君の名は。アフター小説- 帰省(第八章)

四葉にも同じような経験をさせたくて、ちょっとだけ。

第八章 − 宮水の血統 −

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”あれ、なんか聞いたことないアラーム音が鳴ってる。”

と思ってスマフォを手探りしていたらベッドから落ちた。そんな出だしで始まる夢を見た。夢の癖に床に打ち付けた肘や腰がめちゃくちゃ痛い。鏡を見たら私は男の子になっていた。なんてベタな設定の夢だ。私もお姉ちゃんやお父さんのちょっとおかしい言動や行動に刺激されて、ついにおかしくなったかも知れない。

まあ、なんでもそつなくこなせると自負している私なのだから、そんな他人の人生を演じるようなことは簡単にできるのだ。だから臆せずその男の子になり切ってこの夢を楽しむことにした。さて、まずはトイレだ。

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「おはよ〜。あれ?おばあちゃんだけなん?四葉は?」

昨夜はさんざん日中に歩きまわったので疲れてしまって早めに寝付いた。なので少し早めに目が覚めた。といってももう8時前。瀧くんはまだ眠っていたので、少しいたずらしたりしてから居間に出たら、覗いているかもと一番警戒していた四葉がいない。

おばちゃんはそろそろしびれを切らして自分で朝食を作り始めようとしていたので、四葉を起こしてやらなければいけない。四葉がまだ眠っているであろうおばあちゃんの部屋のふすまをゆっくりと開けてみる。

そこには驚くべき光景があった。上体を起こして四葉が自分の胸をもんでいる。何かにとりつかれたかのように、そして何かを確かめるように。

「四葉、あんたなにやっとんの?」

「あ、ああ。すっげーリアルな夢だな〜って思ってさぁ。」
こちらを見ることなく、熱心にまだ胸をもみ続けている。

「どうでもええから、はよ起きない!」

程なくして、部屋の中から四葉の声で聞いたことがない絶叫が聞こえた。

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「今日の四葉ちゃんどうしたんだ?」

朝食を取りながらいろいろ観察した上で三葉に聞いても、ぜんぜんわからないという。おばあさんは何か分かっているような感じだが、無言のまんまだ。お父さんはひたすら恐れおののいている。それもそのはず。

・髪がぼさぼさで、括っていない。
・共通語でみんなに敬語を使う。
・異様にきょろきょろしている。
・畳の上に胡坐をかいている。
・上はTシャツなのだが、つけるべきものをつけていないように見えた。

最後のは流石に三葉が俺もいるのを気にして対策を施したようだが、とにかくありとあらゆる面において普段のしっかりした四葉ちゃんからは想像がつかないような状況だ。俺には心当たりがあった。だから、その四葉ちゃんに小声で話しかけてみた。
「もしかして、自分と違う境遇に驚いてたりする?」
無言でコクコク頷いている。

「性別まで変わってしまっていたりするかな?」
さっきより大きくコクコクしている。

俺にも声を出したくない気持ちはよくわかる。普段自分が発するのと違う声がのどから聞こえ来るあの違和感。あれは経験したものでないと理解できないだろう。そして、自分が今会話をしている相手がいったい誰なのか、どう探っていけばよいのか、まだ朝の段階では自分でもわからないのだ。彼の挙動を見て、俺は遠い日の覆い隠されていた記憶を徐々に取り戻していた。

「ちょっとこっち来て。」
といって、俺と三葉がさっきまで寝ていた四葉ちゃんの部屋に連れ込んで、事情聴取に乗り出す。できる限りのひそひそ話で、
「もしかして今までは男子高校生だった?」
と問いただすと、
「は…い。」
と元気なく答える。そして思い当たる限りの質問を繰り返す。

「もしかして東京在住?」

「はい。」
何か俺の想像があまりに正解すぎて怖くなって、ちょっと天を仰いでから四葉ちゃんの机の上を見やってようやく合点がいった。四葉ちゃんの口噛み酒が置いてある。ご丁寧にも蓋は外れていて、コルク栓だけが刺さっている。
”飲んじゃったのか…。”

多分このロジックを説明できるのは俺だけのような気がする。果たして四葉ちゃんのほうは今いつの誰の中にいることやら。しかし俺にできるのはもうすでに同情と情報提供だけだ。

「君が置かれている状況は俺にはよくわかる。だから最大限協力してやる。」

するとその四葉ちゃんに入っている”彼”は涙目になって、
「何分よろしくお願いしますぅ。」
とすり寄ってきた。本体は四葉ちゃんなので、結構それが可愛かったりするのが怖い。

ひとまず今日一日を問題なくこなせるように必要な情報だけは授けた。

・宮水四葉という女子高生、それも3年生の受験前であること。
・父は市会議員、祖母は元巫女の一葉、姉は元巫女で俺の彼女の三葉ということ。
・いつもは図書館に行って勉強していること。
・ぼろを出さないためには図書館に行くとよいこと。
・この状況はめったに1日以上連続しないであろうこと。
・この現象は一過性であること。
・今はわからないけどこの現象には意味があること。
・トイレ、着替えなどとにかく五感を殺して実行すること。
・風呂はひとまずやめておくこと。

思いつく限り伝えて、居間に戻ったら、三葉が少しご機嫌斜めだった。自分の妹に嫉妬しているんだか、それとも自分のときはアドバイスしてくれた人がいなかったことを悔しく思っているのだかわからないけど、状況はある程度把握しているようだ。

本当は事情が分かっているなら三葉がなんとかすべきところなのに、なぜか俺が四葉ちゃんにツインテールの結び方を指導したり、お弁当を持たせて図書館に連れて行ってわざわざ家までの道のりを手書きの地図にして渡しておいたりと、普通では絶対に経験できないことを午前中にやっておいた。めちゃくちゃ疲れる。

それにしても、今入っている奴は四葉ちゃんと未来になんとかなっちゃうやつなのかもしれないと思うと、少しイジワルしておいたほうがいいかとか思ってしまうが、自分の経験上それをやったことで変に時空改変を生んでしまったりするかもしれないので遠慮しておくことにした。

そんなことを思いながら、図書館まであまり役に立つことなく俺”たち”についてきた三葉がやにわに痛いところを突いてくる。

「誰の真似なんか知らんけど、今朝四葉自分の胸揉んどったんやさ。」

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今朝からの四葉を見ていて、四葉もようやくこういった体験をする年頃になったんだと、姉の私は感慨無量だ。でも、中身が同性とはいえ瀧くんがあまりにもちやほやするのが気に入らない。さっきなんかは髪を結ってあげたりしていた。さすがに四葉がかわいそうなので着替えは四葉に目をつぶらせて、私が着せやすいものを適当に着替えさせた。髪については面倒なので本人任せにしていたのに、わざわざ瀧くんがそれを買って出たのだ。普通の目線であれば、姉のカレシが妹の髪を結ってあげるという言語道断な状況なのに、瀧くんはなぜか必死に慣れない手つきでなんとかやり遂げてしまった。相手が四葉だとはいえ他の女の子の髪にいとも簡単に触るというのは私にとって見ていてなにげにむかつくのだ。

四葉に参考書を持たせて学習室に押し込んで閲覧エリアに戻ってきた瀧くんに少しクレームをつけてみる。
「瀧くん今日はなんであんなに四葉に優しいん?」

少し困ってくれるかと思ったら、即答してきた。
「そりゃあ、経験者だからだよ。」

まあ、経験者と言えば経験者だ。けどあれをまるで職業体験のように言われると少し残念な気がする。あれは私たちにとってとっても貴重な体験だったし、今瀧くんとこうしていること、これからもずーっと一緒にいること、そういった大事なことの起点になった大事なひと時だったのだ。
「そうやけど、なんも髪の毛結ぶの瀧くんがやってあげんでもいいにん。」
私が一番抵抗を感じたポイントをつく。

「いや、三葉の髪型は俺が見たことなかったし見てもできなかったから、ちゃんと四葉ちゃんが困らないようにどんな髪型だったか教えてやらないと。」

そうだ、彗星前に私は髪型が変わっていた日があった。私が私であった日に、”今日は佐々木小次郎と違うんやね。”とか言われてずいぶん迷惑に思った。けど、あの髪型のほうがカッコいいとか言われ出して、男子や、下級生の女子から告白されていたのがすごく気に食わなかった。今となっては私にとって素敵な思い出なんだけど。

「わかりました。でももう四葉の髪の毛は触らんでええよ。私がやるから!」
ぴしゃりといっておいた。

「はい…。」
瀧くんは何かフェティッシュな部分を禁じられたようで、しゅんとしている。まあこれで変な嗜好に目覚められたらたまったもんではない。

「それはそうと今朝四葉が自分で胸触っとったのも瀧くんが指導したん?」
ちょっと意地悪くからかってみた。

「そそそ、それは俺は知らない。そもそも男子高校生だったら誰でもやることだよ!」

言うに事欠いて自分の正当化までしてきた。
「誰でもやらんわ、変態!」

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今日も図書館に来たのは四葉ちゃんを学習室に閉じ込めて衆目にさらされる機会を減らすというのと、少しでも環境に慣れさせておくというのがある。あの特殊な家の中に置いておいては、今後繰り返しこうなった時によろしくない。特に学校が始まったときに苦労することも多くなってしまうだろうという懸念からだ。なので高校への通学路を図書館への道すがら解説したりして、四葉ちゃんのスマフォを見ればわかるようにしておいた。

一方、今日俺が図書館にいる理由はもう2つあった。一つはご神体の起源について何か資料がないかということ。これは例の糸守関連の郷土史の資料を片っ端から見ていくしかない。もう一つは今晩の作戦について三葉と相談しておくことだ。さんざんこっぴどく叱られた後ではあったが、間を開けず早速三葉に持ち掛ける。

「今晩お父さんに話すのどうする?」

「うん、今のお父さんの感じやとそんな難航はせんと思うし、晩御飯のあとに切り出そうかと思っとるんよ。」

「そうか。」
ひとまず三葉と綿密に計画を練る。四葉ちゃんの大学がどうなるかについては、俺たちの話の進め方によっては影響があるので、その点は注意が必要なのだ。

大体の方針が決まったら、あとはご神体に関する郷土資料を探すだけだったが、残念ながら恐らく2400年前と思われる本当に起源については資料はなかった。ただ1つだけ閲覧エリアのインターネット端末で検索した結果、一つの論文が見つかった。

”岐阜県Z群糸守町における組紐信仰と龍神伝説に関する考察 : 溝口俊樹”

発表時期を見ると約30年前だ。三葉が少し興奮している。
「これお父さんやよ。溝口って旧姓やったから。」

中には宮水神社の祭神やその言い伝え、解釈などが書かれていて、信仰の起源の仮説が打ち立てられていた。その結論は、糸守湖が隕石湖であることからその惨禍に端を発し、彗星への信仰が日本古来の龍神伝説と糸守固有の組紐信仰に結び付き、今の特殊な形に形成されていったのではないかというものだった。見事だと思った。俺はふとお父さんがあのご神体の壁画を見たことがあるのか聞いておく必要があると思った。

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論文を見て、あらためてお父さんの糸守への愛情の深さを認識できた。あれほど宮水神社が嫌いになっていたのは、間違いなく何かに操られていたのだと思った。そして今は糸守地区の復興に力を注いでいる。まるで両極端の変わりように、私は少し笑ってしまった。

そこにマナーモードのスマフォが鳴った。サヤちんからLINEだ。
”今日ショッピングモールいかない?”

サヤちんとテッシー(今は二人ともテッシーだけど)は昨日からこっちに来ているみたいだ。テッシーの実家は今高山にあるので、このお盆はそっちに何泊かしてからサヤちんの実家に2泊することにしたのだそうだ。こっちで会えたら会おうと言っていたので、そのお誘いということになる。一応
「瀧くん午後何かやりたいことあるの?」
と聞いて、瀧くんは二つ返事だったが、一応四葉も連れて行っていいかだけ確かめておくことにしよう。

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四葉を加えた私たちがテッシーの車に同乗してやってきたのは2年ぐらい前にできたショッピングモールだ。お盆の午後ということでそれほど混んではいない。客足があまりに少ないとそのうち廃墟マニアが喜ぶような建造物になってしまうかも知れないので、その点は不安だ。少なくとも帰省した時ぐらいはその維持のために貢献しておかなければいけない。ひとまずカフェでお茶でもということになり、それなりに店内に人がいたので、2つのテーブルに分かれて座った。

「あれは絶っ対、狐憑きやぜ。」

2つ向こうのテーブルに瀧くんと座っている四葉を見ながらテッシーがなんとなく懐かしいことを言う。確かに安全性(?)を重視したキュロットスカート姿で低い椅子にがに股気味に腰かけて、少し不機嫌そうにスマフォに何か打ち込んでいる四葉は、一目見てわかるほど四葉らしくない。テッシーとサヤちんに会った時の挨拶も、「んちわっす。」って感じで首をすぼめただけだったし、車の中でも終始無言で外の景色を物珍しそうに見ていた。瀧くんが気を遣って”ここが市の中心みたいだよ”とか”ここから高校が見えるよ”とかいろいろ教えていたのも奇妙に映ったのだろう。無理もない。

「そういえば彗星の前に三葉もあんな感じになったことあったね。」
サヤちんが季節限定のバナナ&スコッチタルトを口に運びながら懐かしそうにしている。
私は
「あはは〜、そんなことあったかなぁ?」
ととぼけておく。

「大変やったにん。三葉スカートで足組むし、下着ちゃんとしとらんかった日もあったし、男子が騒いでしょうがなかったんやよ。」

私は2つ向こうのテーブルにいる真犯人をにらむ。少し目が合って、瀧くんが目をそらした。危機察知能力はあるんだけど、危機管理能力がイマイチなっとらんわ。あのヒト。

「のこぎり引くときもスカートでやり出したから、慌てて止めたんやよ。」

私の記憶にない。
「のこぎり?何それ。」

テッシーが”忘れるわけがない”と言わんばかりに
「糸守初のカフェ建設やさ。彗星でぶっ飛んで幻のカフェになってまったけどな。」

「そうそう、四葉ちゃんにジャージ持ってきてもらったにん。そん後、”スカジャーが嫌いだった”とか変なこといっとったけど。」

ポンポン思い出話が飛び出てくる。当の私がイマイチピンと来ていないのに、一向にお構いなしだ。

「三葉はだんだんノコ引くのもうまくなってったで、相当スジが良かったもんな。あんときは面白かったなぁ。」
なんだかおじいちゃんが若かったころを懐かしんでいるような様子で、空中を仰ぐ。元々老け顔ではあったけど、テッシーは結婚してからますます老け顔になってきた。社長のお父さんと今やそっくりだ。

「ぶっ壊れてまった糸守にまたいつかカフェでも作ってみたいもんや。スクラップ・アンド・ビルドや。」

テッシーのお父さんは糸守復興事業だけではなく、元糸守町民向けの復興住宅のリフォーム利用にも入札を勝ち取り、着々と復興の中心的立場を築いてきた。その流れからいけばテッシーはそのあとを継ぐ立場なのだけど、どうも本人にはそのつもりがあるのかどうかわからないでいる。

そんなふうに感慨深げでコーヒーを飲み終わったテッシーが、今度はしかめっ面でサヤちんをたしなめている。
「それはそうと、お前そんなケーキ食っとったら、またリバウンドしてまうぞ。」

一瞥もせずに
「明日から本気出すっちゅーとるに。」
と返す。

「あんたたち仲ええなぁ。」

二人そろって、
「良くないわっ!」
とシンクロする。
私も含め、まるでトリオ漫才の定番ネタのようだ。

その後はしばらくショッピングモールで適当にウィンドウショッピングしながらサヤちんと近況を報告しあった。テッシーと瀧くんは四葉を連れて私たちとは別行動で、男3人(?)で本屋さんだとかスポーツ用品店とかいろいろ私たちとは嗜好の違うルートを回っている。

サヤちんの話ではテッシーのうちでは一族そろって”孫はまだか”の応酬でサヤちんも気疲れが絶えなかったそうだ。うちはそんな気苦労もなさそうだなと近未来を想像して瀧くんの方を見る。

「あんた今回お父さんに瀧くん合わせたんやろ?どんな感じなん?」

「う〜ん、悪い感じやないんやけど、一昨日はお父さんがちょっと変になって、まだ具体的な話は出来とらんのよ。やから、今晩話してみることにしとんの。」

「お父さんまで?あんたのうちは次から次へといろんな変なことが起こるなぁ。」

「はぁ〜っ。」
私は深いため息をつく。

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 第八章 了

 

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