徒が画面に映るたびに下の名前を連呼してそれはそれは煩かったものだ.確かにこのプラカードガールには一応校内でオーディションがあるらしく,その高校の中でもある程度のキレイどころが選出されるというのが慣わしであったようであるが,あんまりにも親父殿が毎年うるさいのでオカンもあきれてしまい,ついにはうちで甲子園の開会式をテレビで見ることが知らず知らずのうちにタブー扱いになってしまっていたりした.つくづくうちの親父殿は萌え好きな高校教師であったものだと思うとともに,よくぞ犯罪に走ったり,今で言うセクハラ問題に発展しなかったものだと今になって胸をなでおろしていたりする私なのである.

なお,境内は初詣の時期は人でごった返すが普段はほとんど人が訪れることはなく,写真部であった高校時代はよく写真を撮りに境内をうろついたものである.もちろん鳩に餌をやることはなかったが,いきなり神主さんが現れることもないだろうということでハルヒたちとは違ってかなり自由に創作活動に打ち込むことが出来たものである.

ともあれ,私の廣田神社好きは今に始まったものではないので,この先々とある京アニの聖地である鷲宮神社のように何十万人もの人を初詣に招くような効果がでればいいのになんてことを思ってみたりする昨今なのである.

KEN-Z's WEBのトップへ NEXT