ツーリングが楽しくないとなるとバイクに跨る機会がめっきり減ってしまう.京都にいたころは高野からちょっと一乗寺とか百万遍に飯を食いに行くにもバイクを使っていたのに,都内では地下鉄に120円払って乗れば銀座なのである.そんなこんなで普段の足としての利便性が薄くなり,ツーリングも一苦労ということで結局エンジンをかけるのもせいぜい1ヶ月に一度になってしまった.
いかんいかんと思いながらそのような状態が2年目を迎えたある日.通りがかりにふと寮の奥に止めているニンジャを見るとメインスタンドが土にめり込んで倒れているっ!
さっそく寮の建物をぐるりと回ってニンジャの元へ駆け寄り引き起こそうとするも長雨のせいかぬかるんでタイヤが滑る.スタンドも地中深く入り込んでいて,なかなか起こせない.結局ひざから下をドロドロにしながらなんとか引き起こし,サイドカウルを見てみるとガソリンが漏れていて一部塗装が剥げている.ぬかるみになっていたおかげで転倒の衝撃がそう大きくなかったようでミラーやウィンカーはまったく無傷であったが,この塗装剥がれには相当ショックを受けた.かなり打ちのめされ,涙が出てきた.自分の勝手でG1が傷ついてしまったのだ.頻繁に乗っていればほぼ無傷であったはずの車体に放置していた時間とともにガソリンが滴れ,サイドカウルの塗装が剥がれるのにどれぐらいの時間を要したのだろう?
この時点でかなり精神的にめいっていた.バイクバイクと有頂天になって格好だけで乗りつづけるのが俺のバイク乗りとしてのあり方なのか?バイクと一体になるなんていいながらこのG1を傷つけるだけの時間放置しておいた自分の身勝手さは何だ?
自問自答を繰り返す.大袈裟かもしれないが,その時それが本心であった.もし今同じような状況になってもそう考えるだろうか?と思う.それだけ自分がまだ純粋だったのかもしれない.いや,そう思わない限りバイクに乗っていたくない.
失意の中半ばあきらめの気持ちでセルをまわしてみた.健気にもエンジンは回る.ヘルメットを持ってきて他のダメージを見つけるために少しあたりを走ってみた.おかしい...
フロントがぼこぼこする.パンクだ.でもパンクそのものよりもパンクに気づくまでの時間が自分にとって大問題であった.あれほど入れ込んでいた自分ならば跨るまでもなく引き起こした時点でパンクに気づくべきである.それが走り出して加減速を3回ほど繰り返した信号待ちでようやく気づいたのである.200mは走ったろうか.今の生活のおかげで全くといっていいほどバイクのよこす情報に疎くなっていたことがこれで明らかになった.
すぐに戻ってニンジャを降りてシートから降りてニンジャの横にしばし佇む.もう涙が出るというより茫然自失.抜け殻のように部屋に戻り,修理キットでパンクを応急修理した.その最中に考え,考え考え抜いて決心する.別れるべきなのだ.もう自分の器はニンジャに相応しくなくなってしまった.この恥ずべき行為をG1に対してやらかしてしまった自分を責め,自らをニンジャから遠ざけることが償いのように感じた.
引きずってみても答えは変わらない.その日のうちに然して下取り額の調査もせずに適当なバイク屋にG1を託した.結局若気の至りで必要以上に燃え上がった情熱の実績値としてはあまりにも少ない10000kmとちょっとの付き合いであった.下取りは実際もともと程度の良くない上に距離も走っている.その1年間の日頃のメンテナンスも最低なわけで以前からのオイルにじみも進行している.いろいろぼろがある状態で見積もられた額に頷き,二束三文の金を得たが,それまでの生涯で金を受け取ってこんなに空虚な気分になるのは初めてだった.
こうしてしばらくバイクのない生活が始まった.