なかなか泣かせてもらえない件

本作はエンターテインメント的に面白かったとは言われますが,その一方で感動の大作かどうかというと,いろいろな意見が出てきます.数多くの映画評論家の方々でも”エンターテインメントとしては優秀であるけど”というのが大多数の意見ではないかと思います.それは本作に泣きポイントがあるにはあるのに,十分に泣かせてもらえない構成であることが影響していると思います.要は見ている側の感情がしっかり追いつかないうちにシーンが変わるとか,転調するとかいった,以前にも述べましたが意図的に盛り込んだテンポの良さがそうしているのではないかと思います.例えば私の代表的な泣きポイントは下記です.

・再演の瀧in三葉の起きたシーン→四葉の登場でブレイク
・カタワレ時のシーン→すぐに口噛み酒の話でコメディに転調
・階段で二人が会えた瞬間→すぐにエンディング

といった感じです.このタイミングをあの有名なアニメの泣きシーンであるフランダースの犬で言うと,ネロが「なんだかとても眠いんだ.パトラッシュ…」といったところで天使さんたちが出てくる前にもう次の日になってしまうとか.そんな無慈悲な展開です.三葉と瀧くんに感情移入十分できている人たちは確実に泣けるポイントを目の前にしながら,このテンポの前にどうしても泣けない.

さて,この点は1回しか見なかった人は”なんだか泣けない映画だな〜.”という感想を持ってしまいますので,あまりプラス評価につながらないこともあります.しかし,これがリピーターにとっては絶妙の味付けということになるのです.まずリピーターは話の筋を知っていますので,次にどんなシーンになるかで,それに合わせた準備をすることができます.また,見れば見るほどその背景を認識できるようになるので,感情移入はより深くできるようになっています.この点を利用して,私の場合は泣きのシーンの前から準備に入っていくのです.

例えば,再演の瀧in三葉の起きたシーンですが,私の場合口噛み酒の後の二葉さんがいなくなって二人に一葉おばあちゃんが話しかけているところあたりから準備を始めます.そして瀧くんの絶叫からの静寂.この時点である程度もう涙腺を満タンにしておきます.すると瀧in三葉が肩を抱き込み,三葉が生きていることを実感する瞬間にはドバーっといけるようになります.結果的に四葉ちゃんが”んげっ!”という瞬間には瀧in三葉と同じように鼻水まで垂らして泣けたりします.

これは医学的なお話になってしまいますが,人間の神経系には交感神経と副交感神経の2系統があり,交感神経は主に運動,副交感神経は感情との連携が強いようです.したがって単に交感神経を経由した痛みとかフィジカルな苦しみから生まれる涙はすぐに流すことができる.それに対し,悲しみや感動など感情を通過してその結果流れる涙は出てくるのに時間を要するそうです.

なので,泣かせるために作る創作物は,この泣きに至るまでの時間を多めにとって,少しでも多くの人がたくさん泣けるように作るわけです.そういえば韓流のドラマとかって,この時間がかなり長かったりしますよね.時々長すぎて興ざめするものもありますが.

本作はその点,泣きに重点を置かずテンポを重視したおかげで,観客に泣きを感じさせない内容に仕上げてあるという点,それに加えてリピーターのことを狙っていたかどうかは疑問ではありますが,リピーターはその不十分な泣きを補完するためにさらに何度も見てしまうという麻薬効果があったりするわけです.私はそれにまんまと嵌められて,泣きポイントを新たに見つけては次もっとそこで泣けるように工夫したりして,どんどん回数を重ねてしまっています.

ちなみに最近は人が泣けないような小さいポイントで泣くことにある意味生きがいを感じ始めています.例を一つ上げると,ご神体から下りてきて,瀧in三葉が「カタワレ時?」の言葉の後で湖を眺めるシーン.上白石さんのあそこのセリフというか感嘆が素晴らしく,あれは瀧くんが糸守の美しさの究極を見るシーンなんだと感じ取れます.瀧くんにとってはその後も何かそれ以上美しいものを見たいのに,その次のおばあちゃんの言葉で”はいっ!ここまで!”とお預けを喰らうようなそんな感じ.私の場合は,このシーンに向けては四葉ちゃんの「カタワレ時やな.」のところで準備をしておけば,少し目が潤む程度に行けるようになってます.ははは.

KEN-Z's WEBのトップへ NEXT