アニメへの体慣らし(その5:とある科学の超電磁砲)

さてとある科学の超電磁砲であるが,超能力者が主役ということではじめは結構アレルギー反応が出るかと心配していたわりには美琴さんとと黒子さんのまったく切なさがない軽いユリや,大概の登場人物の特徴的で軽快な台詞の応酬やなんかも手伝ってひょいひょい見ることができて,まず木山先生のAIMバーストのところまでで結構大満足の出来であった.私自身は超能力アニメ自体まったく免疫がなかったものの,はじめはヒロインたちの通常の生活から徐々に超能力そのものが影響した事件へ導いていくといったようなシナリオになっているのが私には程よかったのかも知れない.内容的には恋愛ものではないし,誰も死んでないし泣く要素は皆無に思えるのだがなぜだかその中盤で実は泣きの洗礼に遭ってしまった.

左天さんが泣きながら初春さんに電話するシーン.ここではっきり言ってぼろぼろ泣けた.シナリオ的にも確かに泣くところではあるのだが私が意外だったのはここでの涙の量が半端でなかったこと.まあストーリー展開的には徐々にそういった雰囲気になっていき,こちらも身構えていたはずなのに電話がつながってカット1つ1つが着実に泣きにいざなっていき,あるところから涙腺が破壊されたかのように言葉をあえて選べば噴き出してくるようになる.

もちろんフィナーレにおいても涙が頬を伝った.確かにここんところ最近アニメ見て泣きすぎて涙腺が緩み気味なのは否定できないが,なぜこの内容でここまで泣けてしまうのかについて少し検証してみた.その結果どうもこの超電磁砲における泣きはといっても作り手による何か作為的なものを感じるのである.泣かせる要因が作り手の特殊なスキルで形になっているとでも言っておこうか.何度か繰り返し泣きどころを見てみたところ,それとなくその片鱗を認識することができた.それはキャラクターの微妙な表情であったり,振る舞い,カット割り,構図,セリフの間などで,いわゆる原作の文章や脚本だけでは表現できないものである.

要はこの部分監督さんのコンテによって初めて表現される部分であり,テレビ放映を前提とされる多くの作品はコスト,納期の問題などであまり力を入れにくいところなのではないかと思う.それが超電磁砲の場合はなぜかしら表現できているのである.この監督さんは長井龍雪さんといって,最近徐々に有名になってきている人物である.今まで見たアニメの中で宮崎駿監督しか意識したことがなかったが,初めて監督さんの仕事っぷりに注目したわけである.しかし調べてみると一度私はこの監督さんの作品に遭遇している.青い花の第2話.思い起こせばあの作品の中に泣きは無かったものの,ほかの回と比べてキャラクターの表情,しぐさが明らかに違った.あんまり書くとネタバレになるので掻い摘んで紹介するとちずちゃんが家に来た時のふみちゃんの表情とそれを見たあーちゃんの表情としぐさ.井汲さんとドアの前で出くわした時のふみちゃんの表情としぐさなどキャラクターの心情が手に取るようにわかった.実際第1話で充分引き込まれた所へ来て,この2話目がさらにそれを加速したといっても過言ではなかろう.

超電磁砲においてもオープニングアニメから美琴の表情,黒子が空間からすっと現れるところの動きと表情,手足の表現なんかが何とも工夫されているというか,魅せる技術が優れていると感じられるわけである.もちろん宮崎アニメでもキャラクターのしぐさ,表情にもさまざまな工夫がされていてそれが監督の絵コンテで決められていたりするとテレビで紹介されていたりしたが,私自体今までそのような見方でアニメを見たことがなかったので,すこぶる新鮮に映ったのである.

長井龍雪さんの監督作品についてはとらドラ!あの花(あの日見た花の名前を俺たちはまだ知らない)などを片っ端から見たりして結構はまったのだが,ここではハルヒに至る道程を紹介しているということになっているので,もしほかに語る機会があればそちらで紹介したいと思う.とにかくこの監督さんの作品についてはこのコーナーのついでに紹介するような軽さで扱ってはいけないと感じるほどなのであるから….

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