バイク人生のルーツを考える.我如何にバイクに乗るに至る?である. そもそもバイク乗りは子供のころの肉親や近所の環境に影響されているケースが多いと思う.私はというとそんなにバイクに染まった生活とはいえないが,それらしい背景はあったと思うのでそこから紹介して行こうと思う.
子供の頃親父は通勤にスーパーカブ90を使っていた.なぜ90か?というのは乗車定員である.当時駅から徒歩30分バスなしの山上にすんでいた我が家に移動手段として車の選択は有り得なかった.それは親父が車嫌いだったから.しかしその車は駄目でなぜバイクはいいのかというのは未だに謎なのであるが.
ただしこれが我がバイク人生を決定付けたかというと,そうでもないような気がする.親父のバイクは一時期CD90とかに変わったりもしたが,その当時特別バイクに興味を持つこともなかった.当時子供心にでかいバイクといえばハーレーだったし,もしZ2やCBとかを知っていたとしてもそんなものに憧れは持つ余裕もなかったのである.
一方で自転車は好き勝手どこでも行けるところがとても好きなのであった.よく中坊の頃も自転車で梅田や三宮に行って買い物してたし,生活に密着していた.ただ,いわゆる趣味ではなく足として充分に付き合った感があり,メンテせずにあまりに酷使したため良くホイールがいかれたりした.オンロードモデルで歩道を走ることが多かったので段差の影響でタイヤを通り越してホイールがいかれるのである.おそらく移動手段でしかなかったために自転車はそのような酷使を受ける羽目になったのであるし,これをしてもなぜバイクに乗るようになったかを語るには足らないトピックであることは間違いない.
そんな状況だから高い自転車を買ったり,改造して乗り回すとかそんな趣味はなく,ひたすら与えられた自転車に乗りつづけ,距離だけ伸びて行き車体はどんどんくたびれるといった関係.宿泊をもとなうような長距離ツーリングなんて考えたこともなかったし,メンテに金はかかるのであるが自転車関係は親が金を出してくれるということもあって特に気にすることもなく乗りっぱなし状態.
当然自分でメンテすることはタイヤ交換ぐらいでほかの手間のかかるメンテは自転車やさんで有償でということになる.その頃自転車屋に行くとMBX50Fが置いてあった.で,印象には残っているもののそのMBXに魅力を感じたかというとそうでもない.しかし店の奥にHONDAのバイクカタログがあった.修理待ちの途中それらに目を通す時間が存分にあったのだが,その当時総合カタログの一番上にはCB750FB,VF750MAGNA,SABRE,CX-EUROなどが並んでいた.その中でもリリースされたばかりのCBX400Fのカタログは水面に浮遊する塵を吸い寄せるように私の心を捉えた.
カタログを見てはいたものの,自転車屋さんからカタログを持ち帰るほどではなく,その後街中でCBXを頻繁に見るようになってからはかなりCBXにはまった.タンク形状といい,16バルブのエンジンといい,当時は最先端のデザイン,技術に見えた.なんか知らないけどエンジン前でクロスしているエキパイ,インボードディスクも外観はメカメカしかった.テールエンドの一体型ランプ.適度なボリューム.外見的に非常に美しく,機能美の固まりであった.そのうちVF750,400FやVT250Fなどが出て,しばらくHONDAのバイクの虜になった.V型エンジンはとにかく作りこみが難しい上にこれで高出力を得るための冷却性能が難しいなんてのもどこかのバイク雑誌で見たもんだからV型エンジンが大好きになった.特に縦置きV型エンジンがスポーツモデルに積まれているのは日本ではそれだけだったし,特にVF750Fは当時べらぼうに最先端をいっているイメージがあった.
しかし当時まだ自分がそれに乗ろうという気は起きなかった.スピードではなく距離を伸ばすという目的の上で感じられたバイクの魅力はCBXやVFにはなかったし,やはり自転車の延長で考えるとツーリングモデルが好ましく思えた.排気量も250ccで充分と思っていた.しかし250でHONDAのツーリングモデルというのは当時のカテゴリにはなかった.ヨーロピアンタイプと呼ばれるカテゴリーがあり,ホンダだとVF750SABREあたりがそれに該当した.250にはそのカテゴリに該当する機種がないので,それでもポジションや乗り心地を頭の中で空想しつつ,アメリカンがいいななんて思っていた.そんなことだから当時の自分の中ではCBの中でもCB250LCというアメリカンモデルがお気に入りであったと記憶している.
高校に入った.ちなみにその高校は涼宮ハルヒのアニメでおなじみの高校である.谷川さんは私の4ケ下の学年なので実際ラップしているわけではないのだが,最近懐かしい光景がアニメであっても見れてうれしい.
ちょっと脱線したので話を戻そう.兵庫県は3ナイ運動のいわば発祥地である.原付免許を取った友人は体育教官室でしばかれて親の呼び出しを食らい,卒業まで免許預かりとなった.一方で当時私の通う高校の当直はバイトの学生が交代で行っていた(ようだ).その中の2人が奇遇にも同じz400GPに乗っていた.今のハルヒのアニメで校門の外から校舎を見たときに大きく目の前にある階段の根元に当直室があり,ちょうどその震災の後に出来上がった階段のあるあたり(当時の校舎は校舎の中に階段があったので)に毎朝赤と緑の車体が交互に止まっていた.それはホンダのカタログでしかバイクに触れることがなかった私にはz400GPは無骨でいてグラマラスな車体がやけに妖艶に映ったのである.
当時緑のz400GPは限定色ということで人気が高かったが2台のうちのその1台はその緑であり,友人の話を聞くうちローソンという人がアメリカのレースで早かったため緑が限定色で出ているとのことであった.当時もう既にローソンがコンビニとして営業を開始していて店舗数を徐々に伸ばしつつあったのでそのローソンという名前は妙に印象的であった.
そのうち逆車も国内で幅を利かすようになり,Z1000Rなど他の緑のマシンがウロウロするようになった.それが元祖で国内はそのレプリカがGP,しかもそれは550ccからのダウンスケールモデルであるというのがわかり国内の恵まれない免許事情や自主規制などバイク事情にもちょっと詳しくなった.
高校の行き帰りはそのハルヒのアニメシーンでも有名な西宮から六甲に抜ける道であったので,ここを通り掛かるバイクに自然に視線が行くようになったのはこの頃であったと思う.もうそろそろ受験というのにMr.Bikeを毎号隅から隅まで読むようになっていた.