いろいろな疑問について(その2)

映画のストーリー中謎に思うことがあっても,小説やアナザー小説があるので,大体の背景が理解できてしまうところがありがたいと思いますが,映画製作にあたって映像にするかどうかということではアナザーの加納さんのほうで候補に挙げていたもので映像化できなかったのをアナザーで書いているとビジュアルブックのほうのインタビューでも言ってます.恐らく小説化したもの以外もいっぱいあるでしょうし,1200年前までさかのぼってスターウォーズみたいにエピソード0みたいなのも期待したいところです.まあ,そういったのが出てくるまでの間適当に空想をはべらかしているのが,私のようなしがないファンの楽しみではあるんでしょう.したがってここで出てくる疑問は決して私が解決するわけではなく,あくまでも私はこう考えていますよ的なものとしてとらえていただくと幸いなのです.では続きをば.

<夢の中での3年のずれについての認識>

瀧くん,三葉が入れ替わっているときに時間軸の認識がないのはおかしいと指摘する人がいますが,私はあんまりそこに疑問を感じなかったりします.それは私の実体験によるものです.

実は私も夢の中で人に入れ替わっていたり,そんな夢を見たことがあります.流石に男女での入れ替わりとかはないですが,全然知らない境遇の人と入れ替わり,知らない人ばっかり出てくる夢だったり,なぜか小学生〜大学までのいずれかの友達に入れ替わってその人として夢を見ていたりします.その夢の中のことは目が覚めた後の記憶の中では断片的にしか覚えていませんが,実際その夢の中での私はもう混乱するばっかりで,時間なんて気にする余裕はありませんでした.

目が覚めてから,何であんな夢見たんだろうとか,いつ頃の誰設定だったんだろうかとか,寝起きに少し気にしても“まあ所詮は夢なんだから深く考えてもしょうがない”と,それ自体を覚えておこうとは考えず,記憶はどんどん薄れていきます.確かに三葉と瀧くんのように入れ替わるのと,戻るタイミングが眠ることなのであれば,本当に起きた後にその夢(すなわち入れ替わり)で起きたことを覚えているのさえもむつかしいのかも知れませんね.ただ,それが何度か連続すれば徐々にその記憶が残留していくんでしょうし,スマフォの画面にその内容が日記のように書かれていれば入れ替わりに気づくこともできるんだと思います.まあ入れ替わった先が性別や境遇にあまりにも大きな隔たりがあったので,余計印象に残りやすかったのかも知れません.

ということで私はこの入れ替わりの時間軸の記憶があいまいというのは結構納得できたりしています.

<なんで記憶や記録が強制的に奪われるか?>

3年後の糸守高校でスマフォの文字が消えていったり,瀧くんの記憶から三葉の名前が消えていったり,糸守神社の境内で三葉も同じ状況になったりと,二人のお互いに関する情報が記憶,記録共に失われていくのは,いかにもそれらがうたかたの夢であったかのような,はかなさとか無慈悲さとかを感じざるを得ません.また,瀧くんと同行した奥寺先輩とかも,なぜ瀧くんが糸守に行ったのか,思い出せないような感じで,とにかく糸守に行った記憶だけがあるような描写になっています.

これは関係した人に記憶や記録が残っていると何か都合の悪いことがあるということに他ならないでしょう.それはパラレルワールドとか時空改変に近いような世界を変えてしまうほどの悪影響が出るということでしょうか?まあ全体で行くと確かに時間を巻き戻すようなことをしているわけなので,そこで記憶が残ってしまっているとつじつまが合わないことも多く発生するでしょう.そうならないために二人と周辺の記憶,記録のみを変えてしまうというのがそのからくりのような気がします.

瀧くんは本来糸守の存在に気付かずその日のうちに東京に戻るはずだったのに,瀧くんの気持ちのこもった糸守デッサンを糸口に,まるで細い糸を手繰り寄せるかようにラーメン屋の店主の案内でそれに気づいてしまった.恐らくそのような記憶+記録操作を行っていた何者かにとって予想外の出来事だったのかもしれません.だから瀧くんが糸守の現実を目の当たりにした直後に,スマフォの日記の文字をあたかもそそくさと覆い隠すように消してしまったのだと思います.そういった何かしら調整のようなもので世の中のバランスを取っているいわば“管理側”のような都合の中に,二人がスマフォの中で記憶の数珠繋ぎをしていたというのを失念していたのかもと思います.そのような“管理側”の“二人をなかったことにする”意向に抗って,二人が長い年月を経て,失ったはず記憶の糸(紐)を結んで再会に至ったと考えると,ホントあの階段のシーンで涙を流さざるを得ないわけです.

ちなみにラーメン屋に行くまでは瀧くんが糸守の3年前を完全に忘れてしまっています.というか記憶しないように仕向けられていたのかもしれません.ただ,彗星は屋上から見て美しいと思ってはいた.美しいという記憶のみで,それが何を引き起こしたかという記憶が意図的に覆い隠されていたような感じなんでしょうか.これはやっぱり単純に瀧くんの物忘れが激しいとかではなく意図的に何者かが記憶操作をした.これだけだとその操作をしたのが味方であるのか敵であるのかもわかりませんが,結果的にそれが入れ替わりの中で功を奏して結果的には良い方向に働いたわけですから,味方ととらえるべきなんでしょうね.そのために二人の会えない時間が長くなってしまい,二人を苦しめる結果になったとしても.そしてその分二人は深い絆で今後結ばれていくんでしょうね.

本作の特徴として,記憶が一気に奪われるのではなく,徐々に知らず知らずのうちに失われていくというのが特徴であり,そこも何か訴えたいところがあるのかな?と思います.というのも実際人の記憶は薄れていくものです.覚えていなければいけないことだっていつかは忘れる.だから二人がお互いのことを忘れてしまい,記憶の見えない糸を手繰って再会するという部分に見ている人が共感できるような気がするのです.私も普段からパラレルワールドみたいなのがあったらと考えることが多いですが,本作を見るようになってさらにその機会が増えました.例えば小学校の時の友達との話で,違う答え方をしたら人生がどう変わっていたかな?とかそんな些細なことから色恋沙汰までいろいろ.こんな考えさせられる部分があるのが本作の素晴らしいところなのだと返す返す思います.

とまあひとまず2つ大きな疑問について考えてみました.まだあるにはあるので続きはまたの機会に.

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