通学路(その5:西山町〜県道82号線コンビニ手前)

さて,お地蔵さまのある変則の交差点を比較的平坦な道路方面に進むと第2期アニメのオープニングにおいてモノトーン背景をゆっくりとキョンくんが歩いている風景となる.ここは西山町という地区の斜面が背景になっていて,アニメでは手前側にマンションが建設中であったりしたのであるが,私が登校していたころはそこに大きなお屋敷の庭が広がっており,斜面に一面の芝生が敷き詰められていた.この庭の大きさは尋常なものではなく,このような手前ではなくはるか遠くの平地からもこの庭の芝生が見えてしまうほどの広大さを誇っており,市内でも有数の異様な光景なのであった.またその芝生エリアの面積もさることながら,その芝生や周辺の立木の手入れのいきわたりっぷりときたら驚愕するほどしっかりしているのである.おそらく私が行ったことのある安い千葉のゴルフ場のフェアウェイよりもしっかりと芝が刈り揃えられており,雑草なんて全く見当たらないほどなのだ.

それにしてもこの西山の豪邸といい,目神山町,山王町あたりまで続くこの阪神間特有の狭い山腹に広がるブルジョアジーのシンボルのようなお屋敷街は小学生のころからなじみのある風景であるが,まったく生活水準の異なる私の学校生活にも少なからず影響を与えていたと思う.そもそもこれほどのものであるから隣の芦屋市六麓荘町あたりと遜色ないほどの見事なブルジョアぶりであり,それらのうちのガレージに止まっている車がまだ外車が珍しかったころに,ベンツ,BMW,ロールスロイス,ポルシェ,ジャグア,アウディなどが停まっていたり,その巨大なガレージが開くことがないくせに朝晩一度だけ門が開き,運転手付きのベンツが出入りするだけといったようなお屋敷も多かった.

私の小学校にはそのご子息たちが数多く登校しており,日々学校や帰り道で一緒に遊んでいる彼らはそんな嫌味もなく,むしろ小学生とは思えないほどの人柄を持っていたりするので彼らと触れ合うほどにああ友達っていいなとか思ったりした.しかし,ひょんなことで彼らがうちに帰ってからの生活の内訳を少しでも窺い知った瞬間,そのあまりのギャップに人生なんてそんなものという諦めを私に感じさせてくれるのである.

シガナイ公務員崩れの息子風情がいくらがんばっても何か悪いことでもしない限りはあの人種たちと同じ生活水準で生きることは出来ないはずであり,悪人になるぐらいなら最初からあのレベルを目指してはならないはずと時早くも小学生の時分に心に誓ったものなのである.幸いにもそれらのご子息たちは小学校卒業とともに有名私立中学へとお行きなさったのと,その地区は別の中学の校区であったため,そのあとの中学時代はそのような生活レベルのギャップに起因する虚無感に苛まれることもなかった.とてもいい友達だったのに,付き合いがなくなってほっとするなんて子供の頃の友情ってなんて非情なんだろうかって今になって思う.

しかし北高にはその私にとっての要注意地域が校区にがっちり含まれていて,そのブルジョアもしくはそれに近い家庭からの子息が少なからず登校していたりしたので,新しいクラスになった4月なぞは住所録でその御仁が金持ちかそうでないかの線引きをクラスのメンバに対してせねばならなければならなかった.その踏み絵的な人物分類により自分が深く友人関係を築いても後になって無駄に敗北感を味あわないようにするというのは今思えば自己防衛本能のなせる業だったのだと思う.

それにしても1年のときはもしかしたら深窓の令嬢と恋に落ちるようなことがあるやも知れないとありそうにない夢もあったために,その探索範囲を女子まで含めたクラス全員とした.2年生ともなると私もその妄想の果てにほのかに生じていた夢は所詮ありえないものであることはしっかり認識できるほどの立派な大人に成長していたために,クラスの中でも新しい顔ぶれの男子だけをチェックするにとどまった.ちなみに3年生は理系志望男子クラスだったので男子にさえもそんなチェックを入れなかったように記憶している.まあ高校生ぐらいになるとそれらお金持ちの子息達もさる者で,無駄に他人を傷つけないようにそれなりの浅いお付き合いをしてくれていたりするから,それほど貧乏人サイドの私が気を遣う必要も結局のところあまりなかったような気もするのだが.

ちなみに我々の高校生時代は仲間うちで浜田省吾さんがかなり流行っていて,このブルジョア地帯を丘の上の愛の風景と重ねてみたりなんかした.そうするとこのブルジョア地帯に住んでいる人たちがまるでロクでもない人たちであるかのように設定されてしまうわけであるが,そんなのはお構いなしに想像してみたりしたわけだ.しかし実際歌詞になぞってあのようなグネグネした急坂を駆け下りてきたらコケてまうやろとか少々ノリ突っ込みの体になってしまったのは玉に瑕なのである.

ブルジョアジーの息吹を感じながら貧乏くさい思い出に浸るのはこの辺までにしておき,この道を突き当たりの信号までいけばあとは兵庫県道82号大沢西宮線をしばらく真っ直ぐ上っていくことになる.この信号は我々が入学するちょっと前に出来たもののようであるが,確かにこの信号がなければこの県道の下りの車が途切れることはなく,ほぼすべての車が重力加速度に任せて結構なスピードで通り過ぎるため,横断する際には小走りに駆け抜けることを余儀なくされる.したがって横断歩道があるだけの信号であるが,この信号の存在は実にリーズナブルであると思うのである.当時急いでいたときはこの信号を無視して道路を横断しようかとも思ったが,詰まるところ所詮生命の危険度が高すぎてキョンくんのように狭い歩道に何名もが立ちんぼで信号が変わるのを今か今かと待ちわびているのが日常であり,このシーンもよく北高への登校というものの特徴を抑えていると思うところなのである.

なおその信号の袂には当時ヤマザキショップがあったと思う.学校帰りにここで当時発売されたばかりのピザまんなんぞをほおばっていたような記憶があるが,恐らく後述のコンビニの登場に追いやられてか今はその形さえもなくなっているようだ.

県道はここから坂が真っ直ぐと200mほど続くのであるが,私はこのほんの200mほどの区間が結構登校そのものを憂鬱にする要素を秘めていると思うのである.恐らく人工的に作り出されたであろうこの坂はこの約200mの区間まったく水平方向どころか鉛直方向にもびた一文曲がることをしていないように見える.それゆえまるで永遠にこの坂を上がり続けなければいけないかのような強迫観念を上り行くもの皆に呼び起こさせるのである.しかしその実ここでの傾斜はそれほどでもなく,この坂から右手に入って目神山に上っていく市道のほうがその入り口から既に尋常ではない傾斜となっている.それは相対的にこれから体感する過酷な登山行程を予感させるものであり,我々はそれを横目に強迫観念に苛まれながら進んでいくことになる.

なぜそんな気持ちを思い出したかというと,この区間がほんの200mしかなかったのにとあるハルヒ聖地の地図を見ていて偶然気づいてしまったからである.私の記憶ではこの直線の坂は500mはくだらないほどの長ったらしいものであったのだが,それが実のところその半分もないことになる.ここでその錯覚がどのような理由で生まれたかを考察した結果,上記のような結論に至ったという次第だ.

キョンくんの登校風景でもこの直線道路で谷口,国木田と会話しながら上っていくシーンが登場するが,これも実にこの強制ハイキングコースの特徴を捉えていると思う.今でもはっきり思い出すのだが,私の登校時に友人と一緒になったとしてもせいぜい会話が続くのはこの直線の坂のみなのである.あとはだんだん疲れてきて足腰にたまった尿酸を脳や内臓やらが総動員して蹴散らそうとする.結果としてお互いが無口になっていくのである.そう,登山経験者の方は良く分かることだと思うが,登山口付近では会話も何かしらあるものが,山腹に差し掛かった頃には皆が無口になっていく様相そのものなのである.確かにこの地点までの会話はキョン君と谷口のやっているような他愛のない話ばかりであったし,このポイントに差し掛かった頃にはそれがこの強制ハイキングコースや体育の授業の過酷さへの愚痴などの系統に変わってきて,しまいにはお互いが黙り込んでしまうといった按配である.

しかし2年,3年になるにつれこの直線路のみではなくほぼ通学路の全域にわたって延々に会話を続けられるように変わってくるのである.これはひとえに日々の強制登山を継続していく中で我々の心肺と運動能力が格段に向上していったことを意味する.今思い出すと2年や3年になったときに登校時の1年の生徒が非常におとなしく見えたが,この潜在事実によるものではなかったかと思うのだ.要はキョンくんの登校風景によってそのような当時感じた微妙な雰囲気の原因にようやっと気づくことが出来たというわけである.今更ながらもそのようなことに気づいてしまった私としてはハルヒの続編の中で2年になったキョンくんと谷口が体力的にも成長し,通学路で延々と会話を続けるシーンなんかが出来上がったりすると面白いのになとか思ったりする今日この頃なのである.

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