君の名は。アフター小説- 御苑の午後

2次創作はやるまいと心に決めたのに,やってしまいました.自信がないのでPIXIVさんとかじゃなく,ここにひっそりと公開します.ものはアフター小説で,出会いの約半年後のたきみつです.できるだけ映画,小説,アナザー小説の前提を崩さないように,また,それらにない設定は一応組み立てて作ってみました.一応御苑なので言の葉エキスも何カ所かいれました.2次創作物が苦手な方,嗜好が違う2次創作を受け付けない方は読まないほうが良いです.面白かった場合とか,設定で原作と違うことを言っているとかご指摘は掲示板のほうにお願いします.またご指摘を受けても修正しないケースもありますので予めご了承ください.では,お手柔らかに〜.

まだ日中は肌寒さを感じることはないもののこの週末になって御苑の木々にはちらほら黄色い葉が見え始めている。都心で生まれ育った俺は食事の時以外、匂いに特段の興味を持つことはほとんどないが、今は初秋を感じさせる木々の息吹が肌と香りの両方から感じ取ることができる。それはさっきから無意識に普段より深い息をして、少しでも匂いを感じたいと思っているからに違いない。

「わぁ〜、きれいねぇ。もぉ少しして赤くなった頃また来たいねぇ。」
半歩前を歩きながら三葉がつぶやいた。”そうだな”と空返事をしながら俺はすぐさま深呼吸に近いほどのストロークで呼吸を続ける。それはもちろん純粋に御苑の木々の発する息吹を感じようとしているわけではない。それに混じって三葉の髪の香りが俺の鼻腔の奥をくすぐるのだ。まあ正直シャンプーかコロンの香りなんだろうけど、満員電車でもいつも窓際に立つことにしている俺は今までこんな至近距離で女の子の髪の匂いを味わえるチャンスはなかったと思う。

23にもなってこんなことを初体験と言ってしまわないといけない自分を多少嘆く必要もあるのかもしれない。今までを振り返って自分的に特にモテないとか、そんなことは全然なかった(と思う)。高校の時は司と高木とばっかりつるんで、バイトも忙しかったし、せいぜい片思いの先輩がいたぐらいだ。さかのぼって中学の頃はバスケット部でかなりいい線いっていたので何回か告られたり、総武線の中で高校生の知らない女子から声をかけられたりした。

中学の同級生から告られても当時は部活が大事だったので都度断っていたのだが、その知らない高校生は別れる間際に何かをくれたので、記憶には残っている。そのもらったものはしばらく大事にしていたので、恐らく当時の自分としてはかなりレベルの高い女子だったはずなんだけど、もう顔も覚えていないのがホントに残念だ。

そのせっかくもらったものも知らないうちになくしてしまったようで、一体どこへやってしまったものやら。そんな考えを巡らせているとき、ふと三葉の背後から見る俺の視界にまるで隠し絵のタネ明かしが埋まっているような感触を覚えた。

「三葉、その髪飾りって…。」

ほぼ無意識のうちに唐突な質問を投げかけてしまった。それはあの階段で”三葉を見つけた”時、彼女を彼女として認識できた手がかりのようなアイテムでもあった。俺は確かにこの夕日みたいなあざやかな色に背中を押され、三葉に話しかける勇気を振り絞ったのだ。今の今まで三葉本人に意識が集中していたので忘れてしまっていたが、今俺の記憶がそれを少しでも明瞭にしたがっている。

三葉に出会って以来、たびたび記憶をくすぐられる感覚になる。そして何かをとにかく解き明かしたい衝動に駆られるのだ。しかし、その多くにおいて正解を見つけることはできない。

先日糸守の幼馴染のテッシーさんとサヤちんさんを紹介してもらったときにも同じような感覚があった。

三葉は二人を”さん”を除いて紹介してくれたのだが、どうしても本人を目の前にすると”さん”をつけてしまった。まあ確かに初対面であだ名を呼び捨てにするほど俺も非常識ではない。しかし、俺はその二人を限りなく呼び捨てのほうで呼びたいのだ。異常なことなのだがしょうがない。糸守出身らしく二人がとても親しみやすい人柄であることが、唯一そう考える正当性を証明できるのだと思う。なのに俺はまだこの感覚に自ら違和感を感じたままである。でもいつか二人を”テッシー”、”サヤちん”と呼び捨てで呼べるような関係に俺はなりたい。

===

「なぁに? あぁ、組紐のこと?」

瀧くんが突然何を言い始めたのかとっさにわからず、少し時間を空けてこう問い返してみた。

「ああ、組紐っていうのか。それ、綺麗だな。」

瀧くんは今まで私に声をかけてきたあらゆるオトコたちと比較しても素朴でまじめだ、私に対し言葉も少なく、本当に朴訥だ。一言で悪く言うとトウヘンボクだ。この数か月、最初の出会いであれほど涙を流してしまったのを後悔したくなるほど女子への(というか私への)配慮が足りない。だから、

「それは”組紐が綺麗”っていう日本語のはずなんやけど…?」

と笑顔のまま婉曲表現で返す。

一瞬きょとんとしてから即座に自分のミスに気付いたようで、直立不動に姿勢を正しつつ、

「ちがっ!三葉さんっ とってもお綺麗でっ!」

とうろたえた。その視線を私のほうではなくドコモタワーのてっぺんに据えたままちょっと裏声気味な瀧くん。私は思わず吹き出してしまい、その声が日本庭園の池や木立の中に響く。顔を上げてようやく目を合わせてくれた瀧くんの顔を覗き込んだら、後ろ頭を掻きながら、

「ごめん、日本語間違えた。」

変な弁解する瀧くんを置き去りにして

「あははは、ええんやよ〜。」といいながら橋を渡りにかかる。同時に”こんな瞬間が一番幸せなのかもしれないな”なんて思った。

「瀧くん、久しぶりにさん付けしたけど、やっぱりそんなん要らんって何回もゆっとるに。」それに瀧くんの声で三葉と呼ばれると、すごく心地がいい。もう何度でも耳元で呼んでもらいたくなる。何か遠い記憶や遺伝子に刷り込まれた何かがあるかのように、その一回ごとに私の感情を揺るがせる。確かに今回のさん付けははふざけていったようなもんなので、ノーカウントにしてあげようかな?

瀧くんにはあと敬語も禁止にしている。まあこっちは女性なので瀧くんより年上というのをあんまり自覚もしたくないし、周りにも知られたくない。それに瀧くんとの会話はなんか昔から普通に会話していたような気がする。私もはじめは”立花さん”とか”瀧さん”とか呼んでいたが、すごく違和感があった。それに瀧くんは相当の方言萌えらしく、私に糸守言葉をしゃべるように強くリクエストするので、こっちは共通語を制限されている分、瀧くんには敬語を禁止しているのだ。

こんなふうに瀧くんとは何かお互い禁止事項を設けながらやっていくのが、なぜか心地よい。昔からそうしていたような気がする、ホント不思議な関係だ。

あっ、そうだ。何か瀧くん組紐のことが聞きたかったみたいだったな。見たいのかな、それに私にとってもちょっと見せたい気持ちもあるかも。さっきの結論を出す意味で、組紐ありの私か組紐なしの私かどっちが綺麗かという選択を迫るうえでも、ここは工夫が必要だ。それにちょっとしたいたずら心もわいてきた。私は組紐の端を引っ張り、ほどきながらゆっくりと振り向き、瀧くんを上目遣いで見つめてみた。

「組紐がないとこんな…感じなんやよ…?」

===

三葉の髪はとてもきれいな黒髪だ。それに今の髪の長さは俺の黒髪ロング属性を狙い撃ちするほどの破壊力だ。その三葉がほほえみながら振り向きざまに組紐を解いた。左右の耳の後ろから中央で束ねられていた細めの三つ編みが左右ともまるで2つのブランコが同調して揺れるように耳の前に現れた。何やら上目遣いで組紐なしで綺麗といわせたいらしい。しかし俺は言葉を失っていた。その代わり心の声が脳裏にこだました。昔ネットで流行ったフレーズらしいが、自分が使うことになるとは思いもしなかった言葉だ。

”ナニ コノ カワイイ イキモノ!”

三つ編みが左右に現れたことにより年齢は確実に5つはサバ読める。すなわち俺より年下みたく見える。それに少し頬を赤らめながらの上目遣い。思わず”こんな三葉に会いたかったんだ”とも口に出してしまいそうだった。というのも三葉にあったのは半年前であるにもかかわらず、俺はどうも長い間彼女に会えなかったという事実をまるで過失であるかのように感じている。それは後悔の念にも似ていて、何か自分の思い通りにならなかったような時期が確かにあった感覚なのだ。会えなかった期間の三葉のことを考えるといつも心が苦しくなる。

それは糸守の災害以降の混沌とした時期を一緒に過ごしてやれなかったというような、周りの人が聞くと単に被災者を擁護するような気持ちに聞こえるだろう。ただ、三葉の被災以降の9年間を想像すると、いつも後悔の念に似た感情が沸き起こるのだ。

そんな感情でいつも思うのは、三葉の高校時代、大学時代はいったいどんな少女だったんだろうということ。性格というのはそんなに変わるわけではないと思う。だからその時期の三葉の見た目はどんな感じだったのか無駄なこととわかりながらも最近はよく想像することがある。

その想像していた少し若作りな三葉が今目の前に現れた。鼓動は速くなり、明らかに体温が上昇、若干汗もかいてきた。それでも三葉の質問に何か答えなければいけない。

「やばいぐらい… かわいいです。」

俺は気持ちに正直なタイプだ。だから思ったことをそのまま言ってしまった。直接目を見ることはできなかったが、三葉はこの答えに不満なようだった。恐らく模範解答は”綺麗”という言葉を含んでいるべきだったのだが、それは俺の脳裏に浮かんだ言葉とは違った。その罪滅ぼしに”やばいぐらい”を追加したのだが、これもまた逆効果だったようだ。

根本的に俺は女子との会話は昔から得意ではないのだ。

三葉は少し変なリアクションをして一瞬動作が止まったが、ちょっと声が裏返ったような感じで

「かわいい て、なんやのそれっ」といいながらまさに”ぷぃ”という音がするようなしぐさで振り向いて先へ先へ進んでいった。

===

木立の中に小さな東屋を見つけた。組紐を解いてしまったので、そこで結いなおそうと思った。組紐を右手に持ち東屋に腰かけ、”かわいいってなんやの、それ。”ともう一度心の中でつぶやきながら、小さなため息をつく。でも顔はかなりほてっていると自覚できる。でも東屋に入ってしまえば私の顔が少しぐらい赤くなっていても瀧くんは気づかないだろう。

思い返せば母が早くに亡くなったので、巫女のお役目を幼いうちから始めることになった。初めの2年ぐらいはまわりからかわいいといわれたが、それ以降は”しっかりしてる”とか化粧をして舞を舞ったりすると”きれい”といわれることはあった。なので”かわいい”と言われた記憶はこの15年ぐらいないかもしれない。だから、無作為の瀧くんの一言が思った以上に私をかき乱した。

私がかなり速足に歩いたので、後を追い小走りに東屋に駆け込んできた瀧くんが、私が髪を結い直そうとしているのを見つけ、
「三葉、ごめん。ちょっとその組紐見せてもらえないか?」
と、いまだ恐縮しながら懇願する。もうこっちはそんなに怒っているわけでもないし、降参する形で
「はい、これが組紐」
とL字になった東屋の椅子に少し私と距離をとって座った瀧くんに投げ縄を投げるように渡した。

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三葉がその組紐を俺に手渡したとき、少し距離のある二人の間をちょうど組紐が結ぶ形になった。その瞬間、なぜか頭にガンッと衝撃を受けたように感じた。まるでその組紐を通じて瞬時に大電流が流れたような感覚。三葉か俺にそんな静電気がたまっていたのかと一瞬疑ったが、そんなはずはない。ここは屋外だし二人とも期の椅子に座っている。人工芝とかでもない。それに衝撃は手ではなく、確かに俺の脳裏に走ったのだ。それはまるで今までなかった記憶が一気に膨張して取り戻されてきたかのようだった。
そして、俺は今目の前の光景に昔見た記憶を重ね合わせていた。

そう、あれは組紐だった。あの見知らぬ高校生女子が俺に手渡したのは。

受け取った右手と、組紐が地面につかないように添えた左手の間に弧を描く組紐の赤や橙の色合いが東屋の薄暗い地面を背景に映えている。やがてその暗い背景がプロジェクションスクリーンのようになり、あのときの光景を映し出す。

あのとき俺は彼女の名前を尋ねたんだ。彼女は髪をほどき組紐を手渡すときに確かに自分の名前を言った。なぜかその名前はすぐに忘れてしまったんだ。でもその駅に着く直前に彼女がよろけ、そのおかげで嗅ぐことのできた髪の匂いは今でも覚えている。それは俺にとって初めての経験でもあり、その髪の匂いの残った組紐をなぜかとても大事にしていたのだ。

その子との別れ際の光景と今日の三葉とは解かれた髪の量に多少の違いはあれど、色鮮やかな組紐と黒髪のコントラストは一致している。そんなふうにしてあの光景が俺の記憶の空きブロックに音を立ててはまり込んだのだ。

===

「瀧くん…、瀧くん、 どうしたん?」

瀧くんは両手に組紐を持ちながらそれに視線を落とし、呆然とした顔で少し涙を浮かべているように見えた。尋常な気配ではない。

「瀧くん、どこか具合悪いん?」

何度目かの問いかけでようやく瀧くんが私のほうを見てくれた。何か怖いものでも見ているような顔だ。あまりの硬い表情に私も少し硬直してしまったが、しばらくすると瀧くんははっと我に返り正面を見据え、呼吸を整えるように深呼吸をした。どうもこの瞬間、息も止まっていたかのようだ。私も無言でそれを見守る。しかしその静寂を破らざるを得なくなったのは、瀧くんの思ってもいなかった行動によるものだ。

瀧くんは無言のまま再び手のひらの組紐を見つめなおしたかと思ったら、今度はおもむろにそれを鼻の前へともっていったのだ。

「ちょ ちょちょちょっ! 瀧くん、あかん、あかんって!」

慌てて瀧くんを制止するために椅子から腰を浮かし、ほぼ瀧くんの前にダイブするような勢いで組紐を奪い取った。再び瀧くんは我に返り、それでもはじめはなぜ組紐を奪還されたかわからない様子できょとんとしていたので、

「瀧くん、その…、今匂いを嗅ごうとしてたやろっ!そんなん変態やに!」

と私もかなり取り乱して言い聞かせると、瀧くんは意外にも冷静に

「匂いを嗅ごうとした?」とぼんやりとつぶやく。どうやら自分の変態行為を自覚していなかったようだ。 実は組紐の材料の糸は未だに古い染料が使われていて、洗うと徐々に色あせていく。そのため、めったに洗濯はしないのだ。毎日外した時に除菌ペーパーで少し拭くぐらい、あとは少しコロンを振っている。私は髪を結う時に口にくわえたりしているけど、決して他の人に鼻を近づけて匂いをかがれるような機会があってはならない代物だ。

決して呑まれる前提でないから口噛み酒なんて酔狂なことができたのと同じ理屈なのだ。そうだ。あんなものを飲めるのは変態だけだ。

気まずい気持ちのまま苦々しい昔の記憶を呼び覚ましていると、今度は瀧くんが私の顔を見て吹き出した。感情が徐々に動き、笑いがゆっくりとこみあげてきた感じで、

「あははは。そうか、匂いね。そりゃそうだ、変態だ! はははは」

罪悪感は一切感じられない。でもようやく正気に戻ってくれた。少しあきれながら、

「ホンマや瀧くん、びっくりしてまったわ。」

と少しディープな飛騨弁を交えいうと、

「ごめん、ごめん」と未必の故意を否定するかのような顔で詫びてきた。なんだかもうその笑顔を見てどうでもよくなってしまった私はこの件について許すことにした。

瀧くんはなんだかもう一度組紐を見たいような感じでちらちら私の手の中にある組紐を見ているが、ここで渡してしまうと今度は意図的に匂いをかがれそうだ。なのでもう絶対に渡さない決意で私はおさげの左右を組紐でまとめ、いつもの形に整える。少し瀧くんの顔が残念そうに見えるのは、組紐が取り戻せないだけではないような気もするが、そんなのを気にしてはいられない。

これは変態行為の防止のため必要な措置だ。

===

三葉が組紐を戻しているしぐさが少し珍しく、少し艶っぽい。さっきまでの”かわいい”三葉が見られなくなると少し残念に思いながら、三葉には説明しておかなければいけないことを頭の中で整理する。その前に質問しておかなければいけないこともあった。糸守が組紐を名産としていたことは以前資料を読み漁ったことがあったので既に知っている。問題は三葉の組紐のデザインが一般的なものか、いうならば量産品かオリジナルかである。

「えっ? これはばあちゃんのうちにある組台で自分で作ったんよ。」
真ん中の流れ星のような模様は宮水神社伝統のもののようで、左右の鮮やかな色遣いは三葉のオリジナルだそうだ。俺が受け取ったものは模様についてはかなり記憶があいまいだが、その鮮やかな色遣いは限りなく近い。三葉は組紐がダメになるたびに何度か同じデザインで里帰りの度作っているようだ。

「なあ、三葉。前に電車の中で女子高生に声をかけられた話したこと覚えてる?」

それは出会ってひと月ぐらい経ったところで、お互いが誰とも付き合ったことがないことを話し、それでも決してモテなかったわけではないと食い下がったときに話したトピックだった。特にこの女子高生の話をすると三葉の顔が険しくなったので、当時あまり詳しくは話さなかった。

今日、その出来事を三葉に話しておくべきだと俺の何かが訴えかけてくる。あいまいな記憶をたどりつつ、三葉に言葉を選びながら話し始める。

「俺が中学の時さ、部活が終わって総武線に乗ってたら、その子が俺の前に立ってたんだよ。何か差し迫った顔で、俺の名前を呼んだんだ。なんで俺の名前知ってんのか、はじめは疑ってたんだけど俺がその子のこと知らないってわかるとその子は電車を降りてったんだ。でも俺、なんだか変な気持ちになっちゃって、とっさにその子に名前を聞いたんだよ。そしたらその子は名前を答えながらこの組紐に似た髪飾りを俺にくれたんだ。」

三葉はきょとんとしている。恐らく俺の”昔はモテたアピール”の言い訳のようなものを聞かされている、疑いの顔だ。なので、

「だから、あれば告られたとかじゃなくって、なんか。とにかく変な体験だったんだよ。」

とつかみどころのない,それでも精一杯結論めいたことをいう。三葉は少し安どの表情になったが、まだ一言も発せず俺の目をまっすぐに見ている。ここで俺は本題に入る。

「三葉って高校の時東京に来たことってある?」

===

瀧くんが正気に戻ったはずなのに、また変なことを言い出した。中学のときのナンパ女子高校生との逸話がどうやらナンパでなかったのはほっとしたが、またさっきの真剣な顔になって、私に東京に来たことがあるか?って唐突すぎるわこのオトコ。

”ホンマに女の子との会話が下手っぴぃやな〜。瀧くんはぁ(はぁと)。”

とか思いつつ、私の記憶に引っかかるところがないわけでもない。実際私は高校時代、一度東京に行ったことがある。

あれは彗星の落ちる前の日。なぜか私は学校を休み、日帰りで東京に行ったのだ。その理由は今となっては全然思い出せない。四葉があとになって、私がデートだと言っていたとか言っていたが、そもそも当の四葉が”あのおねーちゃんがそんなはずはない”と完全否定だったし、私もそんなはずはないと確信している。全国模試の申し込みが遅れて手続きが東京でしかできなかったとか、田舎ならではのつまらない理由だったかもしれない。

「う〜ん、東京に行ったことは1回ある…かな?」

瀧くんが身を乗り出す。

「そのとき総武線に乗った?」

どうやらその子が私ではないかと疑っているようだ。でも当時の私がわざわざ電車の中で見ず知らずの瀧くんの前に行って、話しかけるなんてあり得ないし、そもそも見ず知らずのくせに名前を知っていたなんて全く話しのつじつまが合わない。

なんか瀧くんの自慢話に乗っかるのもシャクだし、ここは正直答えておこう。

「乗ったかもしれんけど電車の中で瀧くんに話しかけたり、そんな恥ずかしいことはできんかったと思うよ。」

私が予想していた以上に答えてしまった上にその中身が期待したものと違ったので、少し瀧くんは落胆したように見えた。でもすぐにあきらめがつかないような感じだ。

「…俺やっぱりどうしても三葉と以前出会っていたと思ってしまうんだ。これはもう記憶だけでなく、俺の体が覚えているっていうか、そんななんで、俺も全然理解できないんだけど。」

”ちょっとぉ、俺の体が覚えてるって、どんだけやらしいこと言っているかわかっとンのやろか、このヒト。”とか思いながら、一応親身に聞いてみる。流石にここまで真剣に悩んでいる感じのところ茶化したらわるいもんね。今度は私が引っかかっていることを聞いてみる。

「そうやね、瀧くん糸守のことよく知ってたりするんで、逆に瀧くんが糸守に来たことがあるんと違うの?」

===

そうだ、俺は三葉に出会う前に糸守に一度行ったことがある。しかしそれは彗星被害の3年後であり、糸守町が消滅した後である。当時の三葉はすでに東京の大学に通っていたはずで、俺の糸守に行ったタイミングで三葉に会っている可能性はないだろう。

「俺が糸守に行ったのは6年前だ。三葉はもう東京にいただろう。だから俺が糸守にいったのは出会っていたかもという記憶とは関係ないんだ。そのはずなんだけど…。」

「…けど?」 怪訝そうな顔をしてさっきから三葉は俺の顔を覗き込んでいる。

「わからない。あれが三葉と無関係だとは思えないんだ。そう思いたいんだ。」可能性のないことに可能性を説くのはというのはとかくむつかしい。ただ、自分の感性がそれを許さないとでもいう感覚なのだ。とにかく三葉との出会いは自分にとって必然であったと感じる。だから何度も寝覚めにあのような涙を流したのだ。

相当俺は納得できないといった顔をしているのだろう。仕方なく三葉が打開策を提案する。

「今度私の高校時代の写真送ったげるわ。でも彗星以前の写真はなくなってまったから、髪が短くなってからのしかないかな?」

その言葉に俺は過剰に反応してしまった。

「髪が短かったぁ?」

三葉はまた変なものを見るような目で俺を見る。”いやいやいや、ないでしょう。三葉の髪が短いなんて。許せない。”それを今口に出してしまうと”黒髪ロングフェチ”ということでまた変態扱いされかねないので、踏みとどまって心の中に押し込んだ。

「私、なんや彗星の直前に髪を短くしたんよ。そのおかげで避難所ではあんまり苦労せんかったんやけど、四葉なんかは長いまんまやったからずいぶん苦労しとったわ。」

そうか四葉ちゃんはロングを貫いたのか。よしよし。それにしても髪を切ったのは彗星のせいか。けしからん。あの彗星。今度来たら、撃ち落としてやる。 ― 撃ち落としたらあぶねーじゃねーかっ!と心の中で一人突っ込みしてみて、ようやく少し落ち着いた。

「わかった、とにかく写真送ってくれよ。お守りにするから」と、三葉の巫女属性に期待して少しおべっかを言ってみたつもりだったのだが、三葉は少し顔を赤くして

「やっぱりあかん、瀧くんやっぱり変態やさ。」

と下を向いてぶつぶついっている。せっかく踏みとどまったのに、ここで凡ミスしてやはり変態扱いされた。三葉の中にある俺の変態ハードルはもうすでにずいぶん低くなってしまっているようだ。

===

瀧くんは変なことばっかりいう。

”お守りってなんやよ。そんなもんに頼らんでも私が瀧くんを守る。今度は、絶対。”

あれ?今度はって何だろ。私は確かに瀧くんに救われたような気がする。確かにこの東京で瀧くんは私を見つけてくれた。それだけでも私は救われた気がしていた。でもそれ以上に瀧くんがいたから今の私がいるような気がする。

― だから、私は絶対瀧くんを離さない。守り続けるんだ。―

そんなことを考えていたら少し変な顔になってしまっていたかもなので、瀧くんに顔を見られないように椅子から立ち上がって東屋の目の前にある池を見渡した。木々の息吹がすがすがしく思え、ごく自然に深呼吸したら気持ちの整理がついた気がした。

「瀧くん、そろそろお腹すいたわ。またあそこ行こう。」

あそことは瀧くんが高校生から大学生までの間バイトしていたイタリアンカフェだ。横文字の長い名前になかなかなじめず、私は未だに正しい店名を言えずじまいだ。御苑の目の前なのと、スイーツがとっても美味しいので私にとっては好都合なのだが、瀧くんにとっては未だ知り合いがいるので、恥ずかしいのもあってあまり行きたくないみたいだ。

でも、知り合いと顔を合わせるたび顔を赤くながら私を紹介してくれる瀧くんの姿を見ていると、都度この上ない幸せを感じる私にとって、そこは何度でも通いたい場所になっている。私はちょっとイジワルになったのかも知れない。

そうだ、それだけではなかった。実はあの場所で私はなぜか懐かしい感覚を覚えるのだ。お客としてではなく、まるでスタッフの一員であったかのような感覚。大きく開いた窓、天井の柱、床の特徴的なデザイン、様々な食事の匂い、料理の音、食器の触れ合う音、オーダー伝達の声、椅子が床の上で擦れる音、エスプレッソを入れる圧縮空気の音。

すべてがなんだか懐かしい感じなのだ。

糸守出身の私があんな素敵な場所で懐かしいと感じるのは何か変だ。”私ってまさか前世イタリア人?”とか思ったけど、これってさっきの瀧くんよりよっぽど変なことだよね。ということで、言葉にはしなかった。

「瀧くん、行こ。」

手を差し出した私に、笑顔で柔らかく手を握って立ち上がる瀧くんが、さっきの会話を思い出したみたいに突然つぶやく。

「じゃあ、三葉が俺の守り神になってよ。」

 ― 瀧くんが私の気持ちと同じくなった ―

私は少し泣いた。

===

 

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