通学路(その9:グラウンド脇の坂の手前〜校門)

さて,ようやくグラウンド脇の坂まで差し掛かったのだが,この坂は下部の傾斜はそうでもないものの道路幅が広がって30mもいくと徐々に勾配がきつくなってくる.2期のオープニングでハルヒがかなり勢い良く上がっていくシーンがあるが,朝からそんな元気を浪費している輩は当時一人もいなかったように思う.

あと2期のエンディングにおいてもこの坂を団の皆さんがそろって駆け下りるシーンがあるが,前述のキョンくんの駆け下りとともに非常に危険な行為なのでやめておいたほうがいいと思う.まあ健康な高校生ならば安全に注意しつつやる分には良いかもしれないが,それでも絶対に全力疾走はしてはならない.聖地めぐりを実行されている方の中には30,40歳台の方が多いようであるが,くれぐれも我々のような中高年がはしゃいで真似をしようもんなら1週間後にはひざに水がたまってそれまでいかに健康な生活をしてきた人であっても先々の老後生活に支障をきたすこと間違いなしである.

確かにここの傾斜は20度もない他愛もない坂のように思うが,草花が生い茂っている山の斜面とは違ってアスファルトの上であることを忘れてはならないのである.ヨーロッパに斜面を転がり落ちるチーズをおっさんたちが全力で追っかけるというアホなお祭りがあるが,あれは柔らかな土の上の話である.ここで全力疾走での駆け下りはその停止に少なくとも15m程度を要するわけで,それ以下の制動距離でとまろうとした場合はアスファルトに体のどこかしらを叩きつけるかこすり付けるしかないのである.したがって最高速を出すのはたやすいものの,停止するために要するスキルがあまりにも高いのでここでの全速駆け下りは危険極まりないものなのである.聖地めぐりを行う方々もエンディングでやっているからといって絶対にまねしてはいけないことのひとつとしてこのようにご紹介しておかなければなるまい.

さてそのシーンであるが,グラウンド方面をバックにアングルが組まれている中で,このグラウンドとの間にある立ち木の高さが様々な聖地めぐりでレポートされている写真と比較すると異様に低く描かれていることに気づく人もいるだろう.私の推測ではあの立ち木の高さは我々が登校していた頃の高さに近く書かれているのではないかと考えている.年代を考慮すれば私は12回生.谷川さんは16回生.2011年度入学の1年生は41回生ということになる.要は谷川さんの時期の2.5倍の月日が北高では既に流れているわけで,その結果として大掛かりな間伐または剪定をしない限りはあの立ち木は背丈を相当伸ばし続けているはずである.

確かに様々な聖地めぐりの写真を見る限り,立ち木が道路にも大きくはみ出しており,私の記憶と比較して背丈も倍近くなっているように感じているが,あれはそれ相応の成長の結果であると思うのだ.したがってあのエンディングシーンの立ち木の高さがそのような背景も含めてあえて当時を表現しているとしたら,それは我々世代の卒業生たちにとってより一層懐かしい景色として心に響くものになるだろう.

最後の坂を上りつつ,そろそろ急傾斜に対応して伸びきったアキレス腱にたまった尿酸も飽和してきたころ,いよいよ北高の校門が近づいてくる.ここが東門である.当時東門は登校時にのみ開門していて,我々甲陽園駅方面から登山してきた生徒はこちらから入門することになっていた.しかし残念ながら当時からセキュリティの問題からか帰宅時は東門は閉ざされ,正門のみが出入り可能な状態になっており,下校時はこの東門と正門の間約200m分だけ余計に歩かされる羽目になっていた.

この東門はハルヒアニメにおいて重要な局面で何度も登場する.その最たるものが消失における世界改変であろう.なぜこの東門前が改変の発信元に選ばれたかは私は容易に想像できる.まあ私でなくても聖地めぐりをすでに経験した方であればだいたい察しがつくと思うが,やはりその夜間における眺望がその理由であろう.通学路の経路をおさらいする限りそれなりの高度が急激に稼げているわけだから,ここからはかなり広範囲に大阪・尼崎方面,晴れた日には生駒山までの景色が一望できるのである.加えてグラウンド脇の立ち木が今の状態ほどに生い茂っていなかった30年近く前は,より一層広い範囲の景色が見て取れたのである.

秋から冬にかけて部活を終え7時ごろに正門を出て,苦楽園中学校の脇の交差点をこの坂の方面に折れて下っていき,しばらくするとこの景色が眼下に広がってくる.この瞬間はこの方面に下校する多くの北高生にとって北高に入学してよかったと感じる数少ない機会の1つであったことだろう.特に冬場は空気が乾燥している上に,完全に日が暮れてしまっているので黒く沈んだところは透明に見え,見渡す限りの範囲に数多くの照明がシンチレーションで瞬きを放っていたりして,強烈な美しさとなるのである.それに当時はまだ高層マンションなどもそう多くなく,手前が西宮,尼崎を経て序々に照明の数が増えていくことから遠くまでほぼ均等に明かりが見えたので,夜景の質としても秀逸だったのではないかと思う.当時六甲山から神戸の町を見下ろした夜景が100万ドルの夜景だとか言われていたが,神戸のほうは所詮港までしか明かりがないはずで,こっちは遥か彼方まで照明が地面に散りばめられているのである.当時の私としては心の中で神戸が100万ドルならばこっちは110万ドルぐらいの価値はあるでとか思っていたぐらいの美しさだったのである.

大体この時間の下校は写真部の活動がある日に限られていたが,写真部のほかのメンバに甲陽園駅方面へ帰る者がほかに居なかったため,ほとんどこの夜景を見るときは一人であった.1年生の頃カメラを持って来ていた日に一度手ぶれギリギリで撮影には成功したが,いかんせん白黒フィルムだったので十分に感動を伝え切れない写真にしかならなかったように記憶している.

しかし当時この幻想的な風景を見ながらの下校は,私のようなしがない学生風情であってもその一日が無駄ではなかったことを実感させるものであり,翌日の登校が如何なる苦行であっても絶えず登校するためのモチベーション維持に役立っていたように思う.大げさに言えば,この夜景が引きこもり防止にも役立っていたのではないかなどと思うのである.まあ私の場合はあまりの脳天気さゆえ3年間で一度たりとも不登校になろうとは思いもしなかったので,その効果のほどは定かでないわけだが.

しかしこの景色の今の状態を様々な聖地めぐり記録で拝見する限りでは,西宮市内にも震災の後に高層マンションが数多く立ち並ぶようになって,それが壁になって遠い側の明かりがあまり見通せなくなっているようにも見える.特に正面に林立している高層建造物は西宮北口周辺の震災後の再開発で建築された商業ビル兼高層マンションなどであるが,30年近くの月日を経て震災があってもなくてもこのような変化があったかどうかはコメントしづらいところである.すでに私が見ていたあの夜景が同じクォリティで見れなくなっていることは残念で仕方がないが,それも時間の流れということで許容すべきということなのだろう.

さて,その我々卒業生の多くが魅せたいと感じている景色を背景に消失においては世界改変が行われ,幻想的な雰囲気に花を添えるわけであるが,それを考えればキョンくんと朝比奈さん(大)がわざわざ正門方向からやってきて,世界改変を坂の上側から見守るという設定に合点がいく.加えて改変直後の改変者がその夜景を背景にすることでその変化が見られない夜景に永続性を表現させ,まだ世界が改変前に戻る可能性を秘めているかのように見せているとも取れる.もしそこまで考えられていなかったとしても,その改変者の激変ぶりと夜景の不変な様が対照的になることでなお更印象的に見えるのは所詮私の思い込みのなせる業なのかも知れない.

さて,最後は東門そのもので締めようと思う.といっても当時の門と今の門の雰囲気が既に大きく違っていて,タイル積みの外観になっていたり,小洒落た植え込みなんかが存在する.当時の東門はいわば裏門の扱いであり,正門に比べて見劣りするものであったはずだ.しかし今の状況を写真などでうかがい知る限り,正門よりも東門のほうが遥かにゴージャスになっている.この逆転は明らかに不自然でもあり,もしかしたらこれは西宮市の聖地めぐり振興策の一環でこうなっているのではないかと疑念を抱かざるを得ないのである.

なお当時はこの坂から夜景を見る場合,一番視界が開けているのはキョンくんと朝比奈さん(大)が世界改変を目撃していた位置より少し下ったところで,道路の苦楽園小学校側の歩道あたりが吹田あたりから香枦園浜あたりまでが見渡せて一番見ごたえがあったと記憶している.それ以上坂を下るとグラウンド脇の立ち木で視界が遮られる部分が発生して徐々に見ごたえがなくなっていったように思う.私は当時そこから写真を撮った思い出があるので,多分立ち木の高さや苦楽園小学校側に遮蔽物が新たに建っていなければ状況は変わらないはずである.

ちなみにこれだけの距離を延々歩く通学においては,靴の消耗が異様に激しかったことを思い出す.生来の貧乏性であるがために普段の足の運びにおいてもほとんど靴底と地面を摺らせない私であるが,これほどまでに毎日毎日傾斜路面を長々と歩くため,靴が2ヶ月でダメになるのである.はじめは恰好をつけて高いスニーカーを使っていたのであるが,小遣いの2か月分ほどで購入した靴をちょうど2ヶ月で履きつぶしてしまうという不毛な事実を知ってからは,極端に安くて丈夫そうな靴を探して愛用することにしていたのを思い出した.

この癖は未だ直らず今の今までバイクブーツを除き5000円以上の靴が買えないという体質から脱却できずにいる.何分しょぼい話な上にハルヒアニメにちっとも関係なくて申し訳ない限りであるが,通学路の最後の最後のトピックということで付け加えておこうと思うのだ.

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