通学路(その3:甲陽園駅および周辺)

小学校から駅に向かって進むと線路側にまっすぐ伸びる道に左折することになる.ここには幼稚園があり,アニメではこの対面あたりに甲陽園駅前公園があるはずの位置関係になっている.確かに甲陽園駅前公園入り口まわりのシーナリーは実際その公園はないもののこの交差点あたりの風景に非常に似ているといえるだろう.

駅前に到達する前に,線路に突き当たったあたりに私が高校を卒業する年になって当時はやりであった小さなカフェバーがオープンした.小金もちの友人たちはここを放課後のたまり場にしていたようであるが,私にそのような余裕はなかったので今の今までそこには一歩たりとも足を踏み入れたことはない.実際消失のシーナリーの中では一瞬このカフェバーの建物が登場する.この入り口を含めた建物の外観は当時そのままであり,この点も非常に懐かしく思ったポイントである.

またこのシーンに続いてこのカフェバーの前あたりから目神山方面を見上げたシーナリーも消失の中で登場している.ここはこの甲陽線が迫りくる山のギリギリまで延線してきたという歴史を顕著に感じさせるに十分な迫力のある風景である.実はこの風景,私は高校の帰り道によく目にしていた光景である.北高からの帰り道,写真を撮りながら帰ってきたときはカメラを手に,駅前に以前あった書店に寄ったときは書店で購入した雑誌なんかを手にここまでやってきて自分の自転車に乗るためにディバッグの中にそれらをしまう時にぼ〜っと上を見上げ,結果としてこの目神山方面を見やることが多かったのである.何故だか分からないがその一連の所作が身についていたというか,もしかしたらこの景色が好きだったのか,はたまた山を下ってきた登山家が山を振り返って感慨にふけるそれに似た気持ちだったのか今となってははっきり記憶していないのだが...

なお,この目神山の風景を自転車に乗るときに見たというコメントで違和感を抱く方もいらっしゃるかもしれないが,実はキョンくんの自転車を止めているところと私が停めていたところがそもそも違うためこのような思い出になるのである.なぜならキョン君の停めている駐輪場は私が高校の頃にはまだなく,私の自転車は線路脇の歩道に今で言うと違法に停められていたからである.当時は自転車通勤,通学者も多かったため,甲陽園駅からこのポイントまでほぼぎっしりと自転車が並んでおり,通学時間の最後のほうにようやっとこのポイントに朝やってくる私の自転車はかなり駅の改札から遠いポイントでないと駐輪できないことが多かったのである.

したがってテレビアニメの1話でキョンくんが自転車置き場から出てくるところなんかは見ていてもぜんぜんピンとこなかったが,既に聖地めぐりをしていた方々の紹介記事でこのへんの事情を知っていたので少々時間を経てからあぁ〜あれねという具合にようやく合点がいったようなもんなのである.

駅の脇の道路に面して先ほどの本屋さんを含む少々の商店があったが,地震のあと一度通りがかったときはしまっている店が多かったように思う.この道をまっすぐいけば甲陽園駅前である.正面にタクシー乗り場があり,遅刻しようそうなときは友達を誘って割りカンで高校の近くまで(タクシー通学は当然禁止なので)乗っていったりしたが,通常のセーフな時間にここを通過できた場合はこの駅の改札から正面に見える小径を入っていきいよいよ朝登山の開始となる.

さて登山の前に甲陽園駅についても触れておこう.この駅はハルヒと一緒に買出しに行ったり,映画撮影の行き帰り,サムデイ・イン・ザ・レインの回とかでキョンくんが単独で利用したりと何かと登場回数の多い駅である.登場する券売機の数などから今も昔も外観どおりの将にこじんまりした駅である.私が高校の頃は甲陽線の電車は3両編成でなおかつ都市部の鉄道には珍しく単線であるので中間の苦楽園口駅で交換する形で2編成が走っていた.電車の形式も中学の頃は吊り掛け式の800系,高校の頃でやっと1000系といういわば阪急電鉄の電車の墓場的な扱いを受けていたように思う(ハルヒアニメの中には当時ようやく登場したはずの6000系が甲陽線で登場するのでここにも時代を感じるわけだ).

混雑時のみ交換運転をするため,昼間は1両が甲陽園駅に停車しているような運行形態であったため,駅には2本の線路があり線路を包む形で3つのホームが存在するローカルの終端駅にしては豪勢な駅であった.西側のホームは通常通学時間帯しか使用しないようであったが,ここに駅員さんが作った小さな池があって,小学生の頃は駅を使ってどこかにいくときに電車を待つ間妹とその池を覗いて時間をつぶしていたのを思い出す.現在は世紀をまたいでから発生した脱線事故の対策として駅の手前のポイントを廃止し,線路は1本,ホームは西側の1本を廃止して以前より縮小気味な作りとなっている.

当時通学時間の甲陽園駅というのはとにかく学生でごった返していた.それは主に光陽園学園(改変前)のモデルとなった夙川学院中・高の女生徒達の一極集中登校によるものが大きかったと思うが,まあ女子があれだけ固まれば無理もないだろう.なんせあの狭い駅前で朝から待ち合わせをしているものがいたりして,大体が3-4人のグループになっておしゃべりしながら歩きたいもんだから必然的に8時前後の数本にほとんどの学生が分乗する形となりそれが駅改札に殺到することになるわけである.

今は少子化の影響で学生数も減少しそれほどでもないようであるが,なんせ当時は第二次ベビーブームの終わりかけの時代である.高度経済成長の後半あたりからこの混雑は継続的に相当なものであったらしく,実は甲陽園駅が日本で初めて学生専用改札(1965年,フリーゲート式)を設けた駅であるということを知っている人はそう多くあるまい.ここらへんキョン君やハルヒが知っていたら面白かろうと思ったり,まさか長門はそんなトリビアも知っていたりするんだろうか?などと想像するのも楽しかったりするわけである.

またもうひとつついでに阪急電車の改札について語っておきたい.こんな辺鄙な駅で起こる一瞬の出来事にさえも上記のような工夫をするということは当時から阪急電鉄は改札の有りようについて相当頭を悩ませていたようである.それは後々立石電機(現オムロン)とともに世界で初めて切符を認識して開閉するノーマルオープンタイプの自動改札を混雑駅において実用化(北千里駅,1967年)するといった功績につながるものであろう.実はその”阪急電鉄の改札”ということで印象的なシーンが消失の中に登場する.

キョンくんが今までの世界に戻るかどうか決心をするシーン.ずらーっと並んだ自動改札を一人だけ栞を持って戻ろうとするあのシーンである.あんまり詳細に触れるとネタバレになるので,思い出の方だけでもコメントしておきたいのが,あのおびただしい数の自動改札.あれは間違いなく阪急梅田駅の改札がモデルであり,京阪神に在住の人でなくても阪急梅田駅をホームから階段を使わず改札を通過した経験のある人ならば容易に想像できることであろう.阪急梅田駅は京都線,宝塚線,神戸線各3本,合計9本の線路,10本のホームを平行に配置して成る駅であり,その9本の線路の車止め正面に幅約100メートルのうち,ほとんどが改札になっている.JRに客足を奪われる前の最盛期は一日あたり60万人の乗降客が行き来する必要があった上に,当時はまだタッチ式のプリカや定期もなかったため1名あたりの改札通過に要する時間も長く,そのためここに100近くの改札が一列に並んでいたのだ.おそらく一列に並んだ自動改札ということでもし項目があったならば即ギネスものの壮観さであった.改札の上にはデカデカと○×のサインが煌々と光り,そこを無機質(に見える)人々が足早に通過していく様はある意味近未来的でシュールな見世物を見ているようでもあった.

当時の京阪神にはこれと同じ感覚を感じさせるシーナリーが多く存在していたように思う.たとえば夜の道頓堀.ハリウッド映画ブレードランナーの未来都市の風景のモチーフが当時のあの風景であったことは有名な話である.また有名な大阪万博,中学のころに神戸で開催されたポートピアなど何かと近未来的なものを鼓舞するような大きなイベントが京阪神で開催されたため,アイキャッチーな建造物やディスプレイが異様にもてはやされていた.高校時代賞狙いの写真を撮りまくっていた私からすれば,シュールもしくはアンニュイな感じのオブジェがあればあるほど創作意欲がわくので,違和感の沸く景色を見つけてはしきりにシャッターを切るという習性が身についていた.その点震災前の京阪神は居心地の良い環境であったわけだ.おそらくあのまま写真を続けていたならば,京阪神に居住し続けたであろうし人生というのはいかにも稀有なさまざまな事情の積み重ねで出来上がっているのだと実感する.

さて,自分の人生はどうでもいいとして(←ええんかい!?),現在はこの改札の数も過剰なものとして以前よりは減っているようである.あの壮観な自動改札の並びは以前ほどな異常さを感じなくはなっているが,それでも私にとって阪急梅田駅というのは未だにいつ訪れてもいわゆる異空間的な感覚を呼び起こさせるものなのである.谷川さんももしかしてそんな阪急梅田駅の醸し出す雰囲気を異空間的に捉え,その結果としてあのシーンが採用されたのであれば,それもまた乙なんだろうなとちょっと想像してみたりするおセンチなおっさんなのである.

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