まず涼宮ハルヒシリーズについて調べてみた

一大決心の末に涼宮ハルヒのアニメを見ることを目標に据えたわけであるが,まずアニメに慣れるという目的の中でターゲットを明確にしておかなければなるまい.アニメに対して惨憺たる印象を持ったままいきなり本命の涼宮ハルヒを見た日には特にその内容を気にすることなくシーナリーを懐かしむ素材としてしか見れないこと間違いなし.せっかく人生の大きな転機(大げさ)なのだからしっかり筋道立てて望むべきである.まず自分にとってアニメへの理解をしっかり構築していかなければいけないのだ.

まず涼宮ハルヒシリーズがどのようなものなのかを調査することにした.もちろん今のご時世簡単に斯様な疑問に応えてくれる最たるものがWikipediaである.さっそく”涼宮”とだけ入力し検索をかけたところ待ってましたとばかりの1ページ目にお目当てのWikiページがヒットした.その検索結果をクリックし難なく涼宮ハルヒシリーズの内容を知ることができたのであるが,それによると

・涼宮ハルヒはこの世のすべてを変えることができる神と同じ力を持っているらしい.

・語り部であるキョンくんは普通の男子高校生らしい.

・涼宮ハルヒは退屈な日常を変えるべくSOS団なるサークルを立ち上げ団長になったらしい.

・そこにはキョンくんのほか宇宙人と未来人と超能力者がいるらしい.

う〜む,こりゃかなり私の今まで触れてきたありとあらゆるメディアのストーリー志向から大幅に外れてしまっていて,一体どういったアプローチをしていいものか想像できない.幸いにも私のもっとも苦手としているロボットは未だ出てきていないようだが,それもどこまで信用していいものやら.私だって宇宙人いや宇宙生命体に関してはある程度理解しているつもりだ.こんな広い宇宙の中で,銀河系の片隅のどちらかというと小さな恒星の一惑星にある程度の文明を構築できた人類が何千億種もの生命とともに存在している地球という存在自体を単なる奇跡と片付けるほど私もアホではない.当然この広い宇宙に地球以外の生命体が存在する天体はゴマンとあることぐらい想像できるし,確率的にもそうあってくれないと今度は変な宗教がはびこってしまう原因にもなるがゆえに困るとさえ思っているぐらいだ.

しかしこのように地球外生命体の存在は肯定して止まない私でも,いわゆるUFOというものが宇宙人の乗った宇宙船であるという可能性は否定したい.だって何百光年も離れたところからそんなものに乗ってくるぐらいの高度な技術力や戦闘力を持っているならとっくに地球なんか征服されているだろうし,その宇宙船が人目につくようなヘッポコなことはしないはず.せいぜい遠隔操作できる衛星をよこして,それが人の目に触れるのがせいぜいだろう.それにアニメに出てくる宇宙人は人間の形をしていることが多いし,都合のよいことに日本語が喋れちゃったりする

自動翻訳装置があるからというご都合設定もありだが,それはありえない.日本人同士でさえも方言が少し関わっただけでも会話が成立しなかったりする.人間が地球上で利用できる自動翻訳機は膨大なバックデータによりやっと成立するが,文語と口語の違いがあったり,微妙な言い回し同音異義語などがあり,音声認識の実用レベルのものは未だない.百歩譲って喜怒哀楽が検知できるものぐらいは出来るにしても,それもまたその相手生命体の喜怒哀楽時の精神変化による代謝モニタに対しても様々な人種,性別,年代,地域別のこれまた膨大なるバックデータを収集してパターンニングを試行錯誤した後ようやっと正答率90%ぐらいの喜怒哀楽判定マシンなるものが出来上がるぐらいだろう.所詮人類と宇宙人のファーストコンタクトに役立つ代物には成りえないのである.

体格,動作についてももし人型でなかったとしても大体が地球で普通に自立歩行できるし,なんでこの地球の重力に対して人類と同じように運動できるのかそもそも不思議なのである.現に地球から微妙な距離といえど宇宙に飛び立った宇宙飛行士のみなさんが地球の大気圏外をたった何10周かしただけでカルシウムが急激に失われていったり平衡感覚を失ってその回復に数時間を要したりしているのに宇宙からの長旅ですぐに友達が出来ちゃったり,ジョン万次郎氏の味わったような長きに渡る文化交流の魁たる苦労や喜びがあるはずの部分をばっさり割愛したような設定.従ってアニメ以外でも言語道断的にいきなり襲ってこないような地球外生命体についての描写もやっぱり苦手なのである.大体ハルヒに登場するのも宇宙人だって言っておきながら,ヒューマノイドインターフェイスなんて怪しげな言葉で表現されているのだから贔屓目に見てもサイボーグの可能性だってある.

う〜む,こりゃ私には無理かも?

でもここであきらめるのはなんだか自分の可能性を否定するようで納得がいかない.40歳台の後半になろうとしている私がこの歳になって日々いろいろなことがどんどん面倒くさくなってきているのを最近になって自ら感じてはいるので,ここは逆に面倒くさいことにあえてチャレンジすることが自己改革につながると思うべきであろう.ましてや今や自己改革なくしては世の中に認めてもらうことさえもままならないご時世である.自分に鞭を打っていざ変革の海に漕ぎ出そうではないかなんて格好をつけてみたくなるギリギリアラフォーなのであった.

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