君の名は。アフター小説- 帰省(第九章)

盛りだくさんの帰省。お父さんにも新たな決意が。

第九章 − 決意 −

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奥飛騨のこんな片田舎でもショッピングモールというものができれば食材流通の事情は都市部とあまり変わらなくなるものだ。今晩は最終日なのでお礼の意味も込め瀧くんと私が晩御飯を作るということで、食材を一そろい用意した。

今日の晩御飯の主旨はどちらかというと、お年寄りに機嫌よく食べてもらい、その勢いでこちらの思うとおりに落ち着くところまでもっていきたいということで、洋風でありながらも野菜中心のメニュー。そして持ち込んだワインに合うチョイスにした。瀧くんといろいろメニューを考えながら食材を集めて回るのは、今まで以上に楽しかった。自分たちが食べておいしいよりも、お父さん、おばあちゃんにおいしいと言わせるのは想像力が必要だし、何かわくわく感のようなものも感じられた。

まず、アペタイザはルッコラを利かせた青野菜にトマト、小エビのサラダ。シザ―ドレッシングは瀧くんのお手製だ。私は野菜を切って、盛り付ける係。鯛のお刺身を使ったカルパッチョもふつうはアペタイザーだけど、今回は野菜メインということで少し豪華にタイを使ってみた。これはお刺身ぐらいしかないので、やっぱり私が担当。メインはナスとタコのトマトソースリングイネだ。これは瀧くんが腕によりをかけてトマトソースをしっかりと作ってくれた。

さて、家族全員で食卓を囲む。ただ1点、四葉だけが普段と違って”なぜ自分はここにいる?”という顔をしている。ホントだったらいつもは食べられない料理に狂喜乱舞するであろう四葉にとって、今日こんなことが起こってしまうのは不幸中の不幸だろう。

一応東京との往復生活とかでそれなりに舌が肥えてしまっているお父さんには好評だ。普段よりワインを開けるスピードが速い。今日ワインを1本買い足しておいてよかった。あと普段は和食が99%以上を占めるおばあちゃんもタコを瀧くんが細かく切っておいたおかげでうまいといってくれて食べてくれた。

当の四葉は、少しぶ然としながらも瀧くんに”うまいか”と聞かれ、無言で頷いていたので、それなりに満足はしてくれていたんだろう。そして、不意に四葉がワインの入ったコップを手にしてヒトのみしてしまった。宮水家にはワイングラスなんてないので、コップにワインを入れていたので、ウーロン茶を入れていた四葉のコップと間違えたのだ。

「ちょ、ちょっと、四葉それ私のやよっ!」
私が気づいたときには遅く、もうコップの半分は飲み切ってしまっていた。すると四葉の表情が鈍くなり、一瞬気を失ったように頭をゆっくり前後に振った。

”酔いが回るにしては早すぎない?”と思ったので、
「四葉、大丈夫?」
といって食卓に突っ伏したりしないようにあわてて肩を支えた。

四葉は、はっと我に返った様子で、
「あっ、お姉ちゃん。あれ?バイトは?」

「何わけわからんことゆぅーとるん。あんた今ワイン飲んでまって…。あっ。」
口噛み酒が普通のアルコールで中和された?理屈は完全にはあっていないけど、そんなことを思った。なので、思い当たることを聞いてみた。
「今までどこにおったん?」

ちょっと首をかしげつつ、
「東京…だと思う。」
と、予想していた答え。そして自分の置かれている状況を見まわして理解した後、もうすでに空いたお皿を指さし、
「あれぇ、今日こんなごちそうやったん?これ何ぃ?」
と問い詰めてくる。

「鯛のカルパッチョだよ。」
とちょっとほっとした顔の瀧くんが答える。

四葉はちょっと涙目になりつつ、今度は少しだけ残ったお皿の方。
「そんで、こっちはぁ?」

「ナスとタコのリングイネ。」
今度は私が少し落ち着いて説明を加えながら答える。

「リングイネって何ぃ?私そんなん食べたことないに!」
復帰早々、完全に逆上している。

「あんた、さっきまでバクバク食べとったに。」
と一応背景をわかっていながらも突っ込んでおく。

四葉が私の方を恨めしそうに見て一言。
「呪うわ。」

どっかで聞いたことある言葉だ。

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四葉はその後、
「もう、これ残り全部私の分やさ!」
と言って、お皿を抱え込み、一気に平らげてしまった。

お父さんは突然の四葉の変わりようにびっくりした面持ちだったが、おばあちゃんは”またか。”という表情だった。当の四葉は不用意に口にしたお酒も少し回っていたのかも知れない。その日あったことは全然話してくれなかったけど、元の四葉に戻ってくれて私は内心ほっとしていた。

最後にデザートということでハーゲンのアイスをみんなで食べ、なんとか四葉のご機嫌は回復できたように思う。適当に糸守の思い出話なんかをしてひと時を過ごす。さて、ここからが私たちにとっての本番だ。

「あの、お父さん。ちょっと話があるんやけど。」
テレビのニュースではお盆の帰省ラッシュのことをやっている。それになんとなく目を向けていたお父さんは、その姿勢のまんま応答する。
「なんだ?」

「私と瀧くんのことなんやけど。」

初めてここで振り向いてくれた。私は続ける。
「今回糸守に帰ってきて、瀧くんが昔糸守に来た時や、そのあたりに私たちと関係があったことがわかったんよ。お父さんも知ってたラーメン屋のおじさんが言ってた絵がこれ。」

持ち帰ってきた数枚の絵をお父さんに見せる。お父さんの目は大きく見開き、その絵の見事さに驚嘆している様子で瀧くんに問いかける。
「これを君が書いたのか?」

「そうです。」
目をまっすぐにお父さんに向けたまま瀧くんが答える。

「何か写真を見たのか?」
何か怖いものを見るような目で、質問を続ける。

「いえ、これは私の記憶にあった風景をどうしても形にしておきたくって書いたものです。そして、それを頼りに糸守に来たんです。記憶を失って、この絵をどこにやってしまったのかわかりませんでしたが、今回ご神体の中で見つけることができました。」

「なぜ彗星前の姿を?」

「それはわかりません。ただ、三葉さんが今日の四葉ちゃんのような状況になったことがあったと聞いていますので、その時の記憶は私のものなのかもしれません。」
一般論からいえばとりとめがなく奇想天外な説明だが、お父さん以外はそれが何を意味するかわかっている。そして、お父さんもそれを信じることができるだけの体験をしているに違いないと私は確信していた。

「だとしたら、君と三葉はなぜ今まで赤の他人だったんだ?」

「それもわかりません。誰か私たちの記憶をわざと覆い隠していたようにしか思えないんです。」

思わず私は口をはさんでしまう。
「だから、私たち今までは誰かにお互い会うことを制限されていたように思うんよ。でもきっとそれは私たちのことを思っての事なんだと思うの。」

「それは誰なんだ?」

「多分、お父さんが一番よく知っている人。」

「何のために?」

そこにおばあちゃんが、なぜか急に口を挟んできた。
「男と女はぁ、若いうちはこらえ性がないでぇひょんなことでダメになるんやさ。じゃからこん二人はもう大丈夫やろうって、あの子が見極めたゆうことやさ。」

これには私たちが気づかないでいた、あの人の思いやりの部分を一言で表してくれたと思った。私たちの辛かったあの思いは決して無駄ではなかった。だからこんな時間がかかっても合うことができた。そして私たちはもう一生離れない。
涙があふれた。瀧くんと顔を見合わせたら、その目にも光るものがあった。

お父さんは、私たち二人の顔を交互に見て全てわかったように言う。

「…お前たちの好きにすればいい。誰もそれを止めることはできないということだ。」

そして思い出したように付け加えた。
「そうだ。一つだけわがままを言わせてくれ。披露宴は東京でもいいから、式だけはお義母さんの仕切りでやらせてもらえないか。俺たちがそうしたように。」

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「お姉ちゃん、はよ起きない!」

朝ご飯の用意ができたので、私の部屋で一人で寝ているお姉ちゃんを起こした。昨夜の晩御飯は瀧さんとお姉ちゃんが作ったので、今朝は私が朝ごはんの担当だ。まあある意味お姉ちゃんもゲストではあるので、当番制の割り当てを決めているわけではないけど、自然な流れで私が用意している。

昨日はひどい目にあった。
朝から知らない人のベッドで目覚め、アラームを解除しようとしてベッドから落ちたし、私の知らないバイトが入っていて、いきなり呼び出されたと思ったら遅刻したということで中国人のシェフさんにしこたま怒られて、何が何だかわからないまんま中華料理屋さんのウェイターの仕事をやらされた。お店がひと段落してお店の裏で見た目からは想像できないほど美味しいまかないを食べているときに、急に家族全員の前に引き戻されたのだ。

そんな経験をしたことを、昨夜は一緒の部屋で寝たお姉ちゃんに布団に入ってから打ち明けておいた。お姉ちゃんは、
「四葉もそんな歳になったんやね〜。」
と感慨深げだった。あんまり多くは語ってくれないが、お姉ちゃんも似たような経験をしていたらしい。多分彗星の前のお姉ちゃんが少しおかしくなったときがそれにあたるんだと思う。なので、これは宮水の奇妙キテレツな血のなせる業なのかもしれないなと勝手に想像する。

私も初めはあんな奇妙な現象は単に私の”夢”の中で起きたことなんだと思っていた。けど、何かの拍子で元に帰ってきたら、当の私はしっかりと起きていたのであれは夢だったのか何だったのか、はっきり言って断言できない。ホントにあの現象は何のためのものだったのか全然わからなかったし、何か私の将来に影響があるのかどうか、とても気になるところだ。

でも、他の人の一日をハチャメチャながらもなんとか切り抜けるところまで経験できたことは、受験一色だった私の生活の中ではかえって新鮮な感じがしたのだ。これから私を待っている東京での生活に私を変えてくれる何かがあるような、そんな期待をしてしまう。

ちなみに今朝スマフォを見てみたら、日記アプリに長々メモとクレームめいた文言が並んでいた。

”田舎”
”なんで女?”
”今時ツインテールって。”
”お姉さんがかわいい”
”こまごまと世話を焼いてくれる義兄?が実はうざい。”
”ショッピングモールのくせに品ぞろえが少ない。”
”姉ちゃんの友達訛りすぎ。何言ってるかわからない。”

とかいろいろだ。私はハチャメチャながら東京生活を楽しめたので、クレームはあんまりなかったんだけど、次はいっぱしにクレームぐらいはつけられるようになっておこうと思う。

それはそうとあんまり人には言いたくないことだけど、前回小学生の時とは違って今回は性別さえもが違う人になってしまったので、その点についてもめったにでない経験だったと思う。私もそのせいでいろいろ恥ずかしい思いもしたし、逆に興味がそそられることもあった。昨日の今日で今になって少し記憶が薄れ始めているけどそれも十分楽しかった。それと彗星前のいろいろなことを思い出したら、もしかしたらお姉ちゃんもそんな経験をしたのかも知れないと思えるようになった。今まで私がたびたび感じてきた二人の変な感じは、お姉ちゃんにとってのそれが瀧さんだったということを表しているのかと今になって思う。
なので、一応朝ご飯を食べながら、確かめておいた。
「お姉ちゃんの場合は瀧さんのところにいっとったん?」

「どうやろうね〜。」
お姉ちゃんはなぜかにこやかだった。隣の瀧さんと目配せしながら思い出に浸っている感じにも見えた。ちょっと癪に障る。

「トイレん時どうしとったんやさ?」
私は自分の経験上核心に触れる質問をしてみた。

「知らん。」
一気に顔がこわばった。

「いや、手に持たなあかんに。」
ちょっと私も自分で言っていて恥ずかしいけれど、どうしても聞いておきたかった。

「あ、あほやな、四葉ぁ。座ってやればええんよ。そんなんちょっと考えたらわかるに。」

「じゃあ、お姉ちゃんは最初から座って対処したん?」

「あ、あ、あたりまえやさ!」
さすがに瀧さんの横でこの話題に触れるのはよほど嫌だったようで、動揺が半端ない。恐らくこのヒトも相当悩んだクチだ。あれは宮水のオンナたちは避けて通れない登竜門なんだろうと思う。そして、それを楽しめるかどうかは私が決めることなんだろう。

それに、なんせ私はあの現象を呼び起こすためのトリガーを知っている。あの体験をしたくなったら、私は机の中に隠し持っているあの瓶子を開けて一口飲めばいいわけだ。逆に再発してほしくなければ飲まなければいいということになる。ただ、自分の都合であの体験ができるのもいいけど、私が私の体に留守している間に起きたいろいろな現象について、昨夜お姉ちゃんに聞いた限りではお姉ちゃんと瀧さんに相当な苦労をかけてしまっていたみたいだ。でも二人は経験者ということもあってあんまり動揺することもなく、冷静に対処してくれたようで、その点は感謝している。私の躰を好き放題されてしまう危険もあるわけだから、次はできれば東京に行ってからあの二人の監視下で実行すべきかもと思う。なので東京に出るまでしばらくは封印しておくことにしようと思う。

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それはそうと、昨夜のお姉ちゃんと瀧さんのお父さん攻略は思ったよりスムーズに進んだので拍子抜けだった。それはすべておばあちゃんの一言で言い表されていたような気がする。でもそれを理解したお父さんも、何か特別なことを感じた上で、無条件にお姉ちゃんと瀧さんのことを承諾したんだと思う。お父さんが許してくれて涙ぐみつつも本当に幸せそうに笑うお姉ちゃんは、世界中の誰にでも祝福されるべきなんだとさえ思った。

あの後、私たちの計画通り私の東京での生活についての話になった。結局のところ受験はOKとなったけど、お父さんはそれは合格してから決める。と言っていた。ただ合格してしまえば学校の推薦なのだから、必ず入学しないといけない。お父さんはそこらへん知らないようだし、そういった好機を活かして、私は是が非でも合格して東京生活を勝ち取る必要があるということだ。

こうなったら例えなし崩し的であっても、私がなりたいように自分の人生を切り開いていけそうな、そんな予感がしてきた。なのでお姉ちゃんの結婚の時期は少なくとも私の受験の時期より後にしてくれれば、あとはどうでもよくなってきた。

さっきから荷物の整理をしながらお姉ちゃんと瀧さんが糸守のデッサン画とか地図とかを見て、いろいろ小声で話しては、微笑みながらちょっと赤くなったり、キャッキャウフフ的な状態だ。でもそれは最近気づいたけど、私にとってもとっても今までになかったような幸せを感じられることなのだ。

やっぱりお姉ちゃんが、”心からの笑顔”でいてほしいと思うから。

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駅まで立花君と三葉を送っていくことになった。彼らの荷物はは来た時とは打って変わって軽くなっていたこともあり、拍子抜けするほど簡単に出発の準備が整った。車には四葉も同乗して今は古川駅まで送る途上、開け放した窓からの乾いた風が心地よい。

全く意図していなかったことだが、三葉の帰省してきたこの数日間で私はあたらめて自分の人生の大部分を振り返ることができた。二葉が私の知らなかった間にもすぐそばにいてくれたことにようやく気づけたことや、三葉はなるべくして立花君と結ばれるべきだということ。そして四葉が東京に行きたがっていて、それがほぼ確実であるということ。二葉のよく言っていた言葉。

”この世のすべてはあるべきところにおさまる。”

それを実感したのだ。

これでむしろ私のやるべきことがはっきりした。糸守地区を復興させるだけでは足りないことが分かったのだ。そこに人を住まわせ、巡り来る災厄からの鎮守として機能を果たすべく宮水神社を遷宮させなければいけない。そしてその中心にはまずは私が据えられるべきなのだ。そこで神職として洗練されていけば、私であっても義母のように二葉が思っていることを理解できるようになるはずなのだ。それには義母に頭を下げて再び神職となるべく教えを乞う必要がある。お義母さんが元気のあるうちに、様々な作法、しきたりを体に染みつかせなければいけないのだ。これからの道のりの長さゆえ、60歳を超えた自分自身の躰に今一度鞭を入れる必要がある。

また、それから先の将来を考えるにあたって、三葉あるいは四葉をまだどうなるかわからない糸守地区に縛ることはできないだろう。必要になったときにどうするかを考えれば良い。なんせ二人は正当な宮水の女なのだから、時が来ればおのずと”おさまるべきところにおさまる”のだ。そう私は確信している。

駅でいつものディーゼル特急が到着するまで少し時間があった。

「立花君、三葉をよろしく頼む。君には三葉の笑顔を取り戻してもらったような気がしている。今あいつは心から笑えることができるようになった。感謝するよ。」 私の本当に気持ちを打ち明けた。

「こちらこそ、今回はお世話になりました。高校やご神体にも連れてっていただいて、私の長く疑問に思っていたことの多くがこれでわかるようになりました。ほんとにありがとうございます。」
彼が今回のことで何についてわかったのか私には細かく知る由もない。しかし三葉は全て知っているのだろう。

「ホンマお父さん、今回はありがとう。私もこんな楽しいの久しぶりやったわ。次はお正月来るからね。」
三葉らしくない無邪気な笑顔が印象的だ。私が永く焦がれてきた理想的な親子関係に今ようやくなれたような気がして、少し照れくさい感じもする。

レールがかすかにふるえる音に続いてディーセル音が聞こえ、やがてホームに滑り込んできた。私は子供たちと話をしながら、なぜか少し離れたこ線橋の上に注意を集めていた。そこに黄色い腹をこちらに見せセキレイがとまって、我々の方を見て時折さえずっている。ディーゼルの音やにおいにも彼女は臆することなく、三葉と立花君との別れを惜しむかのように二人を見つめている。

ドアの閉まる瞬間がやってきた。
「じゃあ、お父さんも四葉も元気でね。あっ。」

羽音が聞こえた。
いつの間にか彼女は私の肩にとまり、三葉と立花君を見送っている。三葉も四葉もそれに気づき、四葉が声を上げる。
「あれぇ?そのセキレイこの前お墓におった子や。」

三葉たちを乗せたディーゼルの音が徐々に遠くなり、山並みを背景にレールの曲がりに沿って再後端の車両が視界から消えるまで、私と四葉そして彼女はただそれを見送った。

列車が消えてしばらくしたろうか。彼女は飛び立つことなく私の耳元で小さくさえずり、幾度となく私の耳たぶをやんわりと噛んだ。
”そういえば、君はよく私とこうしていたな。”
遠い昔を思い出す。

こそこそという音が鼓膜をくすぐった。彼女が言葉にできないなにかを私に伝えようとしているのだと思った。

===

 完

 

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