君の名は。アフター小説- 帰省(第二章)

またパエリア。その後は少し瀧くんにとって試練の時が。

第二章 − 三葉の笑顔 −

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お姉ちゃんのお盆の帰省は私の将来にとっても重要な意味を持つ。東京への進学を認めさせる上で、お姉ちゃんとの同居ではなく私が東京で一人暮らしをしていくことを正々堂々とお父さんに認めさせる必要があるのだ。お姉ちゃんとの受験前に同居をにおわせておいて、あとであれは嘘でしたというのは潔くない。だからおねえちゃんの幸せをまず確実にしたうえで、そのおねえちゃんの目の届くところで私が東京生活を安全に送れることを証明できるような環境を整える必要があるのだ。

だからお父さんの瀧さんへの好感度を極限まで上げるために、いろいろお膳立てをした。お姉ちゃんとはゴールデンウィークが終わってから継続的にお父さんの動向を連絡しあって戦略を練った。お父さんの東京出張のときに瀧さんを紹介する方法もあるにはあったけど、それはお姉ちゃんと瀧さんだけがお父さんと対面することになる。私の目の届かないところで決裂してしまうようなことがあってはならない。

だからこっちに瀧さんを連れて来るまではお父さんに会わせないようアドバイスした。あの後お父さんは2度ほど東京に行ったので、うち1回ではお姉ちゃんが晩御飯を一緒にとり、”お付き合いしている人がいる”とだけ伝えておくよう計画していたが、それは抜かりなく実行されたようだ。その直後のラインで結果だけ聞いておいた。お父さんはお姉ちゃんと私が想像していたほど驚くこともなく、”結婚を考えているのか?”と聞いてきたらしい。お姉ちゃんが肯定すると、今度連れてくるよう言ったそうだ。

やはりそういった話は本人から聞くのが一番効果的だ。お父さんとお姉ちゃんの関係は少しぎくしゃくした部分もあるけど、基本本人同士はもめない。だから本人が直接がいいのだ。私から瀧さんのことを耳に入れたら、根掘り葉掘り聞かれて、勝手に悪い印象を持たれてしまいかねない。

でも東京では瀧さんには会わせず、お盆にこちらに連れてくる話にした。東京で、しかもお互いの家の関係ない場所で会うより、家が最も既成事実になりうるからだ。

そして、その期間もできるだけ長いほうがいい。だから今回は二人には2日だけ有休をとってもらい、4泊5日という日程を組んだ。普段はお盆でも2泊しかしないお姉ちゃんが4泊も滞在するということにも意味があるし、その長い期間、もし瀧さんに少々の不具合が認められても、最終的には挽回ができる。

何にもましてお姉ちゃんが”四葉がいてくれると心強い”と言ってくれているのは嬉しいことだし、瀧さんがこちらでやりたいことがあるというのも渡りに船だった。

それにしてもこの二人。荷物が多すぎる。全然4泊の荷物ではない。何をやらかすつもりなんだろうか?到着早々、おばあちゃんに指示されるがまま用意したお茶と和菓子をいただきながら、それとなく探ってみる。
「明日とか瀧さんとどっか行くん?」

「うん、糸守行こうと思って。」
お姉ちゃんが”当然”といった顔で言う。私の記憶する限りお姉ちゃんがあの彗星の日以来糸守に、いや糸守だったところに行ったことはないはずだ。お姉ちゃんのみならず私も含めて元糸守の人たちの多くが、子供のころから親しんできた風景があのようになってしまったことに何も感じなかったわけではない。中には避難所でテレビの映像を見てPTSDになった人も多い。だから私たちを含め、元糸守のほとんどの人が糸守地区に足を踏み入れることはないのだ。

そもそも未だ人家はおろか道路さえも寸断されているし、被害エリアのほとんどの立ち入りが制限されている。糸守地区の奥に林野庁が復旧した林道が湖を迂回するように1本使えるようになっているだけだ。なので、私は正直に疑問を形にした。
「なんのために?」

自分の順番が来たようなリアクションで瀧さんが口を開いた。
「ああ、それは俺が行きたいって言ったんだよ。」

「瀧さん、糸守ってもう何にもないよ?」

お姉ちゃんが口を挟む。
「瀧くん糸守高校と、ご神体に行きたいんやって。」

そういえばお姉ちゃんがこの前瀧さんの母校に行って中に入れなくって残念だったようなことを言っていた。それにしてもこの二人、なんでお互いの母校にそんなに行きたがるのか不思議だ。それにご神体って。場所的には被害もなかったので、未だあの場所はご神体のままになっている。今は氏子の男衆の人たちが、林道からご神体への登山道を年に2回整備して、私もおばあちゃんから今ご神体がどうなっているか写真をみせてもらったことがある。

ここから糸守までもなかなか距離があるし、そこからご神体となると流石におばあちゃんも彗星被害のあと一度も行けていないようだ。それにご神体の周りにあった小川が増水しているのか、男衆の人たちもご神体には近づけないとかで、あの後のご神体がどうなっているかは誰もわからないそうだ。

そういえば、私が東京に行ったとき、瀧さんが糸守に行ったことがあるって言ってたのを思い出した。
「瀧さん糸守に行ったことあるって言ってましたよね?」

「そう、彗星のあとは高校とご神体のある外輪山に行ったのを覚えてる。」
ちょっと変な感じがした。彗星のあとは?ということは彗星の前があるみたい。念のため質問してみた。
「彗星の前はないですよね?」

「うん、記憶はないんだけど。」
と、少し遠慮がちにお姉ちゃんと目配せをする。
”記憶がなくって経験だけあるって、そんなアホな。”
と心の中でツッコむ。
そういえばこの二人、東京でも私の質問に変な答えを連発しては二人だけの世界に入っていた。あんまり深入りしても見せつけられるだけなので、ここは深追いしないでおこう。

するとお姉ちゃんが思い出したかのように、居間の居心地が悪いのか珍しく狭い庭で庭木の世話をしているお父さんに向かって、
「お父さん、明日か明後日に糸守まで送り迎えしてもらえん?」
と尋ねる。初めは聞こえないふりをしていたようだが、お姉ちゃんがもう一度、「無理かな?」といったら、渋い顔をして庭から上がってきた。

「ご神体に行くって、目的はなんだ。」
少し怒っているような雰囲気だ。乾いた段ボールをはさみで切るような声色だ。

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立花くんが、糸守で何をするか。大いに興味があったので庭から聞き取れるだけのことはすべて耳に入れていた。しかし糸守にとって、そして宮水家にとって神聖なあの場所にいとも簡単に足を踏み入れることを許してはならないと思った。少なくともその真意を聞いておく必要があると思った。

私の雰囲気を察したのか、三葉が取り繕おうと何か言いかけた、しかしそれを遮り、この立花という若者は私のほうに体を開くと、

「お父さん、聞いてください。」
とすこし緊張した様子で、はっきりした声で話し始めた。

「俺は三葉さんにこの春出会うことができました。でもずっと前から三葉さんを探しているように感じていたんです。」
私には縁遠い恋愛中毒者のよく言うセリフ回しだ。”ふざけやがって。”そう思いながら三葉の顔を見る。しかし三葉は神妙な顔をして彼の顔を見つめている。こんな真剣な顔はあの日以来かも知れない。

「もし三葉に会えなかったらと考えると今でも胸が苦しくなるんです。三葉さんをはじめ、糸守の人を救ったのは町長であったお父さんのおかげだと思います。でも、あの奇跡を起こしたのは宮水神社を信じる糸守の人たちの思いなんだと思うんです。だから三葉さんに出会えたことを感謝する意味で、ご神体に行きたいんです。」

確かに糸守の人々を救ったのは私ではない。避難命令は出したのは私だが、それをさせたのは三葉だ。いや、三葉の体を借りて誰かがやらせたのか。私が町長の立場になるまでを含めれば、それは二葉ということにもなろう。未だ私はその答えを探している。だが彼の言い分は、その私にとって不確かな部分をも正確に言い当てていた。確かに宮水の血と神社を通じた糸守の人々の信仰心が成し遂げたことといってしまえば間違いはあるまい。そう思ってあまりの正答に私は驚愕した。そして三葉のほうを見た。

「おまえが彼にそう吹き込んだのか?」
私の天邪鬼が少し顔を出した。三葉を怒らせて、何かボロが出ることを期待したが、三葉の言葉はその私の浅ましさをものともしないものだった。

「お父さん、彗星の前、私何度か変なことがあったんよ。四葉やおばあちゃんも知っとるけど、私が私でなかったことが何回かあるの。」

三葉は続けて口を開く。それは私の想像もしなかった言葉だ。
「瀧くんはその時の私と関係があるかも知れんの。」

横で四葉は少し変な顔をしているが、なぜか義母は納得した顔をしている。
さて、当の瀧くんも何か確信をまだ持てていないような顔をしているが、三葉の言葉に頷いてはいる。さて私はどうすればいい?

三葉の”私が私でなかった。”言葉が引っかかった。そうだ。私も三葉でなかった三葉に出会っている。その三葉ではない何かは、何も知らなかった私に彗星の予言をして立ち去ったのだ。その時のやり取りは、そのあと起こった事実を知った後になっては、あまり思い出したくないものだ。しかしその三葉ならざる者は、私が頑なに話を聞くことを拒否していることがわかると、途端に粗暴に振る舞った。私はそれで三葉ではないと見破ることができたのだ。
何を言っていいか言葉を探し、重い口を開き真実のみを話す。

「あの日、お前は俺のところに2度来たな。夜になってからお義母さんと四葉がいるところに来たお前は、普段のお前とは少し違って見えた点もあるが、あれは確かにお前だ。しかし最初のお前は恐らくお前ではなかった。」

”あれがこの立花という男だというのか?”という最後の言葉まで口に出すことは思いとどまった。あり得ないことを真剣に言うわが娘を見るのは2度目だ。しかしあのときは結局それが”あり得た”のだ。そう考えると今三葉のいうことを頭ごなしに否定することも私にとってあまりにも反省がないようにも思える。なのでまずは冷静にその可能性を分析してみることにする。

「瀧さんは糸守と何か関係があるのかね?」

「生まれ、育ちは関係ありません。ただ、高校の時糸守に興味をもって絵を描いたり、糸守に来たりしました。」

高校の時か。災害の前か?
「瀧さんはいくつなのかね?」

「22です。三葉さんの3つ下になります。」
災害より後か。それでは三葉の人格にまだ中学生の立花君が入るなんて考えられない。とまで考えてから昔の民俗学者だったころのことを思い出した。確かに日本古来からの言い伝えや、神社に関連した書物からの伝承を多く集めていた私は、その中に先祖など死者を含めた何者かが憑依する神職やイタコに類する情報を多く見つけることができた。学者にとってそれを信用することはなく、あくまでもその地方の実力者や神職の者たちが自己都合のためにでっち上げをしてきた結果のたわ言として、あくまでも”そのような伝承もある”とのみ処理してきた。しかし糸守の彗星で、実際私はそれを目の当たりにしたのだ。

であれば三葉は単なる憑代なのか、自ら呼び寄せたのか、それとも本人たちは意図せず二葉の望んだことが単に体現したのか、とにかく科学では説明のつかないことが起きたということになる。今目の前の二人の言っていることの真実は何をもってしても言い当てることはできないだろう。であれば信じるか信じないか明言することなく、しばらく見守ることも必要なように考えが変わってきた。

「わかった。糸守に連れていくことにしよう。明日は用事があるので明後日にしてくれ。あと、ご神体を荒したりすることがないよう、それだけは気を付けてくれ。」
私がそれを信じたかどうかはあえて明言せず、これが私ができる精一杯の常識人の、そして親としての対応だと思った。三葉はほっとした顔をしてにこやかな顔に戻った。それにしても彗星以来の内にこもったような表情しかしてこなかった三葉がここまで明るく変わってしまっているのが不思議だ。

「ところで、瀧さんは勤め人なのかね?」

「はい、東京で〇〇建設というところに4月から勤めています。」

「そうか、新入社員ということか。仕事は順調かね?」
少し意地の悪い質問を混ぜて、社会人としての見極めをしてみる。彼によれば、仕事は好きな分野なので、まだ順調とはいえないがそれなりに熱意をもって働いているようだ。三葉はもう働いて4年目だが、仕事がつらいとばかり言っていて、どうも覇気が感じられず老婆心ながら心配してきた.仕事がつらいなら家庭に入るのもいいだろうが、瀧くんの初任給程度では家庭を持つには早いのかもしれない。

そんなことは二人ともわかっているだろうから、よもやすぐ結婚とはかんがえていないだろうと、自分を安心させた。

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どうもお姉ちゃんたちの大荷物の理由はご神体に行くということでちょっとした登山用の装備が入っていて、そうなっていることが分かった。二人ともお父さん対策としてちゃんとした服装に加えて、靴を含めた服装、防寒用品、照明なんかを突っ込んできたらしい。

それにしてもお父さんが人に興味を持つこと自体とても珍しいことだ。瀧さんの彗星に関係した重苦しい話しをした挙句、歳や仕事や家族、住んでいるところなど矢継ぎ早に質問したと思ったら、今度は自分が糸守出身ではないことや、お母さんと出会った頃の話しなんかをし始めた。学者から宮水に婿入りするにあたって、勘当同然で故郷の奈良から身一つでやってきたこと。神社で神主をやるにあたっておばあちゃんではなくお母さんからいろいろ教わって、今でもそれが身についているとか、私やお姉ちゃんも初めて聞くような内容だった。
瀧さんはそれを真剣に聞いていた。私とお姉ちゃんも興味のあることなので、時折お父さんに質問しながら、お母さんの思い出にも触れることができた。とても懐かしい。おばあちゃんはそれを目を閉じて聞いている。心地よく眠っているかの面持ちでもある反面、わざと自分は口を開かず、お父さんと瀧さんを会話させたいと思ってそうしているように思う。

そろそろカタワレ時になり、ヒグラシの声もぴたりと止んだ。そろそろ夕飯の準備をと思ったら、お姉ちゃんが唐突に聞いてきた。、
「四葉、ワインクーラーの代わりになるもんって、何かない?」

て、あんた、まずワインクーラーって何よ?私そんなもん見たことないわぁ。
「お姉ちゃん、ワインクーラーってどんなもん?」

「ああ、じゃあタライでええわ。」
といいながら、大きなほうのスーツケースをカパっと開ける。そこには赤白織り交ぜて6本のワインが入っていた。それで瀧さんが運ぶときにとっても重そうだったんだ。と思う間もなく、お姉ちゃんはいそいそとそのうちの白2本を台所に運び、タライに水を張っている。

「ああ〜、やっぱりこっちの水は冷たくて気持ちええね〜。」
と水を張ったところにワインを入れてガラガラまわしている。

それを後ろから見つめる私は、
”このままでは私のワインクーラーのイメージがタライになってしまうんですけど?”
と思いながらスマフォでワインクーラーの画像を検索して正しい知識で上書きしておいた。

お姉ちゃんはまたスーツケースのところに戻って、今度は大きな蓋つきフライパンを取り出してきた。
「四葉、今日も瀧くんのパエリア食べたいやろ?」
意外なものが飛び出てきたので、
”何そのスーツケース、未来から来た猫型ロボット設定?”
とか思いながら再び瀧さんの苦労を思い浮かべる。そして昨日お姉ちゃんあての荷物で、冷凍シーフードミックス、冷凍ムール貝と生ハムセットが届いていたのを思い出した。まあ、あれを見た瞬間にパエリアを食べさせようという魂胆はわかっていたんだけど、よっぽど自分が高校生の時にチャレンジして失敗したのがトラウマになっているようだ。
「そうそう、そういえばお姉ちゃんシーフードミックス昨日届いたから冷凍庫に入れといたよ。」

「そうなんよ〜、便利になったよね〜。ア〇ゾンと楽〇市場。」
と、冷蔵庫を開ける。お姉ちゃんは東京に出て行ってもう長いので、今や10kmぐらい先のショッピングモールにさえ行けばムール貝だったら買えるようになっているのも知らないのかもしれない。
まもなく、
「今日のお料理は瀧くんと私に任せときないっ。」

といって二人で仲睦まじく料理が始まった。

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昨夜は久しぶりに楽しい夕餉だった。私が早く帰宅できたときは食事中には四葉が少し学校の話をするぐらいで、お義母さんと私は特に夕飯時にしゃべることはあまりない。淡々と食べて私は自室にもどってしまう。最近は四葉もそれなりに勉強しているようだし、夜に居間から物音が聞こえることはない。

立花君と三葉がふるまってくれたパエリアは東京に出張した時にそれなりの店で食べたものと互角であり、それなりに贅沢になってしまっている私の舌を十分に満足させるものだった。食の細くなったお義母さんさえもおかわりをするほどだった。四葉に至ってはフライパンに着いたお焦げまでもをきれいさっぱりたいらげた。三葉が手伝った温野菜のスープも野菜は農協の配送のものをそのまま使ったようだが、コンソメの風味に多少魚介のダシを加えたようで、十分に深みをもった味わい深いものだった。

三葉が選んだといっていたが、冷えたワインも非常に料理にマッチしていたので、自然にグラスが進んでしまった。私は家では全く晩酌をしないが、昨夜はワインが切れた後も以前支持者がおいていった地酒と生ハムなどを肴に、立花君と三葉といろいろな話をした。彗星の後処理や、今取り組んでいる糸守地区の復興計画、それに二葉との思い出なんかにも触れたと思う。立花君は建設会社に勤めているだけあって、糸守の復興計画に思った以上の興味を持ってくれたのを聞き、私の心が想像以上に緩んだのだと思う。

元々過疎地であったところに復興計画を起こすことには当然賛否があり、中央の役人も意見が分かれるところである。したがって期待値のそう高くない補助金に対して、大手ゼネコンはお断り見積もりを出してくるケースが少なくない。ある程度規模を絞って計画を何度も練り直していることなどを立花君は真剣に聞いてくれた。

そのような話の中でなぜか彼は”消えてしまった町や風景”を大事にしたいと言っていた。”無機質な復興計画では糸守らしくない”と、今まで私が思ってきたこと、元糸守の住人たちがいうことを彼はまるで当事者であるかのように口にしたのだ。彼は糸守を災害後に訪れたことがあるといっていたが、その言葉に対して私は若干情に絆されてしまったのかもしれない。そのせいで私が糸守を訪れて間もないころや二葉との思い出に話題が移っていったのかもしれないと思う。今まで二葉の話題はうちの中であまりしてこなかったのに、つい勢い余って三葉と四葉が知らなかったことも話したりしたので、三葉は時折涙ぐみながら耳を傾けていたのが印象に残る。

それにしても立花君をどこに寝かせるのか、はじめは疑問に思っていたのだが三葉が私の部屋に寝ることを進言してきたのには驚いた。確かに寝室にできる部屋数は3つしかない。立花君は三葉か私のどちらかと同じ部屋で寝ることになるが、あえて三葉は立花君を私の部屋で寝るように仕向けたのだ。

深酒で気持ちも大きくなっていたのだろう。普段であれば許容できないことであったが私はそれを受け入れ、立花君が私の居室で就寝することになったのだ。


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三葉の実家は復興住宅なので、寝室に使えるのは3部屋だ。俺は誰かと同室で寝ることになる。だから三葉と同室で寝るのかと思っていたのだが、おばあさんは一人で寝るということで、三葉と四葉ちゃん、そしてお父さんと俺で同室ということになった。それを知らせる三葉の顔が少し申し訳なさそうなのと残念そうに見えたのがせめてもの救いだ。そして、一言”頑張って”と付け加えた。恐らくそれは意味のある事なんだろう。俺はミッションをもってお父さんの部屋に寝るのだ。

風呂から上がって、髪を簡単に乾かしたら新聞を読んでいるお父さんに思い切って話しかけてみた。子供の頃の三葉についてどうしても聞いておきたかったのだ。お父さんはしばらく間をおいて、ゆっくり話し出した。

「三葉は二葉がいた頃は天真爛漫な娘だった。二葉の後を継いで巫女になると言っていた時期もあった。四葉が生まれてくるのを心待ちにして、はしゃいでいたよ。二葉が亡くなってからは四葉の姉ということで、しっかりしようと考えていたんだろう。特に私が去った後は、あの天真爛漫さはなくなってしまった。三葉にはとてもかわいそうなことをしたと思ったよ。」

三葉に同情的な言葉は俺の想像と違っていた。そして少し立ち入ったことを聞いてみたくなった。
「お父さんはなぜか家を出たんですか?」

お父さんは少し驚いた顔をした。俺は踏み込みすぎたかも知れない。ただ、三葉もわからないと言っていたこの点をどうしても俺は知りたかったのだ。お父さんが口を開くのに少し時間が必要だった。

「私は二葉を早くに失うことになったのは宮水の一族の定めだったように感じた。だからそれを壊そうとした。それほどまでに私は二葉を愛していたんだ。でもそれは結果的に二葉の望み通りだった。」

俺は無意識に言葉を反芻して疑問をぶつけた。
「二葉さんの望み通り…?」

「そうだ。二葉は糸守の人を守るために存在したのだと今になって思う。当時愚かだった私は彗星の後ようやくそれに気づいたんだ。そして私たちは元の家族に戻ることができた。しかし三葉のあの二葉がいた頃の笑顔は失われたままだった。いつも三葉は失った誰かを探しているように見えた。家族の中で唯一彗星の後に元に戻っていなかったのが、三葉だった。」

俺は黙ってその言葉の真意を見出そうとしていた。

「今日、駅で君たちが現れたとき私は目を疑ったよ。三葉がまるであの頃のように笑ってるじゃないか。目の前で何が起こっているのかまず混乱したよ。」

それまで開いたままの新聞に向けられていたお父さんの視線が、まっすぐ俺のほうに向いた。

「今日たった半日だが、君が三葉の笑顔を取り戻してくれたことが分かった。三葉の探していたのは君なんだな。」

俺は口をはさむのをためらうべきか悩んだが、三葉と俺の共通点に反応してしまった。
「いえ、僕も三葉さんを前から探していたような気がするんです。だから糸守でその理由を探してみたくなったんだと思います。」

お父さんは、少し思いつめた顔をしてまた下を向いた。
「そうか、私も協力することにしよう。今日は話ができてよかった。明日も早いんでそろそろ寝よう。私は息子がいないから、自分の子供とは寝る前にこんな話をしたことがなかった。こういったのも、なかなかいいもんだな。」

床に入り、程なくお父さんは寝息を立てていた。”俺の親父とも寝る前に話をするようなことはなかったな”と思い出しながら、網戸越しに寝床に届く虫の声を聴きしばらく眠れずにいた。思い返すと24時間一時もとどまることを知らない東京での生活では、夜の音がこれほどに耳に心地よいと思ったことはない。俺は少し興奮しているのかもしれない。そんなことを思いつつ眠りに落ちた。

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 第二章 了

 

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