君の名は。アフター小説- 帰省(第五章)

朝からデレる二人。今日は糸守高校にまず行きます。

第五章 − 糸守高校 −

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「ご・は・んっ!はよ起きない!」

四葉のこれほど凶暴な声で起こされるのはずいぶん久しぶりだ。30分ぐらい前だろうか、一度部屋に入ってきたけどすぐに出ていった。今回も一瞬だけふすまを開けて、何か見たくないものがあるかのように叫んだらすぐに背中を向けてふすまを閉めていった。瀧くんと手をつないで寝たまんまだったけど、私が起きても瀧くんはまだ起きない。今日はふすまが完全に閉まっているので、手をつないだまま瀧くんの顔に唇を寄せる。

そういえば昨夜は今日の予定についいてなんの打合せもできなかった。お父さんはさぞ不機嫌だろうと思って食卓に着くと、いきなり
「今日は何時に出るんだ?」
と聞いてきた。

あれ?そんなに機嫌悪くないかも。
「う〜ん、準備もあるから9時ぐらいかな?大丈夫?」

「ああ。まず高校に行くのか?」

「そうやね。まず高校かな。」
かなり積極的に会話のキャッチボールが進む。

朝食が済み、瀧くんと私は出発の準備を進める。おにぎりと冷凍のから揚げ、卵焼きとレタス、トマトのレイアウトでお弁当をささっと用意し、山登りの装備をパッキングする。お盆とはいえ、天気が急転したりすれば山の上は一気に気温が下がる。なので私たち二人はかなりな重装備だ。お茶の水あたりの山岳グッズの専門店でいろいろ買ったりして揃えたが、瀧くんの上着だけは元々瀧くんが高校時代に使っていたのをそのまま持ってきた。

瀧くんもまだ新入社員で貯金もあんまりできていないので、使えるものは使おうということになり、瀧くんにそれを着て自撮りした写真を送ってもらった。そしてその写真を見てなぜか私は涙が出るほどうれしくなり、絶対にそれを持ってくるようにお願いしたのだ。今日は私にとってその上着の初お目見えということになる。瀧くんがスーツケースからそれを出した瞬間に奪い去って、なぜか匂いを嗅いでみた。
「うへぇ、防虫剤の匂い。」

「そりゃそうだよ、もう6年も使ってないんだから。でもモノはいいんで、破れたりしてないだろ?」

それはフード付きのグレーのツートーンの防水ジャケットだ。デザインはちょっと古い感じだけど、普段スーツのあんまり似合わない瀧くんにはこういったのが似合うに違いない。 「瀧くん、ちょっと着てみて。」

「う〜ん、どうかな。肩幅がちょっときついかな?」
と言いながら袖を通す。

袖が通り、瀧くんが襟のところをシュッとやったところで私はすかさず瀧くんの懐にダイブのように飛び込んだ。それは私が今まで”すごく見たかった瀧くん”の姿だったからだ。理由はわからない。防虫剤臭くても全然かまわない。とにかく昔はそんなことできなかったのに、今になってそれがようやく達成できたような気がする。なので私は瀧くんの背中に腕を回し防虫剤臭い瀧くんの胸板にぐりぐりと顔を押し付ける。
「三葉…、なにやってんの?」

「何でもええんやさ。」
ぐりぐり。

「防虫剤臭いだろう。」

「…」
ぐーりぐり。
無言でぐりぐりやっている私に瀧くんはもうあきらめた感じだ。もうこうなったら防虫剤のにおいまで心地いい。少し病的かも、私。瀧くんが好きなのか、このジャケットが好きなのかどっちだろ?変な気持ちになってきた。

すると今度はふすまの隙間から、
「お姉ちゃん、何やっとんの?」
とまた四葉。

さすがにこれ以上見られたら姉の威厳がまずいことになりそうなので、残念だけど瀧くんの胸からしぶしぶ顔を離した。

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昨日私は市庁舎で糸守地区復興に向けての臨時会議があったので午前中は市庁舎に詰めていた。元糸守の住民のうちお盆の時期にだけ帰ってきている人たちへの説明会がメインだったが、この時期に帰省してもお年寄りの一人暮らし世帯に宿泊しなければいけない不便さから年々参加者も減ってきている。そのような中・若年世帯は糸守への愛着も薄く、糸守地区の復興よりも移転先での生活補助の増額を求める声が多かった。

まるで自分が間違ったことを推し進めているかのように感じ、激しい疎外感を禁じ得なかった。しかし私は糸守地区に人を住まわせる義務があるのだ。それには予算枠の圧縮を更に検討する必要がある。インフラなどは破壊を免れたエリアを中心に再興地域を据えることである程度のコストダウンは可能だ。また、既にH市に併合されているので庁舎は不要だ。そうなると問題は学校など教育機関だが、小学校、中学校は全壊あるいは湖に沈んでしまったので、残った高校の設備を小学校と中学校の兼用にできないかと思いついた。糸守高校の校舎と体育館は耐震補強を終えたばかりだったので、彗星被害においても窓ガラスが割れたぐらいで、建物自体はまだ使える。問題は既存の設備が小学校、中学校への転用可能なものなのかどうかだ。

そこで三葉と立花君が糸守高校を見てみたいと言っていたのを思い出した。どうせ視察で足を運ぶなら渡りに船ということで、早速午後に県庁の教育委員会に復興事業のための視察名目で許可を得て、市庁舎内にある復興庁の出先事務所が保管している糸守高校のキーを一式借りることができた。昨夜はそのキーを借りられたことを戦果として三葉と立花くんに報告しようと思っていたのにもかかわらず、予期していなかった突然の感情の高ぶりで格好の悪いところを見せてしまった。

四葉の見せてくれたスマフォの画像は、私の叶わなかった願望が実は手の届くところにあったという種明かしだった。それに感情が突き動かされ、長年気づかないでいた自分を嘆き、嗚咽してしまうまでの事態になったのだ。その時私は立花君がそこにいることはもちろん意識していた。彼の目にどう映るかを気にするべきだった。しかしまるで人目をはばかることを禁じられているような気がしたのだ。ただ単純に私の感情を吐き出さなければ、私は変われないように感じた。だから義母が二人を部屋から連れ出してくれたことや、唯一私を嫌わずにいてくれた四葉が気を遣って、私をなだめてくれたことがとてもありがたかった。

感情をすべて吐き出したおかげで、一転今朝はすがすがしく目が覚めた。夜明けが待ち遠しく、まだ明けきらないうちに家を出た。墓所まで夜露に濡れたアスファルトを早足で歩き、墓所に着くころにようやく神社の森から鳥の声が聞こえ始めていた。少しカスミがかったような中、墓標の前にしゃがみ榊を供え手を合わせた。一通りいつもの祈りを心でつぶやいた後、

”来てくれ。どうか…。”

と何度も念じた。
すると墓所の奥の林から柔らかな風が吹き、少し汗ばんだ私の頬の熱を引かせる。それはまるで何者かの手で優しく愛撫されたようでもあった。そして小さな羽音が聞こえ、私はゆっくりと瞼を持ち上げる。

”彼女”が現れた。
いつもはそばの枝に腰かけ、私を監視しているように見えた”彼女”が、今朝は墓標の頂で私を見ている。今まで永らく気づかなかった私を責めるかのように、少し首を横にしてにらんでいるようだ。私は謝罪の意味も込め、少し会釈をした。”久しぶり”と心の中で語りかけたが、すぐに彼女からすれば久しぶりではなかったことに気づき、訂正する。しかし時折”チッ”と鳴く以外、私には何も聞こえない。

一方的に彼女に伝えたいことを心の中で念じた。そのたびに毛づくろいをしたり、墓標の上を突っついたりしている彼女は、相槌を打っているように見えた。そろそろ思いつくことは言いつくしたかと思ったが、最後に立花くんのことを話しておこうと思った。三葉が東京に戻る前に伝えておこうと思っていることを打ち明けた。彼女は”チチチッ”と少し長くさえずった。なぜかその声の意味していることの是非が手に取るように分かった。それだけは相互に会話ができたように感じたので、今日は立花くんと三葉を連れて糸守に行くことなど他愛のない話も続けた。そして彼女が現れてから10分もしただろうか。ついに”彼女”は他にもやることがあると言っているかのように飛び去ってしまった。

昨夜の義母はそれなりの神職であれば聞こえるかのようなことを言っていたが、今の私はそれに遠く及ばない。今や60歳を超えてしまったが、これから地域の復興を果たした後からでもなんとか彼女の声が聞こえる領域を目指そうと思った。それには義母が元気なうちに宮水に入ってすぐに二葉から受けた内容の”再教育”を受けなければいけない。そして、その神職たる自分の活躍の場をも用意しなければならない。そこでの切磋琢磨が彼女と会話を実現する鍵なのだ。
”やれやれ、私にそこまで期待してくれるのか。”
昨日の会議のことを思い、今思い描いた到達点とのかい離を改めて認識する。疲れている暇などないと悟った。

今は一方的でもいい。彼女に会えさえすれば。何か初恋に酔いしれているかのような感触を覚えながら墓所からの階段を軽い足取りで降りる。これからも彼女に会えることに心から歓喜していた。そしてあの日看護婦からの最後の伝言を思い出した。

”これがお別れではないから。”

君は確かに本当のことを言ったんだ。

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お父さんの車の中では瀧くんはずいぶん恐縮している。多分昨夜のあんなのを見てしまった後なので話しかけるのもおっくうになっているに違いない。でもその割にお父さんの機嫌が良いのだ。四葉が
「今朝もお墓参り行ったみたいやよ。」
と言っていたので、まるでお母さんと話でもできたかのようだ。

家を出る前に、お父さんが車に乗り込むとき”ジャラジャラ”と金属の派手な音がした。えらく重そうな鍵の束を持っているので、尋ねたら糸守高校のキーの束だという。私たちに視察も兼ねて同行する名目で借りたらしい。お父さんがここまで前向きに協力してくれるのは、少し気味が悪い感じもする。しかし、これほど上機嫌なので、何か企みがあるのではなさそうだ。少しジャブを打ってみる。

「鍵ってそんな簡単に借りれるもんなん?」

「ああ正当な目的があれば。今は復興庁の管轄なんでな。」
お役所の構造があんまり理解できていない私には、答えになっていない答えだ。でも、機嫌は良さそうなまんまなので、
「その鍵で全部入れるん?」

「そうだな、貴重品や個人情報なんかは全部持ち出されているから、今はこの鍵で入れないところはないはずだ。」

それはすごい。じゃあたまーにテッシーが勝手に合いかぎを作って侵入していたあの部室にも入れるかもしれない。当時すでに雑然としていたし、かび臭かったりもしたので今あの部屋に入るのは相当勇気が要りそうだけど。

瀧くんの高校は門前までしか入れなかったけど、糸守高校はそもそも周りにフェンスがあったりなかったりしたので、少なくとも校庭や校舎のまわりにまでは行けると思っていた。それがお父さんの予想だにしなかった職権乱用とも想像できる大サービスのおかげで、それが無限の可能性につながってきた。まあ瀧くんと二人でしんみりとしようと思っていたところにお父さんがずーっとついてくるのは少し計画と違う気がするけど、糸守高校を瀧くんに見せるという目的の上では予想以上の効果を期待できるのだ。自然に胸が躍る。

そろそろ糸守が近づいてきた。私が最後に見たときと違うのはあちらこちらに草木が伸び放題で、鉄が露出しているところはとにかく深い錆色になっているところだ。見た目の印象は草木が覆い隠している分、被害の爪痕は浅くなったようにも見える。それほどの時間が経ってしまったんだと自覚する。元宮水神社付近はもう湖の中なので一切様子をうかがい知ることはできない。被害の分布をまとめた新聞記事では、うちのまわりは”蒸発”と書いてあったので無理もない話だ。蒸発した上に爆発して地盤が無くなった上に糸守湖の水が押し寄せた感じで、宮水家の地面にさえも私たちは触れることができないのだ。

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あの日私たちは糸守高校の校庭からその一部始終を見れずにいた。隕石が近づいてきた瞬間、あたり一面が強烈な光に包まれ、誰一人として目を開けられなかったのだ。そして強烈な熱を感じた。皮膚が露出していた部分はチリチリ痛み、あと1秒長くあの熱を浴びていたら私たちは深刻な火傷を負っていただろう。その直後、今度はしゃがんでいても転倒してしまうほどの激しい地震に見舞われ、轟音とともに熱風のひどい嵐に晒されたのだ。土埃が消えて私たちが湖の方を見たときには湖の対岸は火の海となり、新たにできたクレーターに糸守湖の水が大きな滝のように流れ込んでいた。

中には目が見えないと泣き叫ぶ人、飛散物に当たり火傷やけがをした人、爆風で転び、飛ばされけがをした人、土埃で咳がとまらなくなった人、様々なけが人がいた。そしてけがをしなかった人たちのうち多くが糸守湖の方を呆然と眺めていた、その後ろ姿が湖面を包む炎の中、逆光に浮かんでいたのが印象に残る。突然の災害に見舞われ、初めは悲嘆にくれる人が多かった。確かにみんな着の身着のまま校庭に集まったようなものだ。浴衣の人が多かったので、夜が更けるとともに寒さを訴える人が増えていった。被害を免れた家から、薪を持ち寄ってたき火が何カ所かで焚かれていた。でも消息不明者はまだいたものの死亡者がいるという知らせがなかったので、徐々に”生きていた良かった”と声に出す人が現れ出した。唯一の救いを見出した人たちは完全に絶望すべき状態ではないことをようやく悟ったように見えた。

しばらくして学校の非常食が配られた。また、学校のプロパンガスを使って炊き出しも始まった。それまで感じたことはなかったけど、田舎の人と人とのつながりは強いと感じた。 おばあちゃんと四葉と3人で炊き出しの豚汁をすすっていたら、ユキちゃん先生がやってきた。
「宮水さん、ここにいたのね。この豚汁おいしいね。私料理下手だから、こんなの作れる人がうらやましい。」 といった。

私はまだその時、何かを失った喪失感で先生に満足な受け答えができなかったので、薄暗い中先生が心配して私の顔を覗き込んできた。
「あら、あなたいろいろケガしてるじゃない。保健室が救護所になっているから行きましょう。」
と言われてついて行った。私の怪我のほとんどはすり傷、打撲だったけど、顔や髪の毛の間にも打撲があったので、翌朝MRI検査をするために岐阜の病院に他の傷病者と一緒にヘリで運ばれたのだ。

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そんな災害直後を思い出していたら、車は糸守高校への坂道にやってきた。そして何カ所かめくれ上がったアスファルトを超えたところで校門とその向こうに校庭が見えてきた。あの朝ヘリで運ばれた時の上空からの光景が重なる。今はほうぼうから背の高い草が生い茂っていて、校庭として使われていた頃の見る影もない。それでも私にとっては、毎日のようにサヤちんとテッシーと3人でお弁当を食べた思い出深い校庭だ。ついつい私の目に少し涙がにじんだ。

一方、お父さんは私の感動には一切興味はなく、校門前に車を停めてノリノリで視察を始める。被害状況の確認とかでお父さんはこういった場所に散々来ているようで、手慣れたものだ。
「さあ、どこから廻ろうか。私は体育館とプール、職員室あたりを重点的に見たいんだが。」

「じゃあ、まず体育館いこ。ね、瀧くん。」
と少し恐縮しているのかおとなしい瀧くんの方を見ると、校舎と校庭をまるで恐ろしいものでも見るように凝視している。私は瀧くんの高校の校門前に立った時と同じ感覚で瀧くんも記憶が刺激されているんだと感じる。

まずは校舎の外をまわって体育館への連絡通路を歩く。私はそこまでの道すがら懐かしい思いで、校舎の外壁や今はかなり背の高い草が生い茂ってしまった花壇なんかをキョロキョロ見回して、お父さんよりも先を歩く。あれほど苦手意識が蔓延していた高校生活だったはずなのに、今思い出してちょっとうきうきしている。

体育館の入り口でお父さんに鍵を開けてもらう。割れた窓はベニヤ板が打ち付けられていて、私たちの高校時代に比べて少し薄暗く感じる。少しかび臭い匂いが漂っているし、床の上には少し埃なのか砂なのかが積もっている。

お父さんは私たちはそっちのけで中に入って床の状態や、舞台や放送機器の状態を確認している。一方の瀧くんはバスケットゴールのところに歩いていったあと、エアーでフリースローをしている。ちょっとカッコイイ。
「瀧くんって中学でバスケ部やったんやよねぇ?」

「うん。なんか高校時代は授業でもやらなかったんで中学以来のはずなんだけど、なんかこのゴールなじみがあるっていうか…。なんかバンバン決められた気がするんだよな。」

そういえば、私が彗星の直前、バスケの授業で3ポイントシュートをバンバン決めていたって教えてくれた同級生がいたっけ。
”多分それは瀧くんなんやよ。”

心の中で呟いて、
「あははは。ここにボールがあったらよかったのにねぇ。」
と笑ってみた。それは間違いなく瀧くんもわかっていると思う確信を伴ったものだ。私たちは違う記憶の中でもお互いが完全に分かり合えるはず。そう思っているからだ。

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バスケットゴールだけあってもボールがないと所詮つまらない。三葉が気を利かせてお父さんから鍵を借りて体育倉庫を開けたのだが、9年も放置されたバスケットボールは上にあったものをドリブルしてみたら、ゴムが硬化していてボロボロと砕けて飛び散ってしまった。下にあるものは重みで歪にひずんでしまっている。それほどまでにこの9年という年月は重いのだ。そう実感した。

引き続き、校舎に入った。お父さんは職員室と放送室を見てくると言っていた。三葉と俺は教室と書かれた鍵の束だけ持って校舎の中をうろうろする。廊下側はそう問題はないが、教室の中にはところどころ割れたガラスが散乱しているところもあり、彗星被害の時の三葉の机も窓際にあったので、机の上にガラスが散乱していた。

ガラスを丁寧に取り除き、掃除用具のロッカーから雑巾をもってきて、綺麗にしてから座ってみた。隣はなんとサヤちんさんの机らしい。なんと狭い世界なんだと感心する。べニア板の張られた窓を開けて校庭越しに糸守湖を眺める。校舎は3階建てだが、校庭は2階のフロアと同じ高さなので、3階の教室からでも糸守湖より新糸守湖が大きく見渡せる。サヤちんさんの机に腰かけていた三葉がいう。
「風景が変わってまったね。」

元の風景を見たはずがない俺もそう思った。

三葉の教室を出て、廊下を端まで歩いた。なぜか俺はそこに吸い寄せられるように社会科準備室という札のかかった部屋の前に来た。その部屋にはなぜか鍵がなくても入れそうな気がした。廊下に上履きが落ちていたので、それでドアノブをひっぱたいてみた。案の定鍵が開いた。

「何しとんの?瀧くん。」
三葉が俺の後ろでけげんそうな顔をしている。

別に部屋の中が見たかったわけではない。無性にこの鍵が上履きで開けられるのを確認したかっただけだ。ただ、このような知識を活用せざるを得なかったのは三葉が関係しているような気がする。

「部室棟みたいなところってないんだっけ?」
何かまだ見落としているような気がして三葉に尋ねてみる。

「うん、でも私部活やってなかったから。」 あんまり三葉は部室棟には近づきたくないみたいだ。少しイジワルしたくなったので、
「行ってみよう。」
と三葉の持っているキーの束の中に部室棟のものを探す。部室棟の鍵は果たしてその中にあったので、俺は何かに吸い寄せられるように部室棟へ向かう。

部室棟は体育館の陰になっており、彗星被害はほとんど受けていないようだった。それでも古い建物のようで、ところどころ壁に穴が開いていたりして、校舎よりも傷んでいる印象だ。

その真ん中あたりの部屋から強い引力を感じた。サインボードを見る限り、この部屋は弱小文化部が出来ては潰れを繰り返してきた部屋のようだ。何か匂う。その背景だけでも十二分に興味をそそられるが、それ以外の俺を引き付ける何かがこの部屋から発せられている。部室棟の鍵の中にひとつだけ名札のない鍵があった。それを鍵穴に差し込むといとも簡単に鍵が開いた。緊張して中に入る。

中には古いゲーム機や無線機のようなもの、家で不要になった家電、観光地のペナントや木彫りの看板のようなものが所狭しと置かれている。なぜかこの部屋は他の部屋とは違って、かび臭さがさほどでもない。それに何かついさっきまで誰かがいたような、変な雰囲気が感じられる。俺たちがここに来るまでの間、密閉保存されていたかのように埃もそんな堆積していない。違和感を感じながら奥のソファーのところへ行く。後ろから三葉が恐る恐るついてきながらいう。

「ここ、たまにテッシーがたまり場に使っとったんやさ。」

そういえばテッシーさんは無線とかもやってたって言っていた。と棚の無線機から手前のテーブルに視線を落とした。そこには地図が開かれていた。糸守湖しかない糸守の地図。そして、それには文字などが書き込まれている。その地図はまるで俺のことを待っていたかのように俺の記憶を刺激した。地図を凝視する。周りの風景は黒く沈み、俺の目にはその地図だけが映っていた。

「その字、瀧くんの字に似てない?」
横から覗き込んでいた三葉の声がする。

そうだ、この字は俺の字だ。糸守に俺が残した痕跡だ。

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 第五章 了

 

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