部室について(その1:ブルーレイ発売記念)

やっとブルーレイ,DVD発売となりました.長らく待ち続けたファンの方も多いと思います.私も勿論購入しましたが,今まで映画館で見た記憶だけではなかなか明言できなかったところについて今回は語ろうと思います.まあ,そんなところはまだいっぱいあるのですが,どうしても途中ポーズを入れて確認しなければいけないほどのち密な描写がされているパートがあります.物語上そう重要というわけでもないのですが,私にとってそれの際たるものが糸守高校の廃部室であったりするのです.今回は早速入手したばかりのブルーレイを何度もポーズを入れながら確認してレポートしていこうと思います.

<部室の歴史>

いろいろなネタの宝庫とも言える部室ではありますが,まず入り口のところからネタが語れてしまいます.この部室の入り口には歴代の部の表札がご丁寧にも連続して掲示されています.しかし私も記憶力がそんなに優れていないのでこれをすべて順番通りに正確に覚えている自信がなかったのです.これがブルーレイを入手したことではっきりと明言することができるようになりました.その結果その表札は上から

地学部

天文部

マイコン部

地質研究考古学部

の順番になっています.今までもやもやっとしていた部分がこれでスッキリしました.で,私はこの順番にも少しストーリーがあるのではと考察してみました.まず地学部ですが,これはまず糸守高校創立時に適当に教員が設けた感じの部活動のように思います.しかしカリキュラムの変遷により,地学を履修する生徒も少なくなっていったように思います.実際今のセンター試験である共通一次試験が開始されるまでとそれ以降では地学の履修者は受験科目の選択上の利便性から減っていったと推測されます.致命的になったのは私たちの丙午学年に行われたゆとり教育第一弾のカリキュラム変更です.理科1という科目ができ,地学はその中でさらっと流すだけになってしまい,よっぽど特殊な大学,学科でなければ地学という科目は必須ではなくなったのです.

そういった点でいうと,共通一次試験は1979年が初回ですので,地学部が天文部に変わったのは1980年代の初頭ではないかと推測できます.そして地学履修生の減少に伴い部員数を失った地学部は名前を変えて再起を図ります.その天文部に名前を変えるにあたって少し宇宙に興味のある生徒や,ロマンチックな星の世界に興味のある文系女子まで含めた入部者が現れ,少し天文部は活気を取り戻したのかもしれません.

さて,その次のマイコン部です.今となってはマイコンという言葉自体が死語のようなものですが,その元の意味はマイクロコンピューターです.今の方々はマイクロコンピューターと聞いてどんだけ小さいコンピューターなのよ?と思うかもしれませんが,何のことはない今のデスクトップパソコンよりも少し大きなパソコンというイメージです.これはその時代までコンピューターというと背の高いラックのようなメインフレームと呼ばれた筐体に収納されたものを呼んでいました.それと比べればそのデスクトップパソコンのような大きさのそれは当時マイクロと呼ばざるを得ない大きさであったわけです.

そしてそのマイクロコンピューターというものはすでに世界的には70年代の中盤からすでに登場していました.しかし日本語への対応ということで,日本ではちょうど共通一次試験と同じ年の1979年にNECから日本語8ビット機のそれなりに値段を抑えたPC-8001が発売されました.それでもディスクドライブや増設メモリもない単体で10数万円ということで当時としては高価な製品ではありました.そうなるとそれはもちろん当時の高校生には趣味にするにはまだふさわしくないものでした.なので実際高校生世代にマイコンを”趣味”という人が複数出てきたのは私が高校に入学する1982年ぐらいではなかったかと思います.それに田舎の糸守においてマイコン部が創設されるまでになるとさらに時間を要し,マイコン部の創設は1984年ぐらではなかったのではと推測しています.

となると,天文部は1981年ぐらいに創部され,3年後にはマイコン部に名前を変えてしまったのではないかと思います.するとなぜ天文部が糸守高校で長期存続できなかったか?ということを考えたくなってしまいます.

1984年までというと,ちょうど私が1982-1985年北高に通っていたわけですので,その事情をまるで見てきたかのように語ることができます.というのも私の高校の時に天文部とマイコン部を兼部していた友人が一人いたからです.その彼は写真もやっていたし生徒会のメンバでもあったので比較的写真部でジプシー生活をしていた私たちと接点を持っていたのですが,その彼の印象は

・星も好き
・マイコンも好き
・女子も好き
・ガンダムが好き
・ラムちゃん(うる星やつら)が好き
・クリィミーマミも結構好き

・今でいってもすごいオタク

だったのです.当時オタクという言葉はまだありませんでしたので,その線引きはありませんでした.ある意味写真バカ,鉄道旅バカ,バイクバカであった私も大義では今でいうオタク的なくくりで見られていたことだろうと思います.でもそんな私からしても彼は突き抜けていたと思います.で,当時の天文部は顧問の顔からして胡散臭い感じがプンプンしていた上に,彼のような人が数多く存在していたのです.で,ちゃんと男子の全員が全員そうではなかったのと同時に女子もちゃんといたのですが,その女子たちは総じてそのような男子たちを少し遠巻きに見ているような感じでもありました.まるで必要以外の会話はしたくないかのような感じです.男女が同じ活動をする文化部ということでは吹奏楽部はたくさんのカップルがいましたが,一方の天文部はいても1組ってところ.

そんなことを思い出すと,糸守高校の天文部もはじめは女子を多く獲得したものの,やがて男子のオタク度に辟易した女子たちが幽霊部員となり,再び廃部の危機に追い込まれたのではないかと推理できます.そりゃ糸守なんて天文部に入らなくったって綺麗な星が空一面に拡がっていたでしょうし,いったん星図を覚えれば部室に行く必要もなくなるでしょう.いわば地理上のデメリットもあったのではないかと思うのです.

そしてその残された男子たちはまるで羽を伸ばすかのようにオタク街道を突っ走ります.1984年あたりからマイコン部は隆盛を極めます.ちなみに新海さんもお父さんの談話などの中で小学生のころからそのマイコン(今のパソコン)に傾倒していったとのことですので,この4つの表札の中で実は新海さんの思い入れが最も強いのはこのマイコン部なのではないかと類推してしまいます.

しかしてマイコン部は先述のような今でいうオタク男子の天下となります.しかしそれは年代の高い教諭陣からするとまるで伏魔殿のような様相を呈していたのではないかと思います.ある程度偏差値も高い学生が集まって何やら高度なことをやっているらしい.でも何のアウトプットもなく,かなり閉鎖的な活動のように見える.それに加えて部員の学生たちが日に日に常識人から理解できないような振る舞い,しぐさをするようになる.周りの学生たちも怖がっている.そんな噂が蔓延したところで,ある日この部室に足を踏み入れた教務主任の教諭がブチ切れます.中にはゲーム機が置かれ,まるで学校のそれとは思えない様々な奇異な物体や得体のしれない機器が散乱しているわけです.そして教務主任の教諭の逆鱗に触れたマイコン部は強制解体となったのではないでしょうか.

しかし,一旦そのような文化が一部の学生の間に蔓延してしまったからには,しばらくすればまたそのような輩がゴキブリのようにわいてくるのが常です.しかしマイコン部という名前は悪いのは学生ではない,マイコンというパンドラの箱があのような悲劇を生んだのだと思いを昇華させてしまった教諭陣に対してはもう使うことができません.そこで,マイコンより少し高度な資格も必要なアマチュア無線という言葉がその隠れ蓑に使用されたのです.そして,ほぼ同じ部員ながらも彼らはまた自分たちの居場所であるアマチュア無線部を創立することができたのです.

そして名前は変わってもやっていることは同じなので,日に日に集まっていく得体のしれない品物,そしてそれとともに徐々に強まっていくおどろおどろしさ.私はあの部室のほとんどがこのマイコン部,アマチュア無線部の時期に形成されていったのではないかと想像しています.しかし,そのアマチュア無線部もそう長くは続かなかったようです.恐らく廃部理由はマイコン部とほぼ同じ内容であり,一向に片付かない部室やその利用方法にあったと推測できます.また,ちょうど1989年のある事件から初めてオタクという言葉が生まれます.アマチュア無線部の部員たちのそれと,徐々にメディアで露出されているオタクの先駆者たちの振る舞いを見て,教諭や周りの学生たちも初めてあの人たちはオタクだったんだ.と気付くことになります.そして自然にオタク排斥の機運が全学に高まっていくことになります.その矛先の筆頭であったアマチュア無線部は日ごろの行いも悪かったことによりお取り潰しの憂き目にあうことになるわけです.したがってアマチュア無線部が廃部に追い込まれたのは1990年以降であったのではないかと想像しています.

そしてさらに注目したいのは最後に出来上がったと思われる地質研究考古学部の表札です.しかしこの表札,他とは明らかに異なります.サイズ的には表札というより看板のような構造であり,名称の下にはいろいろな制限事項が書かれています.その内容を要約すると

(1)整理整頓の励行
(2)備品の持ち出し禁止
(3)退出時の後始末励行
そして一番下には”教員一同”

となっています.それに加え地質研究考古学部という長々しい名称が一層私の妄想をくすぐるのです.というのも先般の理論通り元アマチュア無線部の学生たちは一策を講じます.”アマチュア無線も,マイコンもパソコンもファミコンももうやらない.私たちは彗星とつながりの深いこの糸守のことを思い,その部室の源流でもある地学に根差した活動を行いたい.そして地学の中でも特に糸守の歴史を紐解くのに重要な考古学を深耕したい”と教諭陣を説得し,創部に向けて動き出します.しかし教諭陣はあの部室を何とかしない限り部室は使わせない.お前たち全員で念書を書いて教諭陣の前で宣誓せよとなるわけです.そして嫌がらせのように部室の看板にあの3つの制限事項を入れることを了承させた.なので一番下に書かれているのが校長ではなく教員一同だったのではないかと思うのです.

私は実はこの校長ももしかしたら一役噛んでいるような気がしています.実はその当時の校長は地学部に端を発するこのアマチュア無線部までの部活動の陰の擁護派であったのではないかと思ったりしています.校長にはいろいろな教諭からのアマチュア無線部の悪態ぶりが耳に入ってくることでしょう.しかしそれを長年校長は黙認してきた.それはなぜか?

それは校長が地学部OBで,そのアマチュア無線部の面々のやっていることと同じような趣味を陰ながら持っていたからではないか?看板の下の文字だけからそこまで妄想を走らせてしまうのは異常ですね.でも私にとっても他のオタク文化の古い歴史をご存知の方の一部にとって,これはどうしても匂いを感じてしまうところなのではないかと勝手に推測しています.それはハルヒのところでも少し触れていますが,オタクという言葉さえも無かった時代にその文化の根幹を余すことなく吐露した漫画作品究極超人Rの設定によるものです.

あの作品において光画部はその日ごろの様々な目に余る所業にも関わらず,長年の歴史を刻むことができていました.それは結局校長が光画部OBであったという落ちなのですが,それと同じような環境がこの糸守高校においてもあったがために,何度も名前を変えてひとまず存続できていたというようなストーリー設定の匂いがプンプンしてしまうのです.

話は戻ってこの地質研究考古学部は,まさにそのような活動を隠れ蓑にして多少長く存続したのではないかと空想しています.実際細々と彗星に関係した地質調査なんかもやっていたかもしれません.もしかしたらご神体の石を彗星の本体と考え,砕いて持って帰ってきたのかもしれません.そしてそれがそのままあの部屋に放置されていたとしたら….まさに瀧in三葉とテッシー,サヤちんがあの場所で作戦会議をするのはその彗星の(=ご神体の)かけらのなせる業であったのかもしれないなとか思わず妄想を暴走させてしまいます.

ちなみにドアの張り紙を見ると

廃部につき立ち入り禁止 1995.4

となっていますので,20年以上経過していることになります.しかしあの部屋の保存状態からするとその間はほとんどだれも近寄らない開かずの間であったのではないか,まるで何かの加護にあっているかのように保存されてきていた.まるでタイムマシンのように.しかしサヤちんはあのドアが自分の足で開けられることを知っていたわけなので,すでに何度も出入りしていた可能性が高いと思っています.なぜ長年幽閉されていた部屋に導かれるように3人が居たのか,そこで作戦会議をする運びとなったのか.それはテッシーが糸守高校入学以来,匂いにつられてこの部屋に以前から出入りしていて,それに釣られてサヤちんも一緒に入ったことがあったからなのでしょう.それほどにテッシーのオカルト好きは深く,このストーリーメイクの上の各所で効力を発揮しているわけです.

さて,部屋のことを語りたいと言っておきながら,まだ部屋に入ってもいないところでこんなにも語ってしまいました.恐るべしブルーレイですね.続きは次回にまだまだ語ります.

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