なぜ瀧くんなのか?

さて,初回なのでかなりメジャーな議題からいきましょう.まず主役の二人の人物像に関してですが,これはかなり深く考えられて構成されていると思います.しかし三葉に対し,瀧くんの設定に物足りなさを感じ,何か裏があるのでは?と考える人も多いようです.今回はまずここについて語ってみようと思います.

結構三葉については1200年前から続く宮水家の血筋というのがストーリー上も決定的な意味を持っており,これがヒロインたらしめる重要なファクターになります.一方の瀧くんは瀧くんでなければいけない必然性がプロフィールにこれといって見つからない点,上映封切からかなりな時間が経過した今も多くの人が指摘しています.確かに性別は女に対して男,生まれ育ちは田舎に対して都会,しがらみが多いのに対して少ない,片親の別居の父に対して同居の父,姉妹がいるのに対して一人っ子といった具合に三葉と境遇が対極という点は三葉とのコントラストということで分かりやすい背景だとは思うのですが,それだったら単に東京に住んでいるそれなりの父子家庭の同学年のイケメン男子であれば誰でもよいことになります.

ここで瀧くんのプロフィールについて小説などからの情報も含めておさらいしましょう.

・山手線内に住み,山手線内に通うちょっとイケメンな男子高校生
・父子家庭.特に家庭問題はなし
・カフェでバイトしている
・友達が多いか少ないかわからないけど,結構社交的.親友2人あり
・けんかは弱いけどけんかっ早い
・思ったことはすなおに口に出すタイプ
・中学時代はバスケットボール部の名プレーヤー.身長が足りなくて高校では入部せず
・建築や街づくりに興味がある.それら構造物の絵が得意
・女性は黒髪ロングが好き
・彼女なし.奥寺先輩に片想い中

といったところでしょうか?まあ三葉との関係性のあるスペックとしては黒髪ロングというのと奥寺先輩のおかげで年上属性が知らず知らずのうちに培われていたとかそのレベルでしょう.あとは自分を押し殺して調和を重んじてしまう三葉に対してその対極の性格ということぐらい.やっぱり決定的な瀧くんでなければいけないという因子は発見できません.ちなみに三葉のほうはというと,

・岐阜県Z郡糸守町に住む女子高校生
・母は他界.父は別居で現職町長,不仲.祖母の一葉と妹の四葉と同居
・宮水神社の神職の家系で巫女
・母を早くに亡くし,妹もいるのでしっかりしている
・それなりに美形.でも自分を押し殺す癖がついておりおとなしい印象
・悪くいうと華がない
・友達も少ない
・組紐作り,裁縫などが得意
・お金には渋いが瀧くんの財布については気にしない
・ハリネズミグッズが好きなぐらいでとくに趣味があるわけではない
・しがらみのない都会に住みたい
・彼氏なし.片想いもなし
・黒髪ロング.登校時は三つ編みを組紐で後ろでまとめている

まあ二人とも人物像について小説やアナザーストーリーを読みこむともっと出てきますが,そこらへんまで考察に加えてもしょうがないのでここら辺にしておきます.ここでやはり最も重要な背景としては三葉が宮水神社の巫女であるということです.さて,それでは次に宮水神社について考察する必要が出てきます.宮水神社というのはある意味糸守の土地神さまであり,糸守の人々の幸せを一義に存在しています.アナザーストーリーではこの点深く語られており,1200年前の逸話など様々な背景があることがわかります.結局そのアナザーストーリーでは三葉の父が糸守を訪れた経緯や,その後の三葉の家族がなぜあのようになったかが述べられています.

ここで三葉の父に注目しましょう.ストーリーを振り返ってみれば三葉の父も糸守の歴史の中で重要な役割を果たすことになりましたが,彼も瀧くんと同じようにもともと三葉の母である二葉と結びつく要素はあまり濃かったとは言えません.いわば大学で民俗学を研究していただけの,糸守の人々からするればよそ者であったわけです.おそらく宮水家の通例であれば二葉は地元の出身者からそれなりの伴侶を受け入れるはずでしたが,それがなぜ彼でなければいけなかったか?その理由は二葉の死後に宮水神社と決別するなど,そのあとに続く一連の感情,行動に繋がっていくわけです.ここからわかるように,ずいぶん後になってみないとめぐり合い以前からその後に続く人生において,そのストーリーの必然性に一切気づけないというのが,宮水家の女と伴侶になる男の運命なのでしょう.また,そのように理由もわからずに1200年間糸守の人々を守るために運命づけられてきた世代が続いてきたということが,宮水家の女性が”夢”で入れ替わりを経験してきたということからもわかります.すなわち,三葉と瀧くん,三葉の父,一葉,四葉,サヤちん,テッシーそれにゆきちゃん先生も含めその1200年周期の最終章の重要な演じ手であったのだと言えるのでしょう.

そう考えると瀧くんのスペックに今のところ特段三葉と結びつける何かが見当たらないことは頷けます.確かに今はその必然は瀧くんにもその周りの人にも,映画を見た人にも一切わかりません.逆にその必然のなさがもしかしたら彗星が次に巡りくる1200年後までの永い永い物語の序章につながるのだと考えると,さらにこの物語が面白いものに感じられるのです.もっとも東京にいる二人の子孫が遠い未来である1200年後に糸守の地に再び住み着いているのかどうか,あるいは宮水の血が糸守の地域限定ではなくほかの地域でも何かしらの災害から人々を守ろうとするのか,そんな想像も含め考えれば考えるほど無限の可能性を期待してしまいます.

あともう一つ瀧くんのスペックに特別なものを与えなかったのはストーリーそのものだけではなく,新海監督の観覧者に対するメッセージもあるのではないかと推測しています.それは瀧くんのように特別な立場でない人でも人を救うことができるんだよというものです.要は特別なスペックを持つ主人公だけではなく,逆に何も持たない瀧くんが何かを成しえることで,見る側が一体感や同調を感じながら見ることができるということを狙ったのではないかと思います.確かに新海監督の作品のうち,宇宙やファンタジーものではない『秒速5センチメートル』と『言の葉の庭』の2作品ではその主人公がすべて特異なスペックを持ち合わせていませんでした.ある意味それは日常の中にある無情な運命や,ささやかな感動を表わしていたのに対し,本作では日常と非日常のコンビネーション,コントラストをうまく活かしつつ,見る側に一体感も持たせたい想いから瀧くんのキャラクターが作られていったのかもと考えています.

あとしつこいようですがもう1点,これは瀧くんについてのことだけではありませんが,おそらく新海監督がこの映画で表現したかったことの一つには”伝承の重要性”があると思います.そしてそれは災害に対する人々の自己防衛の形で活かされることが重要であるというアピールに繋がっているのだと思います.このストーリーでは宮水家の女性たちでさえも具体的に口頭や文章で伝承してきたものではありません.もしかしたら繭五郎の大火の前はそのような物理的な伝承の種があったのかもしれませんが,それもなくなってしまい,当事者すなわち宮水家の家系の無意識下で表向きには運命的な流れ,行動,祭事的なならわしなどで伝承されてきたもののように思います.ただ,これはこのような映画のストーリーとしては可能になるでしょうが,実際の我々だとやはり口頭や記録,文書,映像などに頼らざるを得ません.新海監督も製作の中で311を意識したと明言されていますが,前回の大津波から約70年,今後もいつ発生するかわからない地震や津波についても”伝承”をリスペクトして人々が少しでも健やかに幸せに生きてほしいという壮大かつ崇高な願いが込められているのだと思うのです.

KEN-Z's WEBのトップへ NEXT