実家に帰っていたバイト休みの日にそれは起こった.水銀柱は8時前からぐんぐんあがりつづけ,スーパーでのバイトをしている日常では感じることのない暑さ.
気がつくと日頃バイトバイトであまり走らせてやれないGPzに満足をくれてやろうと43号線を神戸に向け走らせていた.当時の43号線芦屋と東灘の間はちょうど50km/h走行で走ると信号が変わるタイミングに合うという絶好のシグナルGP場だった.
信号待ちの車の列を抜けるとそこには発売されたばっかりのタイガースカラーのVFR400F(プロアームでないやつ).アクセルをしきりにブリッピングし,やる気満点.いくしかないでしょう!!とこちらは空冷ながらも臨戦態勢.シグナルブルーと同時に駆け出すもVFRはシンクロにしくじり3馬身後ろに.あろうことかちょうど信号の区間が一番長いところで,"おらが春"状態の私は4速にかきあげたところでオーバー12○km/h.
VFRをちらっと見ると代わりに白いCBX650...ありゃりゃりゃ?しかも赤色灯をぐるんぐるん回し"とまりなさい"なんぞほざいている!しぶしぶ路肩に止まり,そこでは危険だからということで指示を受け左折して路地に入る.兵庫県警さんにお世話になるのははじめてだ...なんて思いつつメーター見せてもらうと41km/hオーバー...当時は25km/h以上が赤キップだったのでまけてもらおうとかそういった情熱が湧かなかった.実際12○出ていたのを見ているので,最高速で捕まったらと考えるとぞっとする.
もう既にキップは一回経験済みで未成年だから赤切符が出ないのはもう知ってるし罰金も取られない.しかし,2回目からは不処分ではなく保護監だ.大学の前の保護監事務所にいくことになるとは...また親に京都家裁にきてもらわなきゃ.西門と鴨川の景色が目に映る.免停もつらい.VFRは途中で気づいて減速して難を免れたらしい.運のいいやつめ.シンクロしくじりやがって.ばか...
(ちなみにここら一帯は地震のときに高速が倒れたところで,現在全く景色が変わっている.)
再び走り出すも本当は灘区のバイクパーツやさんにいくはずだったのが急遽変更.六甲が俺を慰めてくれるぜ!!
三田に抜ける国道で山登り,山並みを宝塚まで一気に抜けるルート.宮城光がCB400fourで伝説を作って以来六甲は高校生のころから身近な聖地として存在していた.下界よりも5度以上低い気温と快適な湿度にペースをあげ,いっぱしの峠小僧のつもりで攻める.41km/hオーバーのことはもうさっぱり頭にはなかった.
コーナーをいくつクリアしたろうか,気温も下がってきてもうちょっとで最高点という地点でけつにぴったりつく一台のバイクがあった.明らかに煽っているというよりもあまりの速度差ゆえに障害物扱いの末に邪魔だといわんばかりの迫り方.こっちはフロントヘビーの400cc空冷ではラインをぎりぎりいっぱい使っての上りのコーナーリング.しかも熱だれで回転があがらないし,技量が足りなくて速度を維持しながら譲る余裕もない.ミラーをコーナー出口で覗く.ノンカウルだ.タンクが緑!?なんだあれ.
明らかにビッグ4のサウンドでノンカウル.結局彼が私をクリアしたのは車体を確認できるようになって30秒後あたりに現れた長さ100m程度の曲率の大きい連続S字だった.彼はそれでも気持ち左に寄せた私の車体の脇を黄線をまたぎながら右斜線を真っ直ぐ突っ切ってクリアした.実際抜いた抜かれたよりもそのバイクがなんであるかに興味が移りつつあった私は抜かれざまにそいつをしげしげと眺めたのであるが,それはあたかもスローモーションのように私の記憶にその光景を焼き付けた.
GPZ750R ライムグリーン(G2).85年の8耐Team Greenのレプリカで,ノンカウル仕様.角目のライトとミラーをカウルステー付け,フロントウィンカーを今の定番のようにステーマウントに取り付け,真夏に革つなぎで走るその姿は一層鮮烈であり,私の網膜に強烈に焼き付いた.
しかし,私の網膜にその姿を映し込めたのは,そのストレートの奥の上り左ヘアピンを見事なハングオンでクリアする姿が最後であった.私がヘアピンを抜けてからは月木と思われるマフラーの音が森の中に徐々に小さくなりながら響いていた.
はっと我に返り,どこかで休みを入れているに違いない!!と隣接するパーキングの全てに目をやりながら,こちらは休みを入れることなく彼を追いかけた.しかしその日その緑のマシンに会うことはできなかった.
実際その経験からBIG BIKEへの憧れが生まれたといって過言ではない.当時時代は400レプリカ全盛期.GPz400Fをして街中,峠,高速全てにわたってGSX-RやFZ400Rのレプリカモデルに敵うことはなかった.レプリカに敵わないなりにGPzでのクルージングもそれなりにトルクがあって楽だったし,その時点で"中免で充分楽しい"と決めつけていたのは事実だ.
おそらく41km/hオーバーがなければ有り得なかったこの経験が,その数年後車検を終えたばかりのGPz(機内外とも絶好調)を売っぱらい,それに引き換え検なしで程度の悪いGPz750R(G1)の個人売買に踏み切らせたのであろう.