西宮中央運動公園

ハルヒアニメの草野球シーンでは前述の通り朝比奈さんと鶴屋さんのエンジ色ジャージに感動した私であるが,そのシーンで登場した野球場もすでに聖地として取り上げられているので,今回はその野球場を含む西宮中央運動公園やその周辺で語ろうと思う.

まず草野球ネタということで,私の野球への取り組みも紹介するところからはじめようと思う.まず私の小学生低学年時代に話しはさかのぼる.当時の私の自宅は宝塚の逆瀬川のこれまた山際の団地にあった.その当時はモダンな造りと言われた団地であるがいわゆる住環境の効率性を過度に求めた結果,建物どうしの間隔がせまく公園はあるにはあるのだが,遊具が二三立て込んでいるところへ来て砂場があったりするもんだから一般的に言われるところの球技という球技は片っ端から不可能.近所で広場というと駐車場ぐらいなわけで,そんな地理的悪条件の中で可能なのはキャッチボールぐらいだった.

したがってその当時はグローブもバットもあるのに一度も試合を経験することなく四年生で西宮に引っ越すことになったわけだ.まあ西宮の引っ越し先はそれほど平地が有り余っていたわけではなかったが町内に一応子供が草野球に興じることができるくらいの空き地があり同級生あたりが毎日学校が終わってから飽きもせず草野球に興じていた.まあ元々参加人数が少なかったのとまわりからすれば転校生が珍しかったのもありそのメンバーにめでたく編入されたのである.

しかし世の中そんなに甘くはなかった.今までキャッチボールしかやってこなかった奴がバッティングは当然のことながら守備さえもいきなり小学校入学以来毎日毎日鍛えられてきた同級生たちの満足のいくレベルになるはずはないのである.一応ルールはちゃんと把握していたのでギリギリ迷惑をかけないレベルには踏みとどまってはいたものの,それまで転校生としてちやほやされてきたというのに2日と経たないうちに味噌っかす扱いを受ける羽目になる.

それでも加入2日目からいきなりスピンアウトしてはそれ以降の人生それっきりスピンアウトしてしまいそうだったので,しばらくその土俵際で野球を続けることにした.で小学生の学習能力というのはなかなか想像を絶するものがあり,そんな私でもスキルが徐々に向上して来た.バッティングがそこそこできるようになり,守備も外野からバックホームで刺せるほどになったのである.まあそんなに大きな外野でもなかったので当たり前といえば当たり前であるのだが.

しかしそれもつかの間今度は自分の体の変化が悪影響を及ぼし始めることになる.近視が急速に進んでしまい,外野の守備でミスが多くなってしまったのだ.それまでは人様に迷惑をかけないギリギリでやってきたのに,これでは私のポリシーに反するわけだ.結局その近視の進行はいかんともし難く,泣く泣く草野球チームから自らスピンアウトしたのだが,今になって考えればメガネを早く作ってしまえばよかっただけの話しではないかと思う.

とまあこんな私も子供会の行事で最年長である6年生の頭数合わせで他の子供会とのトーナメント戦とかに出場したりした.相変わらずライトで打順も7番とかだったと思うがそのフィールドというのがまさにあの市民野球場なのであった.あの日はすでに毎日の草野球には顔を出さない生活にどっぷりはまっていたので,守備でミスをしでかさないかドキドキしたもんだ.結局私にもミスがなく,草野球皆勤賞ものの輩の活躍が功を奏して二回戦まで駒を進めることが出来たが,試合数が増えれば増えるだけミスの確率も増えるわけで精神的苦痛に一人顔を歪めていたように記憶している.もし私に閉鎖空間を発生させてしまう能力があったならば,あの試合中はかなり広範囲に閉鎖空間を発生させてしまっていたに違いないが,幸か不幸かそんな能力は私には備わっていなかったのである.だから上ケ原パイレーツを撃破したものの二回戦の出場権を返上してしまったシーンを見てちょっとうらやましい気持ちになってしまったりするのは恐らく私だけなのであろう.

あとこの野球場の横には陸上競技場やテニスコート,体育館が併設されており,これらを総称して西宮中央運動公園と呼ばれている.幼少のみぎりより私はテニスなどといったハイソなスポーツに勤しめるような身分ではなかったし,夕闇迫る陸上フィールドを感傷に浸りながら疾走するような青春イベントもなかったので実際運動という分野でここにお世話になったことはなかった. しかしよく思い出すと西宮に越して来てから毎年秋になるとこの陸上競技場で子供会の合同運動会のようなものがあってそれには顔を出していたような気がする.運動会そのものについてはあんまり記憶がないが確かにトラックの周りの観覧エリアの傾斜した芝の上で弁当を食ったのだけは覚えている.

この記憶は今の今までこの30年以上全く思い出せていなかったにもかかわらず,あのエンドレスエイトの夏祭り風景を見たとたんにふっと私の記憶野から一気に姿を現した感じで,まるで記憶の一本釣りに成功したような感覚がしてその時はずいぶんと奇妙に感じたものである.そもそも人間の記憶というのはちょっとしたきっかけさえあればかなり奥底に沈んでしまったものでも容易に引き出せることがあるそうで,是非とも日ごろ記憶で勝負するようなときにはあやかりたいものなのにこれがタイミング的にはなかなか難しいというわけなのだろう.最近ではそんな記憶のてぐすが随分と寸断されているようで,いろんなものが思い出しにくくなってきたりして寄る年並みにはかなわないと痛感するしだいなのである.

ちなみにこの西宮中央運動公園はエンドレスエイトの盆踊りのシーンでも何度か登場する.この盆踊りのシーンは運動公園の陸上グラウンドが会場として使われている場合と,野球場そのものが使われているケース,もしくは所在不明なより狭い街中のスペースが使われているときと何種類かバリエーションがあるので,エンドレスエイトの中でも違う盆踊り会場に行った設定というのをここらへんの違いで表現しているのかなとも思う.

実際私の在住していた期間この運動公園を利用しての夏祭りなるものがあった記憶がないのだが,どうも西宮球場で通常行ってきたのが,球場のクローズで1年だけこの運動公園の運動場を利用して夏祭りが行われたことがあったらしい.それが丁度谷川さんが小説の原稿を起こした当時と重なったとのこと.なんとも数奇な運命のめぐり合わせによってこの運動公園がモチーフにされることになったのだなあとちょっと感動してしまったりする私なのだが,残念ながらそれゆえにこの運動公園での盆踊りや夏祭りの思い出を語ることはできないのである.

なお私の子供の時分ももちろん近所で盆踊りはあった.確か子供会と自治会の合同開催であったと思うが,例の草野球場を利用したものであり,規模的にも内容的にも極めて月並みなものであった.

当時の私の志向からして大人の言うがまま盆踊りに勤しむまじめさも持ち合わせていなかったので大概子供会の出店の担当で金魚すくいや綿菓子の番に精を出していた.残念ながらお面やさんの出店はなく,ハルヒのような浴衣姿の女子校生が金魚すくいにやってきたりもしなかった.あのエンドレスループがあと一万回ほど多かったならばそんなめぐり合わせもあったかもと思ってはみたが,あれ以上長門に負担をかけるわけにはいかないなどと要らぬ心配をしてしまう私が少し悲しい.

さて,運動公園から少し離れることになるが,せっかく野球の話になったので,北高の野球部はどうだったか?とかも少し触れておこう.確か私の在校期間は夏の予選で2回戦か3回戦までいくかいかないかって感じであったと思う.でも西宮という土地柄か予選大会なのに甲子園で試合することもあった.しかしその試合では負けても甲子園の土を持ち帰るわけにはいかない.まず試合開始前に監督から土を持ち帰らないように念押しされ,試合後は負けたチームだけでなく両方のチームのダグアウト前にはご丁寧にもグラウンドキーパーのおじさんが仁王立ちして一粒たりとも土を持ち帰る輩がいないかをチェックしているのである.

だいたい名ばかり甲子園に予選で出れてしまうと野球部なんてそんなに頑張らないと思うのだが,我々の同級生たちはそこそこ頑張っていたように思うし野球部の三ケ下には田口さんなんて人を輩出しているわけで,やっぱり高校野球をやっている人達というのはそもそも心意気が私なんぞとは全く違うレベルの精神力をお持ちなのであろうなと今更ながら感心したりする.

かくいう私であるが実は甲子園の土を踏みしめたことぐらいはある.というのも西宮の小学校,中学校は連合体育大会成るものを開催しており,その開催場所がその甲子園なのであった.小学校の場合は6年生だけ,中学は全校生徒が毎年であったので,都合4回合同体育大会の名目で甲子園に行った.グラウンドに下りたのは選抜選手と組み体操をする学年だけだったので,記憶をたどる限り小学生と中学生の各1回ずつだったと思う.

その機会は両方とも組体操であったのだが,特に組体操自体にはあまり思い出もないものの一点だけ良く覚えていることがある.組体操ということで,いずれも普段はありえない何千人もの生徒がいっせいに誉れ高い甲子園のフィールドでいっせいに飛び跳ねたりすることになるので,小春日和の季節芝の中で安住を決め込んでいたミミズさんたちが驚いて次々と顔を出してくるわけだ.特に小学生の場合は男の子の中にもミミズ嫌いのものもいるはずで,それらが声変わりしたかしないかの微妙な嬌声を上げるのである.一部の生徒はもう組体操どころではなく,ミミズがイヤだからと自分の配置を少しずらしてしまったりするからスタンドから見ていてとてもきれいに整列してるとはいえず,毎回その出来はあまり美しくはなかっただろう.今も人工芝にはせず頑なに自然芝を貫き通している甲子園球場のグラウンドキーパーさんの苦労を紹介する番組が以前もあったが,甲子園の試合や,そんな番組を見るたびにそのミミズのことを思い起こしたりするわけだ.

なお,甲子園についてはハルヒが水道路踏み切りで思い出を語るときに回想シーンで登場するのが甲子園球場ではないかといわれている.関西以外の地域ではこの甲子園球場は大阪にあるものだと思っている人がいたりするが,ぜひ西宮という地名とともにそれを改めて欲しいなどと細かいところにこだわりたい宮っ子な私だったりする. ちなみに私も幼稚園や小学校低学年のころにこのハルヒと同じような感覚を覚えたことがある.それは恐らく幼子が感じていた単純な死への恐怖から派生した疑問を自問自答した結果であったように思う.その答えは未だ一部満たされていないし,ここで語るには重すぎるテーマであるのであえて紹介するようなことはしないが,誰しも幼い頃に心の中で経験したこのような漠然とした疑問やそれに対する問答が人生に少なからず影響を及ぼしているのだなと思う今日この頃なのである.

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