通学路(その8:角石橋〜グラウンド脇の坂の手前)

角石橋については良く考えたらアニメでの登場シーンについてまだコメントしていないので,今回はここからである.角石橋の登場シーンは私が見た限りではテレビアニメのほうにはなかったように思う.消失での冒頭の登校シーンと谷口とのやり取りでヒントを得たキョンくんが一気にこの強制ハイキングコースを駆け下りるシーンでの登場ぐらいであろう.

ずいぶんと物好きな印象をもたれるかもしれないが,それはなぜかということについて考察してみた.一個人のどうでもいいwebではあるが尺(容量)が足りなくなると困るのでいきなり結論からで申し訳ないが,私が思うにこれは下りのシーンで息せき切って走る様を表現するのにこの平坦な角石橋が適していたということではないかと思うのだ.実は私も何度か在学中に北高から駅に向け急いで戻らなければいけないことが数度あって,キョンくんと同じように一気駆け下りを経験しているが,これが早くに降りようとすればするほど坂道では上がりすぎるスピードに対応できず転ぶ可能性が出てくるため,私の大脳運動野はしきりに脚にブレーキをかけろと指示を出すようになるのである.その結果傍から見ると坂道ではそんなに早く走っていないかのような見栄えになることになる.

せっかく一秒でも早く山を駆け下りたいというシーンなのにそんな姿勢で走るキョンくんを登場させても見ている人には実感がわかないはずで,あえて駆け下りシーンではこのような比較的平坦なところと駅前に続く急な階段を少し注意を払いながら下りていくところを使ったのではないかと考えるのである.ちなみにこのシーンの直前の学校を出てすぐの坂を駆け下りるところが全身ではなく足先のみのトリミングになっているのもこの理由からではないかと思うのである.

なんでそんなことにこだわって考察まで加えているかというと,私はこの一気駆け下りのシーンが大好きだからに他ならない.私自身そのような駆け下りの経験があったり,ほかのシーンではあまり登場しない通学路が多く見られるとか,BGMもこのシーンにぴったりだったり,物語が大きく動くワクワク感とか,とにかく言葉で表現しにくいところまで含めて好きなのである.とにかくそのようなことであるから消失に関してはBDを買ってしまい,ディスクが擦り切れるほど(実際はそんなことはないが)に国木田くんとの会話シーンからサイゼリアのシーンまでを恐らく100回近く繰り返し見ていたりするのである.

再び話題を角石橋に戻そう.私の推測により無理やりこじつけるとそのような事情からいわば仕方なく登場の機会を得た角石橋であるが,この橋の特徴はなんといっても欄干の赤色である.この塗色は当時からのもので,私はそれに当時から違和感を感じていた.というのもこのような赤い欄干の橋と言うと大体その奥に何かしら宗教的な施設があったりするのだがこの角石橋は全くの例外なのである.あるものといえば橋を渡って右手に老人ホームのようなものと左手には甲陽学院高校,北高,苦楽園中学,小学校などしかなく実際のところ宗教色は皆無なのだ.

ただ今になって北高がこのように聖地扱いされ,ある意味強烈に宗教化しているかのような状況から考えて角石橋のあの赤い欄干はこのような現状を当時から予言していたのかとも思えてしまう.まあここまで想像力をはたらかせてしまうと,こんなことで30年もの間感じていた違和感をこのようなこじ付けで解決してしまうという私の性質についても融通利きすぎな感じがしてきた.こんなだからこの年になっても私が未だふわふわした存在であり続けているのだと自分ながらにあきれるわけである.

この角石橋を渡って左に進むとすぐに大きく右カーブとなりそこに甲陽学院高校の校門がある.実はこの甲陽学院の生徒さんについても我々が登校途中にはその姿を見ることはできなかった.恐らく我々とは通学時間が違うのかはたまた隠密にゴージャスな通学バスが時間帯をずらして用意されていたのかと今昔ともに推察してやまない.確かに当時は校内暴力華やかなりし時代であったため,あのようなハイレベルな知能をお持ちの学生さんたちと我々のようなやさぐれた一般の高校生を接触させない最大限の努力の結果なのではないかと未だ勘ぐっている次第なのである.

甲陽学院の校門を過ぎてもしばらく平坦な道路が続く.ここも駆け下りシーンでキョンくんが疾走していた場所である.この道路はこれに続く心臓破りの坂のおかげか印象がかなり薄かった.しかし初めて消失を見たとき,このシーンで脳みその奥底に埋もれていた記憶が根こそぎ一本釣りで引き上げられたような,気持ちスカッとした感覚が全身を突き抜けた.それと同時に少し目頭が熱くなったのを覚えている.人間というのはひとつの記憶から条件反射以外の経路にて様々な連想ができる生き物である.そのときはこのシーンを見ることで,通学路全体の様子や当時の登校時友人と話していた会話の内容,そのときの感情,体調などの記憶が一気に脳内に発芽しだしたのである.それと同時に涙腺が誤動作したのは急激に発生した情報量の多さに脳が混乱した結果ではないかとさえ思うのだ.

この消失をはじめてみたときのこの体験は同じく消失で朝比奈さん(大)のつぶやく「いつかあなたもこの高校生活を懐かしく思う日がきます」という現象そのものであったと思う.実はそれまでハルヒアニメをテレビ編を長々と見てきた中で,そう懐かしさというのはあまり感じることはなかった.アニメにいわゆる萌えではなく泣きを期待している私からすれば少し物足りなかったのだが,ここで初めて私にとって泣きが発現したと言える.それは私の高校生活が原作者である谷川さんとこのように特殊なリンクを見せているが故のことであるからほかの方が共有できなくて非常に残念なのだが,これはハルヒアニメでなくても昔育った場所をしばらくぶりに訪れたような人は多かれ少なかれ感じることの出来る感情なのではないかと思う.

実は私はこのような感情を感じたことが皆無に等しかった.確かに大学の頃はよく実家に戻っていたが,就職してからは子供が出来るまではほとんど里帰りはしなかったし,その景色を見て回る機会もなかった.どうせ年をとってからでも出来るだろうと思っていたところにきて,95年の阪神淡路大震災である.北高の通学路あたりは家屋損壊程度など比較的軽かるかったものの私の自宅より南側の被害は甚大であり,西宮市においても1000人を超える方々がなくなり,一戸建ての古い家のほとんどが倒壊したり建替えを余儀なくされたりして何気なく行き来していた街の風景が一変してしまった.

しかも地震の直後というのはその壊滅状態のふるさとが連日テレビに映されるのである.恐らく関西系のテレビ局が被害の中心地である神戸にいくためには大渋滞の国道を長々と移動しなければならないのを避けるため,被害がそれなりにありつつ大阪からのアクセスが比較的容易であった西宮を取材対象にすることが多くなった結果,必要以上に西宮の被害状況のブラウン管(当時)への露出が増えたというのもあろう.しかし本来なら自分の郷里の様子を深く知ることが出来たはずのその露出の繰り返しが私の精神に与えた影響は大きかったと思う.

当時の私はその場に居ずして,電波に乗せるにあたって幾分強調されたはずの映像を通じあまりにも悲惨な状況を目にしてしまったため,その変わってしまった風景を自分の目で見ることに対し暗に拒否反応を示してしまった.当時子供が小さかったということもあり,震災後初めて西宮を訪れたのはなんと97年の夏であり,その際には2年以上経っても未だ屋根にブルーシートが掛かった家が多いのに驚いたのを覚えている.また,時を同じくして復旧した街中ではよく知っている自分の郷里でありながらも迷子になるという経験をした.交差点の4隅の建物がすべて違うものになってしまうと人間というのは自分が今どこに居るのかさえもわからず,夜間であれば東西南北もつかめなくなるのである.そのときの私はあまりの状況に車を運転していて吐き気を催してしまうほどであり,精神的な混乱が体調にあれほどまでに影響をおよぼしたのはあれが後にも先にも1回だけだ.

恐らくそのような感覚はこの先東日本大震災において被災した方々も感じることになるかも知れないし,私の勝手な想像であるが谷川さんもその場に居合わせながら変わってしまった風景を目の当たりにして,日々思うところがあったに違いないと思うのだ.それも様々な人々の不幸の上にその景色が変わらざるを得なくなってしまったとなればなおさらだ.

谷川さんにそんな経験があるならばなじみのある風景を何か形にして残しておかないとはかなくも変わってしまうかもしれないと認識しているがゆえに,自分の作品に残しておくというのも全然アリだと思う.それが自らのアニメのシーンにここまでしっかりと風景を落とし込んでいる理由になっているのではないか想像すると,おのずとハルヒのシーナリーのすべてに何かしらのメッセージが埋まっていると感じてなお更無駄に考察してしまうわけだ.

さて,この平坦路が終わって傾斜のある狭い道に突き当たる.次はもちろんこの強制ハイキングコースきっての急傾斜であり,クライマックスでもあるグラウンド脇の心臓破りの坂である.この右に曲がってすぐは理由は分からないが車1台が通れるだけの狭い道になっており,そのせいもあって角石橋経由で登ってくる車はほとんどいないため,登校時はこの上の坂を幅いっぱいに使って北高生は上がっていく.坂の下からその光景を見ているとこれから上げていかなければいけない高度を認識したとたん士気を失うことになる.したがってこの段階では出来るだけ上を見てはいけないのだが,まかり間違って上を見て友人を見つけたとしても,その友人に追いつくためにどれほど速度を上げてその友人を補足しなければいけないかなど頭脳を働かせなければいけなくなる.ここでは糖分のすべてを頭脳ではなく脚力と肺活力や血流に向けなければいけないのである.

そのような決心をして初めてこの坂を登り始めることが出来るわけで,いかにこの坂が心臓破りであるかわかっていただけたであろうか?あんまりここまでこの登校コースがきついきついといっていると私が当時極度の虚弱体質であったかの印象を受ける人がいるやも知れないが,実際は毎年の体力測定でも学年で常に中の上あたりの成績を保っていたはずなので,この文章からはぜひ私の体質よりも登校コースの過酷さのほうを感じ取っていただきたいのである.

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