君の名は。アフター小説- 帰省(第一章)

二人が三葉の実家に帰省します。そしていろんなことが起こります。まずはお父さんの回想メインです。

第一章 − 回想 −

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”もう三葉もいい歳だ。だから覚悟はできていた。”

自分に念を押す。
三葉から珍しく携帯に着信があった。あいにく糸守地区長会議ですぐに出られなかったので、公民館の駐車場に停めた車から三葉に折り返した。三葉は1か月後のお盆に帰省すると、そして紹介したい人を連れてくるのだという。

思い返せば、もう三葉は二葉と私が出会った年齢を越していた。二葉との結婚にはいろいろな障害があったが、それらをときには乱暴なやり方で克服してようやく結婚できたので、もし三葉が二葉と同じ年齢で結婚するとしたら、この時期に伴侶となるものを連れてきても何らおかしいことはない。

こんなふうに何かにつけ三葉のことで二葉と比べてしまうのはいつ頃からだったろうか。初めて三葉に二葉の面影を意識したのはそれこそ三葉が言葉を発するようになる前だ。確かに幼いころから三葉は二葉に似ていた。しかしそのような遺伝子に起因するものとは別に、私が二葉に出会ったころ感じていた何かを、三葉に対しても感じるようになったのは彗星の惨禍の日からだ。
私はあの日を思い出していた。

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あの日の午後、突然秘書から内線電話が入った。宮水神社の祭りの日というのは役所にとっても特別なイベントということもあり、選挙活動の合間であってもあの日は外出することなく私は町長室で仕事に当たっていた。そこに三葉が役場受付に来て、”急用で面会したい”いっているとのことだった。

まず三葉が役所に来ること自体が極めて稀有な出来事であった。それまでもし役所に用事があったとしても一度も町長の私に会いに来たことはなかった。しかし私はそのような特異な現象であるということ以前に三葉に”学校はどうしたのか?”と問いたださなければいけないと思った。遠距離通学の学生もいる糸守高校は、始業が遅い分終業も遅い。小学校の終業時間よりも前に役場に顔を出したとすれば、間違いなく放課前に学校を抜けてきたことになる。目前に迫った町長選においてスキャンダルは禁忌だ。狭い糸守町で実の娘が高校の放課前にうろうろしていては選挙戦に悪い影響がでることを一番に懸念したのだ。そして三葉については
”どうせ祭りで浮かれているに違いない。”と想像していた。

だから、三葉の”急用”には一切興味は持たず、ただ放課前に学校を抜けたことを咎めるためだけに部屋に通したのだ。しかしそこに現れた髪を短く切った三葉は部屋に入るなり私の言葉をものともせず、そしてその三葉の口から発せられる言葉のすべてが私には到底理解できないものだった。私の意志を拒絶した挙句あまりにも荒唐無稽な戯言を発する我が娘に、絶望に近い気持ちを感じ病院行きを勧めた。

”そうだ、二葉も早いうちにしっかりした病院に送り込むべきだったのだ。”
とその局面にあまり関係のない遠く苦い記憶を思い出しながら受話器を取り上げたところで、三葉は三葉ではない何者かになって私を襲ったのだ。

しかし私に三葉ではないことを見破られた何者かは、すぐに町長室を出ていった。あまりにも一瞬の出来事に私はうたた寝でもして悪夢を見ていたのかとも思ったが、明確な状況証拠からそうではないと我に返った。私のネクタイはだらしなく引き伸ばされ、受話器は床に垂れ下がっていた。その2つを元に戻し、椅子に腰を下ろしたところででようやく冷静さを取り戻した。

あれは確かに三葉ではなかった。何か違うモノが三葉の姿をして私を陥れようとしていると感じた。選挙戦の中の嫌がらせなども考えられたが、なぜ三葉を利用したのか、三葉の姿である何かである必要があったのか、いくら想像力を働かせても私の思考が正解を見つけることはできなかった。

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その後は祭りの対応で2、3の来訪者があったが、そのすべてがあいさつ回りのようなもので業務とは言えないものばかりだった。祭りの日は町役場に最後まで全職員が残る習わしになっていたため、日の入りを過ぎても私は町長室から山の稜線に沈んだ夕日の残映を眺めていた。この美しい光景を何度私は心を奪われたことだろう。この地方では日の入りの時間をカタワレ時という。民俗学者を生業としていたころは様々な方言の知識も必要であったため、この地方独特の方言にも興味を持った。なぜこの地方だけがカワタレ時でもなくカタワレ時というのか確かなことは言えないが、この糸守の集落が永く周辺と隔絶された時期があったのではないかと推測している。

そして私はその文化と隔絶された町を少しでも変えようということで今この部屋にいるのだと気持ちを持ち直した。気づくと先ほどまでの残映はほとんど消え、一帯には夜が訪れていたが、空はいつもとは異なり一定の明るさを保ったままであった。その日の彗星はひときわ明るく空を照らしていた。”あれがこんな片田舎に落ちてくる?戯言もいい加減にしろ。”先ほどの”三葉ならざるもの”の言動を思い出しながら、深く椅子に腰かけた。

しかし程なくして全町が停電する事態に見舞われ、防災無線が乗っ取られるという地方自治体ではあってはならない事態が発生した。私は即座にその時点でも次回の選挙のことを心配していた。”失態だ。危機管理能力が低いと揶揄される。”

発信元が高校ということが分かり、なんとか防災無線の正常化は果たせた。それでも変電所が爆破されたという情報もあり、糸守町始まって以来の大事件による選挙への影響を思い絶望的な感じながら気持ちで町長室に戻ると、再び秘書からの電話が鳴った。
”今度はお義母さまと娘さんが急用だとお越しになっています。”

私は混乱した。宮水家を出て以来一度も口をきいたことがない義母が来ている。しかも今は神社での祭りの真っ最中だ。いわばホストがその場を離れ、私の元に足を運んでいるのだ。直観的に何か私の理解できないことが起こっていると確信した。

すると義母よりも先に四葉が町長室に駆け込んできたので、それをみて私はまず安堵した。三葉だけでなく四葉までが他の何者かに乗っ取られているのではないかと、最悪のケースを想像していたからだ。しかし四葉は多少混乱気味ではあるものの普段の様子とそう変わりはなかった。義母と四葉の言い分を総合すると、今朝から三葉の言動がおかしい。彗星が2つに割れ、それが落ちて糸守町の町民が被害に遭うといっている。二人だけでも町外に逃げろといっているといったことだ。

さっきの”三葉ならざるもの”の言っていたことと、それはほぼ一致していた。当の三葉は山のほうに自転車で走っていったという四葉の話も奇想天外な印象はあるものの、何か必然であるようにも感じる。ただ、私にはまだ三葉を疑っている部分も残っていた。

私には心当たりがあった。

それはその日から約1か月さかのぼる。早朝の方針演説をしていると登校中に三葉の姿が見えた。実の娘が何の挨拶もなく通り過ぎてしまっては家庭内に問題ありとマイナス評価になる。ここは娘に何かしらの声をかけるべきと考えたが何も思いつかない。とっさに姿勢の悪さを咎め怒鳴ってしまったのだ。マイクを通さずに声を出したつもりが、漏れた声がマイクを通って想像していた以上に周りに響く大きな声になってしまい、三葉は足早に姿を消したのだ。

思い返せば家を出て以来、三葉ともまともに口をきいていなかった。それまで私にもなついていたと思っていたが、外で私が声をかけても一切返事をしなくなっていたのだ。その日の”三葉ならざるもの”が帰った後、三葉の行動の理由についていろいろな可能性を考える中で、選挙の対抗馬の差し金以外の可能性も考えた。そのうちの1つが三葉そのものであった。今までと同じ険悪な仲でさらに私からあのような仕打ちを受けたら、もう年頃になった娘はどう思うだろうか?何か仕返しを考えるのではないかと思うようになった。もし三葉が私を真剣に陥れたいと考えていて、今の私に一番ダメージを与えられるとしたらそれは選挙だ。

そして今日三葉、いや三葉の姿をした何かが消えた後に立て続けに起こったことを思い返すと合点がいくのである。変電所は自然に爆発するようなことはなく、何か作業を誤って爆発するぐらいしか可能性はない。特に祭りの日の今日、この時間に作業は行われていないはずだ。故意に誰かが爆破したと考えていいだろう。その後の放送も高校からの発信だ。それを指示できるのは、高校の関係者か学生に限られる。すべては私が選挙に敗れるために仕組まれたものであったとしたら…。恐ろしい可能性を私は否定できずにいた。

そしてなぜあの時優しい言葉をかけてやれなかったのか、心の片隅で自分を責めた。

義母は三葉が現れたら話を聞いてほしいと言った。しかし自信はなかった。三葉の顔を見たらまた怒鳴りつけてしまうのではないか。今の局面の複雑さと自分のふがいなさを感じ、深いため息をつき、窓から空を見上げた。すると彗星が先ほどと違う形態に変化していることに気づいた。

それは三葉の言っていた”二つに割れる”という姿そのものであった。

みるみるうちに自分の想像が愚かなものであったことに気づく。三葉は私を陥れるために何かを果たそうとしているのではない、それにしてももう少し説明をしてくれてもいいじゃないか。あれは三葉そのものではなかったにせよ、当の私はそれを追い返しておいてなんて虫のいい話だ。それにもう一度三葉がここに現れる保証なんてない。それに現れたとしても三葉そのものではない可能性だってある。彗星の分裂という空に示された論拠に自責の念を感じながら、机に肘をつき頭を抱えた。

そこに足音がした。学生用の革靴で役所の階段を足早に駆け上がっている。その力強い音は私の三葉に対して持っていたイメージからかけ離れたものであったが、なぜかそれが三葉だと確信できた。一度は問いただす必要があると言葉を用意していた。しかし私は三葉の姿を見て、自らその言葉を遮った。

非常灯のみの薄暗い部屋に現れた三葉がなぜか光に包まれたように見えた。それは遠い日、私が二葉に感じたものと全く同じものだった。そして二葉が糸守の人々に対してそうしたようにゆっくりと、しかし厳しく私に”今やるべきこと”を伝えた。

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”この世のすべてはあるべきところにおさまるんよ”

翌日、被災者の2次避難と被害状況の確認をしながら、二葉の言ったあの言葉の意味がようやく理解できた。この6年間、自分が何のために宮水家を離れ町長になったか。私の意志とは全く関係なく、すべて意味があったことなのだ。それは宮水の義母と三葉にも理解できたことのようだ。だから私は避難所、仮設住宅を通じ、宮水家に戻った。家族が別々に暮らす理不尽を早々に解消し、少しでも家族の時間を大事にしようと考えるようになった。

一方、町長選は災害対策を優先し条例の特別措置として任期の延長が決まった。糸守町の地方自治体としての維持が困難になり、次の年度H市に併合されるまでの間、被災者の生活を守ることに奔走した。今はH市糸守地区となった糸守湖、新糸守湖周辺に帰還希望者向けの居住地区を再建できるようH市市議会議員として活動している。インフラ整備にかかる膨大な費用を中央省庁との折衝で引きずり出すのが今の私のメインテーマだ。激甚災害に指定されるような災害にもかかわらず、死亡者を出さなかった功績は中央でも奇異の目で見られ、居住地域の地質調査や農地計画、幹線道路計画など着々と準備が進んでいる。

それは私が望んだことではない。二葉がそれを望んでいるような気がしたのだ。併合された町の元町長がすぐさま補欠選で大した選挙活動もできなかったにもかかわらず市会議員に当選できたのも、ある意味既定事項であったような感覚だった。確かに避難指示の件での知名度は大きかったが、何か宗教めいたものを感じるという良くない噂が並行して存在していたのは確かだ。にもかかわらず圧倒的な大差で対抗馬を抑え当選した。その票差を見ながら、
”これも二葉の望んだことなのか。”と一人思った。

あの日以来、三葉は加速的に二葉の面影を背負い込んでいった。彗星の当日、体中に擦り傷や打撲があった三葉は一旦病院に搬送されたが、その翌日避難所で合流した。何かひどく疲れていたのか、その後硬い体育館の床の上に敷いた薄いマットの上で1日以上眠り続けた。あの日の昼に現れたのは何だったのか、あるいは義母や四葉に見せた奇行の原因について問いただしたりしたかったが、ついにそれについて話すことはできなかった。変電所の爆発は周辺も含めた彗星被害により爆破被害自体を確認することができず、高校からの防災無線放送は放送委員の生徒と共謀したということで三葉も厳重注意を受けたようだ。それに加えて私が根掘り葉掘り聞きだすことも精神的な負荷になるに違いなかった。


それからというもの、残念ながら三葉は以前ほどではないが私に心を開ききっていないように思った。二葉がいたころに三葉が見せていたあの天真爛漫な笑顔が見られないままだったからだ。彗星以降、多少時間がかかっても様々なわだかまりが払しょくされていくものと信じていた私はひそかに落胆した。私の多忙もありすれ違いの生活の中、気づけば仮設住宅の中などでも三葉は下を向いて右の手のひらを眺めていた。何か彗星被害とはほかの何かを失ったかのように。それは父である私が問うことさえも許されない何かであるように感じた。


そして避難先から通った高校を無事卒業した三葉は、まるで当然のように自らの意志だけで大学を選び、東京に移り住んだ。かといって私に事前に相談というものがなかったわけではない。しかしそれは私に否定する余地を与えないものだった。三葉が東京に行くことを二葉が欲している。本能的にそう思った。

私も特に都会に何の免疫もない年頃の娘が一人東京生活をすることに不安がなかったわけではない。霞が関詣でのたびに三葉には連絡を入れ、多少会食するなど会話もしてきた。特に生活に問題はなく、奨学金も手に入れ親に手間や心配をかけないよう心掛けているようで安心したが、それでも彗星以降感じた三葉を通じて感じる奇妙な喪失感は健在だった。その理由を聞き出そうとも思った。しかしそれは”私が触れてはいけない禁忌”なのだと二葉が言っているように感じ、その都度押しとどまった。

特に黒髪が伸び、成人を迎えたあたりからの三葉はさらに二葉の面影に近づいてきた。自分の染色体の三葉への影響がいかに薄いか苦笑いしつつも、その美しさに二葉を感じることができるようになったことを、私は密かな幸せに思った。しかし三葉はその面影に自ら影を引き、異性の介入を拒否しているようにも見えた。生活は決して派手ではなく、友達付き合いも元糸守の同級生などごく狭い範囲にとどまっていたように思う。

大学を卒業して地元に帰ることも期待していたが、三葉はがんとしてそれを受け入れなかった。私のコネを利用した複数の就職先候補を用意していたにもかかわらず、私の意見はまるで軽い耳鳴りででもあるかのように、三葉の判断に一切影響を及ぼさなかったのだ。私はそのように頑なに自分の意見を通す三葉の姿がいつも何かぼんやりした光に包まれているように感じていた。そしてその光が表すもの、それは二葉の意志でもあるのだと理解することにした。

そしてさらに3年と幾月の時が流れた。

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H市は山間部に近いこともあり、この季節は太陽が少しでも西に傾きだすと山影のエリアで気温が下がりヒグラシが鳴き始める。日差しは決して柔らかくはないが、山岳エリア特有の乾いた風が吹き、肌に心地よい。古川の駅前ロータリーに車を停めて、上りの特急の到着を待つ。彗星被害の後、金沢まで新幹線が開通し東京から4時間前後でここまでやってこれるようになって早数年が経つ。霞が関詣でも今では楽になったもので、3省庁以上を回らなければいけない場合を除いて日帰りできるようにもなった。


三葉が東京に出て8年になるが、私は三葉をここに迎えに来たことはほとんどといって無い。いつも帰る日程を四葉が知っていて、私はそれを口伝で聞く。そして三葉は知らず知らずのうちタクシーで復興住宅の前までやってくるのがセオリーのようになっている。しかし今日はなぜか朝ソファーで新聞を読んでいたところに私の携帯が鳴った。

「もしもし、あ、お父さん?三葉です。」
違和感を感じながら”ああ”と返す。声のトーンが明らかに私の知っている三葉ではない。

「今日ねぇ、古川に14時17分に着くんで駅に迎えに来てもらえる?」

確かにお盆の季節は町会議員にとって外遊でもしない限り在宅しているので、迎えに行くことは不可能ではない。特に私のような頻繁に霞が関詣でをしているタイプの議員はこの時期、あえて出張する必要もないのだ。といっても今までの三葉であれば、私に出迎えを頼むことはまずありえない。しかも今日は一人ではない。初顔合わせをそんな駅で済ませるようなものではないと、少し気恥ずかしさもあって返答に苦慮していた。

「う〜ん、ちょっと荷物多いんよ。難しいかな?」

確かに2人分の荷物だ。いつもよりは多いだろう。でもわざわざ私が迎えに行く必要があるのか、未だそこに疑問を感じつつ、若干三葉の甘えるような声に気持ち悪さを感じ根負けした。

「わかった、わかったから。14時の何分だ?」

「17分。ロータリーのほうでね。じゃあ。よろしく〜。」
私の三葉のイメージに対し、恐ろしく軽い言い回しだ。年頃の娘を今になって初めて持ったような錯覚に陥って携帯の画面に目を落とし呆然としていた。横で四葉が何かニヤニヤして、
「お姉ちゃんやろ?」
と訊く。少し照れ隠しのような気持ちになりながら”ああ”と答える。

「幸せそうやにん。お姉ちゃん。」
唐突で肯定も否定ももない、ただ念押しの一言がストンと私の疑念を吹き飛ばした。
”幸せ…か。”

三葉はそれを探していたのか?そんなことを考えていたら、たった数kmの駅までの距離であってもいち早く迎えにいってやらなければいけないような気持ちになった。

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ロータリーの車の中で今朝のことを思い返しているうち、私には聞き慣れたディーゼル特急のエンジン音が近づいてきた。車のエアコンは切ったまま窓を開けて車を降り、改札の前で仁王立ちのようにたたずむ。駅の改札に向けて歩く人影はまばらで、すぐに三葉ともう一人の姿を見つけることができた。私はそのもう一人に目を凝らす。なんという不格好だろう。この暑いさなか、スーツの上下を着こんでいる。なのにそれにそぐわない大きな登山用のリュックを背負っている。右手には10日以上の海外旅行にでもいくかのような大きなスーツケースを転がしている。エスカレーターなどない跨線橋をどうやって持って降りたのか見ているだけで心配になる。一方の三葉もそのスーツケースの7割ぐらいの大きなスーツケースを転がしている。服装はいつもより華やかで、すこしひらひらした何かがついているワンピースとこちらも今までに見たことがないいで立ちだ。

ある意味奇天烈な旅一座でも見るような気持ちで改札で二人を待っていたが、まだ改札まで距離があるにもかかわらず、三葉はこちらに気づき、
「あっ。お父さ〜ん。久しぶり〜。」
と小学校以降見たことがないような笑顔と素振りで近づいてくる。気恥ずかしさとは別にあまりの変わりように少し恐怖を感じ、半歩後ずさりして「お、おぅ。」
と普段と違う返事をしてしまった。横にいる男は三葉によると立花という男らしい。下の名前も聞いたのだが忘れてしまった。私の姿を認めて少し会釈して恐縮したようなしぐさをしたが、改札を出てきてすぐに三葉が口を開く前に、
「初めまして。立花瀧といいます。この度はしばらくお世話になります!」
と自己紹介してきた。”それでは君が三葉の何なのかわからんじゃないか。”と心の中で突っ込む。間髪入れず私の物足りない部分を補う形で三葉が補足する。
「お父さん、私、瀧くんとお付き合いしとるんよ。」

「ああ、宮水俊樹だ。三葉が世話になっているようだね。」
三葉の言葉をほぼ聞こえなかったふりをして、それでもひきつる頬の筋肉を制御しながら精一杯の笑顔で迎える。町長選挙の時からの癖で大体初対面の人には無意識に握手をしてしまうが、立花君に対してもやってしまった。少し照れくさい。

そういえば、私の場合は二葉の家族として義母には調査対象として面会したので、このような緊張した瞬間はなかった。決して扱いやすい関係ではなかったが、このような気恥ずかしい思いはしたことがない。本来そのような経験のある父親であったなら、適当に気遣いができてそれなりにふるまえたのかもしれないが、経験のない私にはいったいこの場面でどのようにふるまうべきか全く正解がわからない。この立花という青年のそんな不遇を思いながら三葉のスーツケースを引きつつ車のところへ歩く。

この荷物の多さは甚だ疑問だが、タクシーを使わず私と迎えに呼んだ理由はわかる。これだけの量になると、この地方のタクシーだとガスタンクが邪魔でトランクには入らない。私の古いツーリングワゴンでもラゲッジスペースがほぼ8割がた埋まってしまう。

そういえば、さっき立花君はしばらくお世話になると言っていた。三葉は彼をうちに泊めるつもりらしい。復興住宅は平屋の県営住宅をリフォームしただけのものなので、そんな広いものではない。どこに彼を寝かせるつもりなのか。そんなことを考えているうちに特に車の中でのたいした会話もなくうちに到着した。

「あぁ〜お姉ちゃんお帰り。瀧さんいらっしゃ〜い。」
四葉が車の音を聞きつけたらしく玄関から顔を出した。

「なんだ、四葉。立花さんに会ったことあるのか?」

「うんゴールデンウィーク行ったときあったんやさ。」
少しウィンクして策士のような顔をする。四葉は三葉と歳が離れているせいか年上のものとの付き合い方にそつがない。幼いころから交渉に長け、ときに私も手玉に取られたような気持になる。もしかして今回の三葉の帰郷にも四葉が一枚噛んでいるような気がした。

「おばあちゃーん、瀧さん来たよ〜。」
四葉の問いかけに奥のリビングからセミの声に混ざってあまりはっきりしない声で”そうかい”と聞こえた。荷物を居間にすべて運び込んだところで汗だくになっている立花君にようやく一言声をかけることができた。

「立花さん。暑いので、もう上着は脱いでください。」

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 第一章 了

 

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