夙川公園

夙川公園はその名の通り六甲山系から流れ出て大阪湾へ流れ込む夙川の堤防を利用した先述の銀水橋から河口までの範囲の公立公園およびその付帯エリア,設備の総称である.銀水橋まではかなり高低差がある事もあり,公園としての整備は行われておらず,また銀水橋から甲陽線の鉄橋までは交通の便もあまりよくなく,堤防として十分なスペースもないため遊歩道はあるもののあまり訪れる人は少ない.一方住宅地に対して河川の水準が高い甲陽線の鉄橋あたりから河口までは最大10m程度のの堤防が設けられており,堤防の上に広いスペースが確保されている.そこにはほど良い間隔で桜の木と松の木が植わっており,春には阪神間でも有数の桜の名所として知られている.

実は私はこの夙川公園を小学生の頃からこよなく愛しているので,どうしてもこのように単独でコーナーを持たせたかったりする.私の西宮に居住していた頃はまだ川の水もほどほどに汚く,せせらぎと呼ぶにはふさわしくなかったが水の流れる音と水面に跳ね返る光の模様などを見ながら過ごすひとときというのは桜の季節のみならず,至福の時であったわけだ.

ハルヒアニメの中では,この公園は朝比奈さんから告白を受けるところや映画ロケで比較的頻繁に登場したりしている.聖地巡礼のレポートをしている方の中には西宮北口から比較的近いところを流れている御手洗川(東川)があの川ではないかと考察する方もいるようだが,シーナリー的には確かにこの夙川があのモデルであるといえる.まあ西宮北口から夙川公園まで簡単に歩ける距離ではないので,そう考えるのも無理はないが2級河川と3級河川を間違えてはそれは失礼というものだろう.(意味不明コメント)

その朝比奈さんとの会話シーンであるが,確かに河原に向いて座るベンチは落ち着いて話をするには最適であり,私も中学時分にはこのベンチに座って女子と二人座って長々と話し込んだりすることを夢見たりしていたものである.実際このエリアが通学圏内である北高に通いだしてからは通学があまりにも過酷で,とてもこんなところまで足を伸ばして語り合おうなんて気は起きなかったし,女子と肩を並べて帰ることも結局なかったので結局それは夢のまま果たされず現在に至っている.

まあ女の子と並んで座って自分が特殊な人間であると打ち明けられるのがいいか,そんな経験がないほうがいいと考えるかは消失以前と以降のキョンくんの心境の変化を生むような衝撃的な出来事でもないことには私にも受け入れがたいことだろう.ただこの夙川公園というのは桜の咲き乱れていない季節というのは実に落ち着いた佇まいを醸し出しており,桜が散ってから初夏までの季節などはひときわのどかなのである.

そういえば写真部であった私はそのような季節の土曜日の午後なぞは通学路から外れて写真を取りに出かけ,創作活動に飽きたらそのベンチでぼけーっとしていたり,果てには少し寝こけてしまったりしていた.確かに小学校の頃から写真というと何かとこの夙川公園に来ていたような気がする.まず小学校の頃は,休みの日などはこの夙川を下っていき,国鉄(当時のJR)の鉄橋のところで撮り鉄を決め込んでいた.実はこのポイントは当時から撮り鉄の間では有名なスポットであり,夙川陸橋(略して夙陸:シュクリキ)と呼ばれていた.

上り方面にカメラを向ければ周辺に高い建物もなく,4本の線路が真っ直ぐに伸びているところ遠くまできれいな列車の前景がファインダに収められ,下り方面にカメラを向ければ比較的曲率の高いカーブに差し掛かって少々傾いた迫力のある写真が取れるので,東海道線の関西地域では山科,山崎と並んで見渡しの利く有名な撮影ポイントなのであった.未だに当時の鉄道写真を紹介している方々のwebでこの夙陸で撮影したと思しき写真が多く紹介されていたりするので,見かけるたびに懐かしい思いをしながら拝見させてもらっているのは私だけでないだろう.

当時の私のカメラはというと,何かの景品かなんかを譲り受けた安いポケットカメラだったりして,さしていい写真なんぞ撮れないはずだったのだが,友人が行くというのに付いていったり,一人で自転車でぷらーっと訪れたりかなりな回数この夙陸に通った.当時まだフィルム代やDPE代は高く,写真が撮れないときは線路際の金網にあごを乗せてボーっとしていたり,なんとものんびりとしたときを過ごしたりしたのである.今思えばあの長い時間でさえも特に珍しい列車が通るわけではなく,単に走り抜ける列車を見てどこかに旅をしている自分を空想するような帰来があったのではないかと思う.で,結局鉄道ファンというにはあまりにも投資が出来なかったこともあり撮り鉄にははまることなく,高校では単なる旅好きな写真部になってしまったわけだ.

ちなみに小学校の時期というのは西宮に再び戻ってからの4年生以降ということになるが,それ以前もこの公園を私は訪れていたようだ.全く私の記憶にはなかったのだが,その前に西宮に在住していた3歳までには何度か訪れたことがあるようで夙川公園で写した写真がうちに残っていたりした.4年生になって久々に散歩がてら夙川公園を訪れた際にはその写真の印象が残っていたからだろうか,ずいぶんと懐かしい感覚を覚えたものである.ただ,それが実際の記憶ではなく写真を見ていたからというのであれば,少し寂しい気もする.所詮子供の記憶力なんてそんなものであろうか.

最後に夙川公園といえば桜ということで桜の時期の話を紹介しておくべきだろう.私の知る限り夙川公園の桜が秋に咲くようなことはなかったと思うが,春の花見シーズンには程よい人並みにまぎれながら夙川駅〜苦楽園口駅の区間をそぞろ歩くことで散歩がてら花見が出来る.的屋さんも三々五々出店しており,それなりに楽しめるレジャーといえる.なお桜のグレードというのがあるかどうかは分からないが,当時の私の経験からいくとこの夙川公園の桜は一番見ごたえのある桜であったと思う.

ちなみに私は関西人でありながらも関東に出てきて久しいが,関西の場合はブルーシートを広げて花見というのはあまり主流でないような気がする.確かに以前関東出身の人に造幣局の通り抜けをした人の感想を聞いたら,何あれ?という感じだったそうである.まあ関西の場合みんな集まって見んでもそこらへんに桜なんか咲いとるやろが的な考え方でわざわざ雨や暑さ寒さを気にしたりせずに桜を楽しむのが乙なのだろう.谷崎潤一郎さんの細雪を映画化するときにもその都度まさにそのような桜の咲き乱れる中を歩く姉妹のシーンが登場したり(あれはお隣の芦屋だが,あの4姉妹も商店街のプロモートとして萌えキャラ化されていたりする)しているし,花の咲き乱れる中を歩くことがまるで昔から関西のトレンドであり続けてきたかのような感覚も覚える.このような昔からの考え方の違いが花見のスタイルに違いを生んでいるのかもと思ったりするのである.

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