アニメへの体慣らし(その3:ささめきこと&青い花)

アマガミSSではアニソンや萌え要素など今まで認識してこなかったような意外な収穫はあったものの,このままでは日本若年男子には細々としかないはずの狩猟民族的習性のさらなる衰退を助長するものとしてアニメそのものを忌むべくものであると誤解したままになってしまうかもしれない.それは私も陥ってはいけない結末であることは重々承知していたので,次はアニメ作品として物語の作りこみがしっかりしているものをチョイスすることにした.結果的には少し歩調を緩めることになったわけなのだが,一歩戻って同じく学園もので何かいいものはないか策定したところ,君に届けで見られた”泣き”はやっぱり少女マンガ系におもに見られるようだ.

かといって私が最終的に目指しているのはそこではない.ハルヒを見るために切磋琢磨しているといっていいわけで,少女マンガ系の枠からは早めに脱却すべきなのである.そんな思い込みもあって,次は何を思ったか”ユリ”に走ってみることにした.ユリならば少女マンガに近いし,こんなおっさんが違和感を感じるようなストーリー上の変な進行もなかろう.

まずユリの中でその時点で最も有名であったのがささめきことであった.マンガの連載も少女マンガではなく成年誌の枠であったし,作者も男性なので少女マンガ系とは一線を画している.ユリなので萌えとも相容れる部分は少なかろうということでこれもDVDで見てみた.

感想はまず一言.切ない.学園ユリコメディーというカテゴリ枠を大幅に超えるほどにとにかく切ない.実際今までの私の生涯の中でユリな女性が周りにいたこともあったが,彼女たちはこんな思いをしてきたのかと考えたら目から鱗がダダ落ち.まあすみちゃんほどの男前女子は現実にはなかなかいないだろうけど,共学高の中で自分だけでなく相手までもがユリということでまとめられ奇異な目で見られることへの恐れがありつつも,我慢の限界に徐々に近づいていくところがいい.実際アニメのストーリーはすみちゃんの思いにウシオちゃんが気づく前のホンワカしたところまでで,カテゴリ通りコメディ系の設定・進行であったこともあり泣きはなかったがこの切なさは普通の学園ものでなかなか得られるものではない.

また前回のアマガミSSではアニソンに目覚めた感があるが,このささめきことではオープニング,エンディングテーマのみならず各所で流れるBGMにも嵌ることになった.ほとんどがごくごく短いフレーズではあるが,ふとした感情の起伏をうまく現せるように工夫されている.特にコミカル一辺倒になってしまいそうなところからユリの持つ独特の世界観に見ている側を引き戻す効果をもっていたり,またはその逆だったりする.うまい音造りというのはこんなふうなものを言うんだろうなと思う.とかく朱宮くんの登場するシーンではこのような転調が効果を発揮している.例えば朱宮くんがいろんな意味でお仕事中の時に流れるエレガントな雰囲気を出すために使われている音とかとてもこのようなユリアニメのものとは思えないほどの深みを持っていて素敵なのだが,そこからの転調にもうまくBGMが使われている.また,うしおちゃんが徐々に気持ちを動かしつつあるところなどでオルゴール的に流れる音もそれっぽくて良い.このようなBGMを効果的に使うことで物語が進んでるんだと実感できて,次はどうなるのかな?と期待させる気持ちになったりできる.よくここまで見ている側の気持ちを汲んだ音造りが出来ているもんだと思う.


次は同じユリ系で青い花を見ることにした.同じくカテゴリ的には成年誌の連載ではあるが,原作者が女性でありもしかしたらささめきこととは少し違う毛色なのかも?ということでのセレクト.それに主人公がお互い女子高の設定でハードルも低いはずだからと少々舐め気味にトライしてみたわけであるが,詰まる所最終回になってぼろぼろ泣いてしまった私なのである.本当に終盤までほとんどユリなふみちゃんの日常と成長をそれなりの起伏を持って表現している.恭子先輩もユリのストーリー展開の中で必須のいわゆる男前要素をとにかく配置してみた感じだったり,かなり冷静に解析しながら視聴を進めたりした.でも最終回の終了30秒前にふみちゃんが自分の本当の気持ちに気づいた瞬間,その二人の気持ち,台詞回し,そこに至るまでの道のりやロケーションのすべてに瞬時に圧倒されまさに不覚にもほろりという感じではなく,声は出すには至らないものの号泣に近いほどの涙腺崩壊が到来したのであった.

実はこのシーンは漫画のほうにはないようで,アニメオリジナルのシーンなのであるが,アニメにするにあたって原作にないこんな印象的なシーンを作りこんでしまうなんて...確かに原作のほうを読んでみると台詞やシーンそのものがストーリーの進行に比べて比較的少なめで,読者にわざと行間を読ませるようなつくりになっている.これをアニメ化するために原作者の志村貴子さんとスタッフの間で打ち合わせが持たれたとのことで,それがこのような印象的なシーンになって表現されたというわけだ.

私にとってこのアニメオリジナルシーンはかなり衝撃的であったようで,視覚野に情報が伝達される前にそれがシナプスに差し掛かっただけで瞬時に涙腺がフルオープンするようになってしまった.ここに条件反射という動物特有の機能も加わり,暗にこれを示唆するべく埋め込まれたオープニングの特定のシーンを何度見ても一瞬にして泣けてくるようになってしまった.そのシーンとは二人が手をつないで花びらの中を回りながら踊っているときに一瞬花びらが舞い上がり幼少期の姿に戻るシーンである.一度目視聴したときには最終回を見終わるまでは何の気なしに見ていたオープニングではあるが,最終話を見終わって初めてこれほど意味のあるものだったと気づくなんて,もしこれが製作者側の意図によるものであったとしたならば,なんたる演出であろうか.まあ独創的な画像,音響を利用して原作を元により良いものを作りこむことが出来るということがアニメ特有の芸当であり,すなわちそれは漫画や小説,実写のいずれでもできないことなのだ.

そんなこんなで嵌まりに嵌ったこのユリ系アニメ2本はマンガのほうの連載もその後も継続していて,アニメの続編を作れる分のネタはそろっていそうなので是非それぞれ2ndシーズンを製作してもらいたいところなのであるが,やっぱりユリというカテゴリだけあって視聴率とかを考えるとビジネスとして難しいのかもしれない.とあきらめがちに考えてしまうのもちょっとさびしい気持ちもするのだが...

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