通学路(その2:甲陽園小学校手前〜甲陽園駅)

小学校手前の坂を上がっりきったところに朝比奈さん(大)と消失のほうで再会するポイントがあるが,なかなかここのシーナリーもずいぶん特徴的なところを選んだものだと思う.実は私は小学校4年のときにこの地に越してきたのだが,このポイントの景色は非常に強く印象に残っている.なぜって朝比奈さん(大)とキョン君が向かいあっている向こうに見える坂が異様に狭く急であり,またその上がりきったところで右に折れ曲がっている.これは通学路に対してやや高台にある私有地に向け無理やり取り付けた道であり,道路側からすると違和感のスメルがぷんぷんするのである.

でもその上がりきった所にある民家はまるでその通学路とは全く一線を画した雰囲気を醸し出しており,身長の低い子供目線で見上げるとまるで別世界のように見えるのだ.このような怪しい雰囲気のせいもあって,ある日,小学校の帰り道何を思ったかこの坂のほうにとことこ入って行き,坂の上から振り返って通学路を眺めてみた.するとまさに別世界がそこにはあった.日頃見慣れた通学路がまるで箱庭を小窓から覗いたように見え,まるで絵画を見るかのような錯覚を覚えたのだ.ほんの数メートルの移動で異空間にトリップしたような感覚になり,気を良くした私はそのまま興味の赴くまま道を右に折れ,進んだところそのまま通学路に左から合流する道に出た.合わせてほんの60mぐらいのトリップであったと思うが,人生でも帰り道でもちょっとした脇道に逸れるメリットというものがあるのだということを9歳にして覚えたわけだ.

私からするとこの朝比奈さん(大)とキョン君がここで重要な話をしている姿はまさにその思い出と重なって,まるで異世界空間への入り口で二人で話をしているかのように感じてしまったのである.

さて,この不思議空間を過ぎ,甲陽園小学校に至る前に左側に入り込む道がある.これはアニメでは一切触れられていないが,小学校脇にある大池という池に沿った道に入っていくT字路となる.小学校のころはこの池の周りの道というのは道草の恰好のターゲットであった.当時池の周りには柵があったが釣り人たちのためか通用門のような扉があり,いつもそこが開いていたように記憶している.ただ,池の方面に降りることは小学校の方で禁則事項となっていて,我々は専ら池の方ではなく道を挟んでその逆側にある小高い丘のほうに登って時間を浪費していた.当然小学生であるから大人の見る本とかを拾ってきて回し読みしたり,簡単な基地を作ったりとあほな小学生の男の子がやるべき一通りのことはそこでこなしてきた.

ハルヒには後述の映画撮影時に登場する池があるが,一部の方々の中ではこの大池こそが谷川さんが表現したかった池なのではないかという説もある.私にとってはアニメでももしこの大池の周りの光景が使われていたらどんな感じになっただろうかなど考えるのも乙なものなのである.

ちなみにすでに多くの方が検証しているが,光陽園の駅前公園というのは実際の甲陽園には存在せず,一部の方は市民プールのある樋ノ池公園がそのモデルではないかといっていたり諸説あるが,場所の設定からすれば,このすぐ近所にあることになっているとは思う.これはアニメの設定の話であってあくまでも谷川さんのイメージと必ずしも合致しないのかもしれない.しかし私は甲陽園で公園と聞いて,もしやと思うところがあるのである.

西宮市の歴史や阪急電車の社史を詳しくご覧になった方はご存じのことと思うが,実はこの甲陽園一体は昭和の初めごろまで動物園,遊園地,撮影所,歌劇場,宿泊施設などが立ち並ぶ観光地であったのだ.もちろんこれは自然発生したものではなく阪急グループの創始者である小林一三氏が鉄道の敷設と同時に考案した総合振興策の一環であろう.甲陽線の起点である夙川の隣に位置する西宮北口から北進している当時でいうところの今津線の終点が宝塚温泉および少女歌劇団や宝塚ファミリーランドの前身である遊園地,動物園などの複合観光エリアであったのと同じようにこの甲陽線の終点にもその縮小版のようなものを作っていたわけである.しかし昭和の初めになり戦争ムードの高まりとともにレジャーブームも下火となり,その中でおそらく集客力の分散を防ぐ観点から甲陽園のほうは縮小していったといわれている.

で,その甲陽園地区には大きな公園があり先述の大池を中心としたレイアウトとなっていたようである.わが母校である甲陽園小学校はこの跡地と大池の半分ほどをずいぶん後になってからではあるが埋め立てて校庭を作ったようであり,私が引っ越したばかりの4年生の後半は社会科の時間にこの郷土の歴史っぽいところを自主的に調査して報告するというのをやっていた.私は引っ越したばかりということで途中参加であったため自ら調査するようなことはほとんどせず,専ら社会の授業中は人の報告内容を聞く側にまわっていたように思う.

そんなこんなで当時のまじめな同級生のみなさんの調査結果から,すでにその昭和の後半からは想像できないほどの豪勢なレジャースポットであった甲陽園地区の大規模な公園.今となっては迫りくる山地のおかげで駅前にスペースがなく,子供が遊ぶ程度の小さな公園さえも設置できない土地柄でもあり,谷川さんがこの状況を歴史に照らし合わせた上で甲陽園地区のペーソスを感じさせる部分を意識しつつあえて駅前公園なるものを登場させたのではないかなどと勝手ながら想像する私なのである.

さて,あるかどうかわからないものについて思いをはせているのも,なんだか自己陶酔しすぎなような気もしてさびしくなってきたので話をもどそう.甲陽園小学校についてである.実はここは通学路側からの登場機会がないものの,消失のほうでは通学路とは逆の甲陽線の側から見たシーナリーに登場する.キョン君の疾走する向こうに何やら大きな建物が後ろを通過するが,これが甲陽園小学校の校舎ということになっている.しかしこの校舎,本来は渡り廊下のみが見えるはずのところにちゃんとした建物があったり実物とは少し違うように見える.私が在学中以降校舎は地震でダメージを受けたはずだが,渡り廊下が校舎に変わるような建て替えはされていないはずなので,ここは何らかのデフォルメがされているのだろうと思う.まあ,走っている背景なのだから一瞬であるし,実物に忠実であることが一義でもないのでその点は特にコメントする必要もないかもしれない.

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