上ヶ原中学およびその制服+大社中学

涼宮ハルヒシリーズにおいては物語の都合上,各登場人物の出身中学の設定が少し曖昧にされているところもあり,いろいろ特定するほどの解釈はできないのであるが,ここでは私の思い出話と谷川さんがどの中学を思い浮かべながらがストーリーや登場人物の背景を作っていったかを想像したりして自分の思い込みで言及してしまうことにする.

まず思い出の部分から行こう.私の年代は前述の通り北高が西宮市では最北端の高校であったこともあり,その出身中学は主に約6割の苦楽園中学と約3割弱の大社中学,それと10人ほどの上ヶ原中学,ほかは私学からの転入組だけといった状況であった.当時40人クラスが当たり前であったので,1クラス42〜3名で,大体うちの学年全体でも380人ほど居たはずである.我々上ヶ原中学出身というのはその中で約3%,1クラスに一人か二人しかいない割合であり,高校に入ってしばらく友達が出来ないと寂しいななんておセンチなことを考えているような輩がもし北高に進学せねばならなかったとしたら,無理やりでも上ヶ原中学の公立合格者の大多数が入学する市立西宮高校に願書を出したいところであったろう.

私の場合友人の多さよりも家庭の事情が優先していたこともあり北高に進んだわけであるが,まあ大体高校に入ったばかりなんてのはよほどのことがない限り友達の心配なんてしなくても男も女も自然とふだん寂しくないレベルまでになってしまうので,そのような心配性の人が居たとしても全くの杞憂であると断言しても良いと思う.まあ中学の頃からおませな輩はすでにスイートハニーが存在していたりしたので,それが進学先に影響を与えるケースもあろう.しかし私の場合はおませではあったが残念ながらその肝心のスイートハニーが存在しなかったためそのような選択は微塵もありえなかったのでなおさらお気軽だったのである.そもそもこんな特殊な総合選抜なんてやり方をしていなければ大概同じ中学,今風に言えばオナ中の輩が数名居ればいいほうになるはずなので,これは阪神間の総合選抜エリア特有の現象なのかもしれない.

一方,谷川さんの時期はというとその市内最北端の地位を奪われた北高の校区が若干南下したため,代表的な3中学の中に平木中学が加入した.小説のほうには4校と書いてあるので,これは将にその当時の状況を示しているものといえる.こうすることでハルヒシリーズに登場する中学のモデルはこの4校のいずれかであると推定しながら話を進めるのが妥当であろう.

まず中でも唯一中学の名前が設定されているのがハルヒの出身校である東中である.アニメの中ではハルヒが七夕の晩忍び込んだのはアニメでは大社中学の門が使われているが,その一方でその後宇宙へのメッセージを書き込んだのは我らが上ヶ原中学がモデルになっている.果たして東中のモデルはどちらなのか?ということになるが,位置関係から判断すると,東中という名前から2校のうち東にある上ヶ原中がハルヒの出身校のモデルであると単純に断言したくなってくるのは人の常であるといえる.

しかし次の点から私は東中のモデルは大社中学であると考えている.ひとつはハルヒのうちが大社中方面に近い設定であること.もうひとつは東中は電車の線路(甲陽線)から近い必要があるということである.また,そう考えるとキョンくんの出身中学は通学経路からいって上ヶ原中学であるということになり,実際キョンくんのうちのモデルもこちら方面であるからなおさらである.そう考えると唯一の矛盾点は七夕の地上絵が上ヶ原中学グラウンドをモデルとして描かれているということのみになる.これは同じくアニメでハルヒが門を乗り越えている姿が大社中学の門をモデルにして描かれていることから便宜上グラウンドの描写のみが上ヶ原中学のものに入れ替わっているに違いないと思うのだ.

その便宜上というのは,実際の大社中には高いところからグラウンドに絵を描くのに指示を与えるのに適した場所がなかったからではないかと考える.私も大社中学のグラウンドは何の機会かもう思い出せないが何度か入ったことがあり,そのおぼろげな記憶によると大社中学のグラウンドの周辺には小高い地面がなかったように思うのである.確かに校舎が開いていれば校舎から指示を出すことも出来るだろうが,時間的には真夜中であるため校舎に入れないはずであり,この無理を何とかするためにやむを得ず上ヶ原中学のグラウンドをモデルに引き出してきたのではないかと思うのである.

ちなみに上ヶ原中学は上ヶ原台地の斜面の中腹に位置しており,通学路のところでご紹介したようにグラウンド横になだらかな坂があることからも分かるとおり,傾斜地に無理やりグラウンドを設けている.ここで北高ほどではないがグラウンドの周りに小高い地面があり,そこに向けて階段状になっている.その頂上からハルヒは指示を出すことが出来たわけである.

この階段状の部分はキョンくんがジョン・スミスを名乗る重要なシーンで使われているが,私の在学中はこの階段状の部分に全校生徒が座って集会をしたり,何かと行事のたびに座らされた印象がある.もちろん写真撮影のときにも学年の集合写真なんかはここに座って撮っていたりした.

なお実際の上ヶ原中学は震災での被害が大きかったらしく,校舎も3棟あるうち最も小さな南棟を残して全て建て替えとなったようだ.校舎のつくりとして一階部分の廊下に教室と逆側の壁がなく,オープンコリドー方式であったため,耐震構造としては不十分であったのかもしれない.結構壊れ方が激しかったこともあり,震災後1ヶ月ぐらいしてからテレビの取材を受けていて,偶然それを目にすることが出来た.その際に制服が全く変わってしまっているのが分かり,震災の傷跡に加え時代の流れをも実感できたのを良く覚えている.

その制服については,驚愕のおまけ本の中でキョンくんが女子の夏服についてコメントするところがあり,白い半袖ブラウスにサスペンダー付きスカートが不評であったとある.このモデルこそが将に当時の上ヶ原中学の女子の夏服であろう.確かに我々の頃も女子からも,加えて余計なお世話かもしれないが男子からも不評であった.挿絵での佐々木が恥じらいを見せるシーンではネクタイが追加されているが,当時このネクタイはなく今思い出してもなんとも花のないデザインであったと思えるのは確かである.

このような点から総合してキョンくんの出身校は上ヶ原中学がモデル,ハルヒは大社中学がモデルと私は推測しているが,これに加えここまで制服の描写がはっきり当時のものを再現できているのであれば,キョンくんのみならず谷川さんの出身中学も上ヶ原中学なのではないかとさえ考えてしまうのだが,それは考えすぎというものだろうか?

ちなみに私の中学時代の生活はというと結構破天荒なものであった.通常高校でもっと羽目をはずすはずなのだが,私の場合は中学の破天荒さが未だに思い出に残っているのだ.ちなみに破天荒といっても校内暴力の真っ只中に居たとか,夜な夜な徘徊するだとか流行の最先端をいっていたわけではなかったのでご心配なく.

不良少年ではないといってもなんか様々なオイタをしては先生にお目玉を食らうというところではいっぱしの不良少年達より手間が掛かったかもしれないので,体罰が必要悪であると認識されていた当時,確かに先生方に食らったビンタの数では誰に対しても誇れるほどであったはずだ.恐らく私程度の雑魚であればビンタの一つや二つで逆上して教師に対して暴力を振るうなんてこともないだろうと安易に見せしめにされていた節もあろう.今となっては当時そうやって培われた分厚い面の皮のおかげでしぶとく生きていくことが出来ているわけで感謝したいぐらいである.今思い出してもそんな悲喜こもごもある中での生活が,なんだかその全てにおいて無計画でおもろいことばっかりを追い求めていたいわばSOS団のような生き様とでも言おうか,とにかく毎日を少しでも面白くするために活動していたように思えるのだ.

特に破天荒だったのはその部活である.中学入学当時から私は汗をかいてそれを長らく放置するのが大嫌いで,土日や朝連も時間を無駄に占有されるところが合点がいかず,体育系の部活は無理と頭っから決め付けて中学の部活を選んだのであるが,その選んだ部活が工作部というものであった.要は放課後に木工,金工,電子工作などを適当にやっているのが本分である部であったのであるが,この部活,結構お金がかかるものでバカ正直に工作物を量産していたりすると小遣いがいくらあっても足りないのである.そんなだから部活の時間の8割は大体バカ話をしたりほかの娯楽を見つけたりして時間をつぶしていたといって過言ではない.

一例を挙げると,バカ話の延長でひょんなことから先輩が急にそれまで全く疎遠であった生徒会長選挙に立候補するといいだして,急遽全員で選挙活動にいそしんでみたりだりした.結局票が思ったより伸びず生徒会長ではなく副会長になってしまったりしたが,なかなか部活以外の部分で活動的な我々だったのである.

そんな中バカ話からひょんなことでテレビに出ようということになった.しかし,しっかりと番組作りがされているものに参加するとなると抽選が狭き門でありクイズであってもしっかり予選があったりする.そんなのが全くないゆるい番組はないものか?ということで,当時ABC(関西朝日系)で7時前に3分間枠で放映されていた文珍のハテナ大集合という番組に応募することになった.ただテレビに出るためには何かPRできるポイントがないといけないということで,何かエサになりそうなものはないかとみんなで考えた.

すると願ってもないエサが目の前にあった.1ケ上の先輩(部長)が中学生には分相応でないほどの巨額な私財を投じ人力船を製作中であり,それも都合の良いことにそろそろ完成しそうな段階だったのだ.このボートの存在をはがきにてPRし1枚だけ投函したのだが,それが利いたのかどうかわからないものの見事収録にくるとのことで投函主である私のうちにテレビ局の方から電話があり,見事その荒唐無稽な計画が走り出したわけである.しかしその悪巧みグループである我々はここでまた一ひねりしてしまった.このテレビ出演自体を当の部長に当日まで内緒にしておこうということで,どの機密保持のため顧問の先生にさえも内緒にすることとした.とにかくサプライズを最優先にしてしまいたいということであったのであるが,今思えばこれが究極の無計画にさらに磨きをかけてしまったともいえる.

さて当日.皆で朝6時に学校に集合し,まず当の部長をたたき起こしに行った.というのもその部長の自宅がキョンくんのうちのモデルから少し下ったところにあったので学校から7分ぐらい歩けば急襲できるということで,悪巧み団の皆で眠い目をこすりつつ胸を躍らせてあの坂を秋の朝もやの中降りていったのである.部長も流石にたたき起こされてすぐにはニヤニヤ笑いながら雁首をそろえている我々の言っていることがにわかに信じられないようで,ドッキリかなんかだと思っておまえらええかげんにせえよといいながらすぐに家の中に駆け込もうとする.それを無理やり引きとめ今度は出来るだけ具体的な説明を加えて,本当にテレビの収録がその日にあることと,急いで船を収録場所に運ばねばならないことを真顔で笑いをこらえつつ力説したのであった.それでようやく理解した部長の大きなため息の後,ちょっと裏返った声でおまえらあほやろというありがたい言葉をいただいたのであった.

結局そのテレビ収録はいかんせん当日の折衝では校内の使用許可がおりず,近所の公園となったのでテレビ局の人をも困らせる結果となったのであるが,そのボートを皆で公園まで運び無事収録となった.実はこの収録自体もあまり校内で公にするなと緘口令が出たので結局いろいろ胸を躍らせた割りにあまり大騒ぎにはならず,我々にとっては期待はずれではあったのだがそれも今となっては良い思い出なのである.

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