君の名は。アフター小説- パエリアの思い出(第三章)

四葉目線の続きです。味覚から記憶を呼び起こす作戦といったところでしょうか。

 第三章 − パエリア −

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天気も良かったのでカフェのテラスでまったりしたかったのだけど、私には午後の予定があるので、追加でサンドイッチを平らげ、午後のセミナーに参加するためお姉ちゃんたちとはまた別行動になった。午後の1番目は心理学セミナーだ。高校生にもわかりやすく心理学と教育心理学、児童心理学などを説明していた。私は興味のある分野なので真剣に 耳を傾ける。

そのセミナーの中で、”人は嘘をつくときにはその前後に必ず癖が出る”というのを話していた。お姉ちゃんは私にはあまり嘘はつかないけど、嘘をつくときはたいがい語尾が上がる。”〜やよ。”のやよが上がるのだ。さっきの”別の人やよ。”は完全に語尾が下がっていた。嘘をついている気配はない。

そもそも自分がやったことを別の人がやったという言い訳なので、真偽のほどはともかく、本人がどう感じているかという点で、”別の人”がやったような感覚であることは間違いない。確かにあれはお姉ちゃんらしくなかった。むしろお姉ちゃんではなかったといっていいと思う。だったら合点がいく。

とても人に理解はしてもらえないことだけど、実際口噛み酒をいたずら心から舐めてしまってあんな経験をした私だからお姉ちゃんを信じてあげられるのかもしれない。じゃあ別の人っていったい誰なんだろう。

さっきの瀧さんの反応。あれはお姉ちゃんとだけ分かり合っているような何かを知っていての反応だろう。ならばその別の人の最有力容疑者は瀧さんということになる。せっかく昨日容疑者扱いをやめることになったのに、今このときから瀧さんは瀧さん容疑者(仮)に再ノミネートだ。ただし容疑は変わって、”お姉ちゃんのいう別の人”疑惑ということになる。

午後2本目のセミナーは政治、経済、経営とかだったので中身が難しくって単に聞いただけだ。多分そっち方面にはいかないことになるだろう。だからあまり話をしっかり聞かないで、瀧さん容疑者(仮)を今後どのように落とすかの策略を練っていた。まあ、瀧さん容疑者(仮)を完落ちさせるのもむつかしそうなので、(仮)を外すところぐらいまでならこのゴールデンウィークの間に不可能ではないだろう。

だからまず、容疑を固めるにあたって、一番断定しやすいポイントから攻めることにした。

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お姉ちゃんのハチャメチャVer.の中で、唯一ありがたみのあったトピックがある。お姉ちゃんがハチャメチャVer.夕食当番だったあの日。何度かお姉ちゃんが糸守には似つかわしくない手の込んだ異国の料理にハマっていたことがある。クックパッドを見るわけでなく、ごくごく自然に見たことのない料理が食卓に並んでいったのだ。

その中でもずば抜けて私の心をつかんだのはパエリアだ。流石にムール貝とかは糸守ではほぼ入手できなかったようで、冷蔵庫にあった冷凍の剥きエビとアサリとイカリングを使っただけのものだったけど、これが薄味でもしっかり魚介のダシが利いていて美味だった。
それにうちにあった一番大きな鉄のフライパンを使ったのにお姉ちゃんはそれを軽々と食卓に運んできて、まるで手慣れた男のシェフのようなしぐさでおばあちゃんと私に取り分けてくれた。最後のおこげもこの世のものとは思えないほどで、私はスプーンで鉄のフライパンがえぐれるほどにそぎ落とすことに集中し、最後の最後まで堪能できた。

私は未だかつてあのようなおいしいパエリアは食べたことがない。お姉ちゃんが彗星の後パエリアのようなものを作ってくれたが、ごはんがしっとりとしたまるで似て非なるもので、おばあちゃんをしても、”前のほうがいい”と烙印を押していた。それほどの落差があった。

だからあのパエリアを作れたのは”別の人”だと考えてよい。であればその別の人はやすやすとあのパエリアを作れるはずだ。

セミナーが終わり、お姉ちゃんたちと大学の校舎の中庭で落ち合う。しばらくぶらぶらしていたが、そろそろ戻ろうということになった。瀧さんが

「どこかで晩飯食っていこうぜ。」

といったので、すかさず

「私、今晩パエリア食べたい!」
と言ってみた。

「そう、スペイン料理のお店ね〜。」
ということでお姉ちゃんがスマフォで検索始めた。すかさず、
「私、自分でパエリア作れるようになりたいんやわ。作り方教えてほしい。」

「何ゆうとるの、そんなんむつかしいに決まっとるやろ。」

と一度失敗した経験のあるお姉ちゃんが真っ向否定する。

「じゃあ、俺が教えてあげるよ。食材買いに行こうぜ。」
瀧さん容疑者(仮)がさらに容疑を深めるような提案をかなり前向きに受け入れて、あれよあれよという間に晩御飯の方針が決まった。
”おお、こりゃ思わずうまくいった。”と自分で自分を褒めてあげたくなった。ちょっとお姉ちゃんが怪訝そうな顔をしているのは無視しておこう。

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新宿の百貨店の地下で食材を買っているのなんて、世田谷あたりのブルジョア世帯だけかと思っていたけど、意外に所帯じみたお母さんもいたりする。値段を見たら岐阜の田舎のスーパーとそんなに変わらなかったりして、田舎なのに物価が高いというのはいかがなものかと思わす田舎暮らしの不公平を感じる。

ホントは冷凍のアサリとイカとで再現性を高めたかったのだけど、お姉ちゃんがムール貝に異様にこだわったりしたので魚介は冷凍ではないイカと大きめのブラックタイガーとムール貝になった。糸守でお姉ちゃんハチャメチャVer.が作ってくれたのは近所の人が軒下に置いて行ってくれたピーマンとトマトが入っていたけど、今回はオレンジ色も鮮やかなパプリカと名前はわからないけど細長いトマトのようなものになった。瀧さんによると味付けはお姉ちゃんの部屋にあるもので出来てしまうらしい。

部屋についたら早速瀧さんのお料理教室パエリアの巻が始まった。一応私が教えてもらう前提だけれど、手を出して失敗なんかしたら計画は台無しだ。だからとても失敗しそうにないところ以外は手を出さない。お姉ちゃんは”四葉が教わるんやから、しっかり覚えないよ”と、ベッドに腰かけてテレビを見ている。

瀧さんの作業を見ていたら、あまりの手際の良さに覚えるポイントをいっぱい逃してしまった。野菜やイカなどの具材を切ったりする手際はさすがに男の人の料理と思うぐらいに豪快かつ軽快に一定の形に仕上がっていく。私は知らなかったけどパエリアというものはご飯を炊いてから作るのではなくって、具材を入れたスープをまず作って、具材を抜いてからご飯フライパンで蒸しながらカリッと仕上げて、最後に具材を入れるらしい。
恐らく彗星の後にお姉ちゃんが作ったときは炊飯器のご飯をフライパンに乗せていたので、しっとりしてしまったんだろう。

横目でお姉ちゃんのほうをちらっと見たら、ベッドに突っ伏してうたた寝をしていた。

スープから魚介を取り出すところですこぶるおいしそうな匂いが漂ってきて食欲を一層掻き立てる。スープにご飯を投入して強火から弱火にして蒸らしに入ったところで一旦作業は小休止だ。

「お姉ちゃん疲れてるのかな?」

ベッドサイドで幸せそうな寝顔を横目で見ながら、しばし瀧さんと時間をつぶす。
「三葉は久しぶりに学校に入れたんで、なんか異様にはしゃいでたな。」

そのはしゃいでいたという言葉とお姉ちゃんの今までがあまりにギャップがあったので、確かめる意味で少し深堀りする。

「へぇ〜、どんなところでですか?」

「う〜ん、特別どこってわけじゃないけど、教室の中とか、グラウンドとか、屋上とかかな?まあカフェもそうだったけど。」

「そりゃまた、普通な場所ばっかりですね。何が楽しかったんでしょうね?」

「そういえばもし俺と三葉が同じ学校だったらどんな感じだったかってずーっと言ってたよ。」
そうか、お姉ちゃんは青春を取り戻したいのかな? あの笑顔を見ているとそんなことを考えてしまう。まあお姉ちゃんが幸せだったらそれでいいか。

それより、瀧さん容疑者(仮)をさらに完落ちさせるためには、まだやっておかないといけないことがあるので少し話題を変えていく。

「瀧さんってパエリアよく作るんですか?」

「最近は仕事で忙しかったんで、あんまり作らなかったかな?高校の時はバイト先のシェフがやってるの見よう見まねで作ったりしたんだけど。」

矢継ぎ早に質問を重ねる。
「今までお姉ちゃんに食べさせたことは?」

「う〜ん、ないな〜。大体三葉と一緒の時は三葉が作ってくれるから。」

瀧さんはそういうと立ち上がり、キッチンへいってしまった。
「そろそろ水分が飛んだところでまた強火にしておくんだよ。これでおいしくお焦げが出来上がるんだ。」

「へぇ〜。楽しみ〜ぃ。」

キッチン越しにそんな話をしていたらお姉ちゃんが目を覚ました。

「うう〜ん、おいしそうな匂いしてきたねぇ〜。」

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今日は新宿でワインを買ってきたので、今日もテーブルにはワインが乗っている。
お姉ちゃんは今日も少し酔っている感じで、このヒトそのうち”私の身体の半分はワインでできてる”とか分不相応なことを言い出すのではないかと心配になる。

さて、肝心のパエリアだけど、これがもう完璧だ。糸守で食べたものもよかったけど、食材がいい分さらにおいしい。おこげがそれに輪をかけて最高。ブラックタイガーのみその部分を瀧さんが丹念に絞ったおかげでスープが濃厚になった分がおこげの香しさに磨きをかけてくれたよう。

お姉ちゃんはワインを傾けながら自分のパエリアのお皿を見て、何やら感慨深げに、

「これやったんやね〜。」
と私の方を見る。

一応白々しく
「何やのお姉ちゃん。」
といったら、

「四葉、昔糸守でこれ食べたことあるって言ってたやろ?」
いきなり核心来たーっ。と思って、
「うん。でもそんときお姉ちゃん変やったに。」
と突っ込んでみる。

「だから別の人やゆうてるんやさ。」
と瀧さんのほうを見ながらワインを傾ける。少しお姉ちゃんが色っぽく見えた。

けど当の瀧さんは少し変な顔をしている。どうもこの件についてはお姉ちゃんと瀧さんでかみ合わないこともあるみたいで、はっきりしない。それにこの味を出せるのが瀧さんしかいなかったとしても、糸守の彗星の前には瀧さんはまだ中学生だったはずなので、作り方を高校の時のバイト先で習得したという点と矛盾する。

でも、この味を私の舌が懐かしいといっている。間違いなく同じ人が作ったものだと感じる。釈然としない気持ちで私がおこげをガシガシフライパンから?剥いでいると、ワインを1本開けてお姉ちゃんはシャワーを浴びに行ってしまった。やっぱり少し眠いらしい。普段はそんなに飲まない人なんだけど、少し機嫌が良かったように見えた。

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昨日も今日もワインを飲んで少し酔いが回ってきた。あと、瀧くんが作ったパエリアが美味しすぎて少し食べ過ぎたみたいだ。おかげでいい気持ちになって眠くなってきた。

彗星の前、何度か狐憑き状態になった私は、晩御飯の担当日にイタリアンやスペイン料理とか糸守には似つかわしくない料理を出したと四葉とおばあちゃんが言っていた。もちろん食材をしっかりそろえてレシピを見てやれば私だってできるはずだ。しかしその時の私は何も見ずに、ありあわせの材料でそれをやってのけたのだそうだ。

彗星のあと仮設住宅に移った直後に記憶だけを頼ってやってみた。けれど結果的になんだか日曜日の昼にやっているTV番組の料理ができない若い娘を晒すコーナーのごとく、結局私に美味しいものは作れなかった。
それ以来パエリアは私にとってはトラウマのようになっている。

だから私はその別人格の私に入っていた誰かは美味しいイタリアンやパエリアを作れるはずと思ってきた。なのに瀧くんとはそんな立証も必要なく出会えてしまったので今日のパエリアはそれを後付けで確認をしたかのようになってしまった。それも四葉が言い出してくれたおかげだ。

当の四葉は今日のパエリアを昔のその狐憑きの私が作ったものと同等と認めているようだ。その証拠にお焦げをさも高級食材からできたものであるかのように舌と顔と言葉で愛でながらひたすらフライパンからこそぎ落して食べている。ちなみに私が彗星のあと作ったものは味も合格点は取れない上に、お焦げがないと言ってかなり不満そうだったからあれとは雲泥の差だ。

私はすでにお腹がいっぱいだったのだけど、さも大事そうに食べている四葉のお焦げをわがまま言って少し分けてもらった。確かに香ばしく魚介のエキスがご飯に封じ込められていて味わい深い。部分的にパリッとした食感も病みつきになりそうだ。

また今度四葉のいない時に作ってもらおう。

ところで、瀧くんにそれをやり遂げた記憶がないのは仕方がないことだけど、私にはわかる。瀧くんが糸守で四葉とおばあちゃんに美味しいパエリアを食べさせたという事実。そして今日、私が長く心待ちしていたそれを食べることができたことでさらに確信が持てた。
”やっぱりこの人だったんだなぁ。”と。

これは四葉の計らいあってのことだと思った。だから少し当惑気味の瀧くんのほうを横目に見ながら、

「四葉、ありがとうね。」

といっておいた。いろいろ思い出して少し涙がにじんでしまった。
でも同時にあくびも出たのでなんとかごまかせたよね?

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 第三章 了

 

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