前作からの移籍組

本作において,前作の言の葉の庭のキャラクターがほぼそのまま出てきていたりします.テッシー,サヤちん,ユキちゃん先生などです.テッシーは一度トピックに取り上げましたし,サヤちんも311のところで取り上げましたので,今回はそれ以外の部分について語ることにします.

<ユキちゃん先生>

ユキちゃん先生はとにかく前作のヒロインでありつつも今回も出演しているということで,移籍組の中では突出していると思いますし,話題性も十分です.

前作では生徒からは雪野先生と呼ばれていました.本作の糸守高校ではユキちゃん先生と親しみを深めて呼ばれています.これは単に都会の高校と田舎の高校の違いを出したかったのに加えて,やはり新海さんが2作目の登場ということで,雪野さんを親しみやすいキャラクターに変えていきたいと思ったからなのかなと思っています.

さて,このユキちゃん先生ですが,前作のヒロインたる側面をそのまま本作のヒロインである三葉に伝授しています.それは例の転倒シーンです.雪野先生はクライマックスに向けて階段を降りるときにかなり痛々しく転倒しています.しかし即座に強いまなざしで秋月くんを追わなければと奮起します.

本作の三葉もクライマックスに向けてのところで転倒.こちらもほかのアニメ映画からのオマージュのようにかなり痛々しく転んでいたので雪野先生と重なるところです.まあ三葉の場合はバウンドしたり一瞬意識が飛んだりしている描写もあったので,雪野先生以上に痛い感じかもとは思います.

でも三葉の場合,意識が遠のくようなダメージを受けながら,誰かもうわからなくなってしまった愛しい人の言葉を思い出し,手のひらの言葉を見たところからの挽回がすごい.三葉の心情の変化と体にその熱が伝わっていく様,その結果の気迫がかった走り出しの描写は,外輪山で瀧くんの中にいるときのちょっと内股気味のおとなしい走りとは全くの別物です.走り方ひとつでこんな心情表現ができるってすごいなとも思います.

あともう一つ,映画ではあまり触れられていませんが,実は雪野先生もばっさり髪を切ってしまったという点でも三葉に繋がっています.雪野先生の場合,失恋がトリガーではありませんが,小説ではちゃんと文章になっていますし,バスの中のシーンで,一瞬だけ髪の長かった時の雪野先生が登場しています.

そういった点から,ユキちゃん先生は前作からの流れを立派に三葉に対して伝授してくれたんだなと思う次第なのです.

あと,ユキちゃん先生の登場シーンで興味深いところがあります.新海さんのインタビューなどで,本作はそれなりにアニメの表現技巧の部分では前作よりも抑えたとおっしゃっていますが,人物以外の部分でそれが表れているところがあります.ユキちゃん先生が”彼は誰時”を黒板に書くところ.前作では古典のおじいさん先生が万葉集の授業をしているシーンで,文字を書くときにチョークの粉が落ちるのが表現されています.今回のユキちゃん先生ではこれが書かれていなかったりします.ある意味本作がアニメの技巧を表現することよりアニメのエンターテインメント性に特化して作られていったという証拠なのかなと思うのです.

<サヤちんのテッシーへの気持ち>

さやちんもキャラクターとしては前作の映画には出てきませんでしたが,小説からの移籍組です.でも前作の小説と少し違うのはサヤちんがテッシーに恋心を抱いているというところ.

テッシーの三葉への思いは以前語りましたが,一方でサヤちんは女の子なのでテッシーほど本心を表情に表していません.でも潜在的にその想いは様々なシーンで表現されていたりします.自転車の後ろに乗って登場したときのテッシーのおなかへの手の回し方.口噛み酒を飲みたいと思っている点へのジェラシー.作戦会議での異常なほどの三葉への同情に,いったいどうしたらいいかと悩む姿.そしてそれでも二人に協力する健気さ.三葉だけの思い込みだったらサヤちんは放送室にもいかなかったでしょうし,テッシーが真剣だということを感じ取ったので,やけになりながらもやれたんだと思います.

なので,何度も見させてもらっているうちに,正直スタバのシーンでテッシーと話をしているシーンではサヤちんの長年の恋がかなったことを思い,少し感動してしまったりしまうのです.

<あともう一人の移籍組>

ここはどうしても語りたいのですが,実はもう一人移籍組がいたりします.

三葉in瀧がバイト先でお客に絡まれるシーン.このチンピラさんです.言の葉のほうの映画には出ていませんが,小説にはちゃんと登場しています.そしていちゃもんのつけ方とか,セリフ回しなどが今回とほとんど合致します.そして,主人公がいちゃもんをつけられ,それをキーパーソンに救われるという図式もそのまんまになっています.正直言の葉のほうの映画は時間を短くしたので,ここら辺の秋月くんのバックグラウンドに関する部分が端折られています.私は小説版を読んでみて,言の葉の庭も本来2時間近くで作ってもらったほうがよかったのかもしれないと思っています.まあ,あの時間だから表現できた部分もあると思いますし,それも賛否あろうかと思います.確かに2時間近くにしてしまうと,映画館側の都合もあって1800円のチケットになってしまいますので,その点遠慮したのかなとも思います.

言の葉の小説版では秋月君と雪野先生のその後も描かれていますし,秦さんのミュージックビデオではそれより印象深いエンディングにふさわしいシーンも描かれています.ここでも小説版や秦さんのビデオに登場するシーンなど含めて2時間近くの編集をしたらどうなるのかな?などと前作への思いをはせることができるのもこれら前作からの移籍組のキャラクターのなせる業なのかなと思っています.

ではなぜこのように前作と同じキャラがそのまま出てくるのでしょうか?私はそれは新海さんが演じ手として作り出したキャラクターが,自分の原作でストーリーを作っていく上で,必要不可欠なキャラクターにそれぞれがなってしまっているからなのだと考えています.

例えば日本映画で有名な小津安二郎監督は自作品に笠智衆さんなど多くのリピートキャストを採用してきました.小津さんといえば,画面の全体に美しさを求める監督として有名でした.そういった点で新海さんとは似た特性を持つクリエーターなのだと思います.要は監督の思うとおりに演じ手は動いてもらわないと困るというタイプなのだと思います.そうなると,自分が勝手知ったる演じ手にやってもらう前提であらかじめ原作や脚本を作りこんでおけば,高い合致度で演じてくれることになります.

そう考えると,完璧主義に近い新海さんの演出がテッシーたサヤちんなどのリピート演者を生み出したのは必然であり,これらの演じ手は今後の新海作品にも登場してくれるのではないかと勝手に期待していたりするわけです.

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