西宮北口-アクタ西宮-珈琲屋ドリーム

西宮北口の駅はハルヒアニメでも待ち合わせで定番の北口駅前公園で有名なモデル駅である.ちなみにハルヒアニメでは西宮という部分を除いて北口駅ということになっている.私自身も遠出するときは甲陽園駅よりも西宮北口を利用していた上,自宅の配置からしても北口駅前公園のある側から出入りすることばかりだったので,様々なシーンで登場する度非常に思い出深い感傷に浸れるのである.

まあ利用頻度が高かった理由としては自転車で家を出ていきなり登り坂を経て駅にたどり着く甲陽園に対し軽快に適度な下り傾斜を駆け降りて滑り込める西宮北口のほうが断然使い勝手がよかったからに他ならない.特に北高在学中以降はそれが顕著であり,それは通学時さんざん坂を味わい続けた日常からできるだけ遠ざかりたいといったいわゆる逃避願望の成せる業であったはずである.

とにかく通学で通過するのみであった甲陽園駅と比べ,実際駅として利用する頻度でいけば一番であった西宮北口.ここはまだ記憶が定かではなかった三歳までの西宮在住期間も相当な頻度で買い物に行ったりして,幼少の私にとってもすでに馴染み深いスポットであったようだ.その当時前述の通り広田神社の参道脇に居を構えていた我が家は当然車なんかもなかった上,まだ幼い私がいたこともあり,買い物するにもそんな遠出することもなく,専ら高座町にあった広田ショッピングセンター(多分そんな名前だったと思う),阪急電車の高架下にあったフタバショッピングセンター(こっちもかなりうろ覚え),もしくは少し足を伸ばして西宮北口の灘神戸生協や駅の北東に広がっていた市場に行くぐらいがせいぜいであったようだ.

ここで登場する最も古いスポットというと北口駅北東に広がっていたその市場ということになるが正直この市場の幼少時の記憶というのは皆無であるので,当時さぞやにぎやかしかったであろう様子というのは私にはご紹介出来ない.ただこの市場には北高の在学中の思い出があったりする.大体今まで読んできて私の高校時分の行動パターンを把握している賢明な方々はもうお分かりかと思うがその通り写真である.

北口市場自体はその当時すでに駅の北東の商店街や南西にあったニチイなどの新興勢力に客足を奪われる一方で,すでに日曜日であっても約半分の店がシャッターを下ろしていた.多分年末の市場ということで本来ならば活気に満ちているはずの黒門市場なんかに行った方が実りの多い撮影になったはずであるが,なぜだかそのときは北口市場に何か題材が転がっているような感覚を覚えたため,自転車を転がしふらふらと北口市場に足を踏み入れたのを記憶している.

そのときには結果的にはたいした写真は撮れず仕舞いであったと思う.というのもめっきり寂びれてしまった市場である.人通りもまばらな中一見さんのカメラを携えた高校生がプラプラしていてはそれだけで場違いなイメージであり,注目度は高い.ただでさえじろじろ見られているのに,写真とっていいですか?と当時ウブであった私はなかなか聞けなかったのである.人通りが多ければドサクサ紛れに被写体に断ることなくシャッターを切ることも出来たであろうが,閑散とした市場ではそれは無理であり,結局閉まっている店やその周辺のガジェットや古い看板,裏通りの古い町並みなどを写真に収め,その日の撮影は終了したのである.

結局のところその写真は自分にとってはあまりにも撮影時の敗北感に苛まれたイメージが強く,一枚も焼付けすることなくネガで保管するのみになったと記憶しているが,後になってその北口市場周辺が震災およびその後の火災の被害によりほぼ壊滅してしまい,自分にとって印象深いそんな風景も一瞬にして失われてしまったことを報道で知ると,おのずと涙が頬を伝ったのを鮮明に記憶している.

今は北口市場のあった一帯は大規模再開発の対象となり,10年以上経った今となってはそこにアクタが建設され,再び別の形での喧騒を取り戻している.ちなみにハルヒアニメのエンドレスエイトにおいて3人が浴衣を買うショップは実際アクタの中に存在したものである.私も帰省した際何度かアクタを訪れたことがあり,その際に何度かこの和装店の前を素通りしたことがある.この語尾が過去形なのは理由があって,その店も今年の夏に残念ながら閉店してしまった.またアクタ内のほかの店舗についても閉店するものが最近になってちらほら現れだしたのだ.理由は簡単であり,駅の南東側の西宮スタジアム跡の再開発で阪急百貨店などを擁する阪急西宮ガーデンズなる大型商業施設が生まれて客足をそちらに奪われたからに他ならない.北口市場に端を発した駅の東西南北の目まぐるしいばかりの栄枯盛衰はこのように遠く離れて暮らす私にとっても未だに興味深いものであり続けている.

しかし思い出してみればそうなじみが深かったとは言えない北口の北東界隈であるが,1軒だけ強烈になじみ深いスポットが私にもある.当時駅の北東側には小さい曲率ながら今津線と神戸線を結ぶ線路が通されており,準急の運転時はこの線路を使っていた.このため北東側には改札が設けられておらず,南東側の改札から伸びていた地下道を通り,北東側に辛うじて達することが出来た.その階段を上がったところのすぐそばに北京食堂という中華料理の食堂があり,外食の機会が比較的少なかった私にしては高校生時分までは頻繁に訪れた.私としては物心付いた頃からここの餃子とやわらかい焼きそばがお気に入りであり,幼少の頃から毎回そのコンビを頼んで私的には贅沢を楽しんでいたものだ.やわらかい焼きそばというのは今で言うあんかけ焼きそばのような感じで,太目の麺にとろみがかったタレと豊富な野菜と程よく脂身を含んだ豚の切り落とし肉の入ったややボリューム大目の焼きそばであった.ここのおばちゃんが,その焼きそばを頼むたび,厨房に向かってやろこい焼きそば一丁〜と声高に叫ぶのもささやかな楽しみであったのを今でも鮮明に記憶している.

さて,ハルヒアニメで比較的多く登場する駅の北西に話題を移そう.北西側の最も登場回数の多いスポットといえば北口駅前公園であるが,あのアニメに登場する形になったのは私が関西を離れてからのことではなかったかと思う.私が北口駅を使っていた頃は自転車の駐輪場が今津線の駅に添う形で存在していたので,そこから駅の改札までの道すがらでは正直あまりこの駅前公園を通過することもなかったが,ささやかな記憶をたどれば当時はH鋼で組み上げたあのような明確な造作物はなかったし,こぎれいなベンチもなかったように思う.

あの形になってからは帰省の時に度々真ん中を突っ切って歩いて通過することはあったが,あのような形になっていると認識を改めて通過したことはないので正直いつごろあのような形になったかは明言できない.実は今年の正月帰省時に実家への道すがら何度かあの公園を通ったのであるが,あいにく夏の間にリニューアルされたらしく,あの形の公園ではなくなってしまっていた.といってもその時期はまだアニメへの体慣らしをしていた時期であって,ハルヒアニメにあの公園が頻繁に登場することも知らなかったので,特に注意することもなく素通りしたような感じであったが.従って私としてはあの公園のレイアウトは実のところ最もなじみが浅いものであるといわざるを得ない.

ちなみに大学の在学中には長い休みがあればひとまず生活費の節約のため帰省するようにしていたが,自宅で暇にしていてもしょうがないので,その都度短期のバイトを入れるようにしていた.時折ほかのバイトを入れたこともあったが,大概は当時この駅の北西に位置していた灘神戸生協西宮北口店の店舗で商品出しのバイトをしていた.バイト代はそんなに高くはなかったが,休みの間だけということでスポット勤務を受け入れてくれるところがあまりなかったのと,そこでバイトしている限りは親もうるさくなかったので,冬休みなどの短い休みなんかもちゃんとそこでバイトしていたりした.

店舗の休みがウィークデーであったので,長い夏休みなどは友人たちと金曜日,土曜日の夜には飲んだりするので,その翌日は二日酔いであったりした.昼食は職員用食堂があったのでそこで食べることが多かったが,二日酔いのときは職員用の食堂は重すぎるということで,周辺の店で昼食をとり,なおかつそこで休憩時間中時間をつぶすことが多かった.こんなときはあまりたくさん食べたくないので喫茶店がありがたいのであるが,その当時私のような学生が気軽に入れそうで時間をつぶせそうな喫茶店というと,あまりなかった.しかし1店だけそのような店があって,何度か利用したことがある.それはハルヒアニメでも有名な珈琲屋ドリームの位置にあった喫茶店である.

どうにも歯切れの悪い表現ではあるが,これは致し方ないことである.というのも当時の私は二日酔いで喫茶店の名前を記憶できるほどの状態でなかったし,軽食を摂ってひたすら店内で爆睡するようなこともしばしであったので,アニメを見ていても店内の様子が当時と似ているかも?という程度にしか思い出せないのだ.しかもその珈琲屋ドリームが私がバイトしていた頃(87〜88年)に既に営業していたかどうかも定かではない.従ってここは謙虚に表現するべきなのだろう.(追記:2009年の神戸新聞の記事に開店して23年とあったので,ちょうど86年か87年にはやはりあのお店はドリームだったということがわかりました.)

なおその珈琲屋ドリームにはハルヒファン達向けのノートが置いてあり,以前そこに谷川さんが入学したときの唯一の文芸部の先輩であった方が書き込みをしたと新聞に記事が載ったそうだ.その文面たるやなんとも心温まって止まないものであったのだが,想像力のたくましい一部のファンの方々はその人こそ長門のモデルではないかなどとイメージを膨らませていたりしてちょっと出来すぎではないか?などと思ってしまったりもする.でも少なくとも一人しかいない文芸部のイメージというのはそこから来ているとぐらい考えてもいいかなとか思ってしまうのも私のミーハー属性のなせる業なのだろう.

そういえばこのwebも偶然何名かの北高OBの方が見てくれていて,このハルヒコーナーの突然の登場に驚き,ゲストブックに書き込みをしてくれたりした.在校年代は違っていたが,確かに記憶を共有できる人たちが,このwebを以前から贔屓にしていてくれたことは奇跡のようにも感じる.結果としてそのような方々と少しの間思い出話に花を咲かせることが出来たことは,既に私の中でこのコーナーを書いてよかったななどと自己満足に浸るきっかけになっていたりするのである.

さて,話をまとめよう.西宮北口という駅は今となっては路面軌道を除く同一会社の常用旅客鉄道路線で見ることはなくなったダイヤモンドクロスと呼ばれる平面交差を有していた.ダイヤモンドクロスは軌道を車輪が通過する際の騒音がひどく,私の昔の記憶の中では西宮北口はその騒音もあって常に喧騒に包まれていた印象なのである.その東西南北に野球場,大規模商業施設,市場,商店街,阪急電車の車庫など様々なスポットが存在しており,駅の内外を絶えず人が行き来していたのが西宮北口であった.丁度私が高校を卒業するころにそのダイヤモンドクロスは運用されることがなくなり,今となってはあのような喧騒は収まったように感じる.震災の影響もあり,多くのスポットが様変わりしているが,その中で最も当時の様子を残しているのが駅の北西側であり,ここを集合場所にした谷川さんの思惑の中にも,当時を懐かしむ気持ちがあったのではないかなどと詮索することで,自分も思い出に浸れるのが幸せでもあるハルヒアニメなのである.

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