その時期,会社では某国の関連会社に技術援助をする業務に就いていた.ある日某国に駐在しあるプロジェクトの立ち上げを行う人が我が職場にやってきた.3ヶ月程度その人は私の職場で実習する事になった.その人は中途入社で大学の卒年は私と同じであった.年は3つばかり上であったが,話をするうちバイクに乗っているという.某国に旅立つ前に処分しなければいけないとの事である.聞くとZXR750だという.前の会社に入社してすぐに購入したとかで89年式.走行は5000km.赤黒.事故なし.外装ちょい傷とのことであった.それなら30万切っちゃうんじゃないの?なんていいながら脅しをかけると.
"買いませんか?"という.その場は"今は金ないし...けど○○万で譲ってくれれば"と答える.この○○万は当然僕に売ると損になるという金額である.おそらくその3-4万乗せがその当時買取り専門店の買取り相場だったと思う.今思うと人の海外勤務につけ込んだいやらしい発言であったとしか思えない.しかしその金額でよいというのである.ということで帰宅して妻と相談.
"私が乗れないじゃないの!"という第一声に負けず"限定解除すれば?そのうち教習所で取れるようになるし..."(この言葉で夫婦仲がどれほど悪くなったことか.)結局承諾が得られたか得られてないかわからないまま後日モノを見に行く.
一部カウルにヒビがあったり立ちごけの跡があるが,他の傷はない.転倒,事故はないといっているがそれは本当のようだ.保管状態は普段カバーをかけていないので,シールドやゴムなんかは年式の割には劣化している.ただし私の提示する額からいくと超お買い得である.エンジンは勿論かかる.初めて耳にするセンターカムチェーンのKawasakiレーサーレプリカの音は意外にシンプルだった.GSX-RやFZRのような癖のある音を期待していたのだが,ブリップしてもぎりぎりご近所迷惑にならないレベル.距離を走っていないので結局エンジンの音だけで判断するとエンジンに補修が必要な箇所はまずないようだ.試乗するのはあまり乗り気でなかった.試乗して決めるほどおそらく自分の五感が鋭敏でない事は承知していた.今私が試乗する事はこのバイクを愚弄する事にもつながる.と感じた.夕方の薄暗い明かりの中でタンクやカウルは光を放ち私に話しかけるようであった.
正直その時点では自分が"こちら側"もどることができるか不安でしょうがなかった."こちら側"に戻らぬ決心をしたわけではなかったが,"こちら側""に戻って自分が何をするのか?"こちら側"に受け入れてもらえるのか?自分が戻ることは"こちら側"を愚弄することにならないか?その時葛藤の中で徐々に育ちつつあった内なる衝動が私に口を開かせた.
"買います!"
暗闇の中で"こちら側"に再度復帰する決心を付けた.同時に心の中でZEP1100とは決別した.次に乗るバイクを心の中で決めながらそのバイクに対するのは失礼である.一瞬たりともそんな状況があってはならないのである.G1にひどい仕打ちをしてそれから築いた自分の哲学である.奇しくも型番でいうとアルファベット上ではZX750G1の次のH1である(その間に発売されたGPXはなぜかZX750Fである.一個戻っている).
結局その人が某国に旅立つ直前陸運事務所で名変と同時に受け渡しを受けることになった.
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