君の名は。アフター小説- 私の恋(第一章)

瀧in三葉に橋のところで手紙を渡した女の子の物語です。名前は勝手に雰囲気や地方の特徴やとある範囲で名付けました。

第一章 − 回想 −

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「それにしても、瑞穂。あんた全然オトコっ気ないよね〜。」

お昼のお弁当を会社の会議室で食べていたら、その日の合コンの話になった。興味がないので断ったら、私の色気のない生活に対し、先輩からそんなクレームが付てしまった。

「あはは、イマイチ私男のヒトの魅力って感じにくいっていうか。」

できるだけ遠回しに否定してみたのだが、
「やっぱり瑞穂ってそっち系のヒトなの?」
とやっぱり来た。

「いえっ、決してそんなことはないんですけど。」
といいながら、私はそっち系でないと否定できない事情がある。そう、三葉さんのことだ。

今でこそ新宿のオフィスビルでOLをやっていたりするが、私はバリバリの田舎生まれ田舎育ちで、中学までは20階建て以上のビルを見たことがなかった。なのに今のオフィスは45階にあったりするので、未だに地に足がついていないような気分で仕事をしている。

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そのバリバリの田舎というのが岐阜県奥飛騨にあった糸守という町だ。生活では全くレジャーとエンターテインメントからことごとく縁遠く、放っとくと高校の文化祭が唯一のレジャーになってしまうような町だった。でも子供の頃の私にとってひとつだけ例外があった。糸守町の土地神様の宮水神社の秋祭りがそれだ。その祭りの時期、湖のまわりをぐるりと取り囲んだ糸守町全体があでやかな灯篭で彩られ、神社の参道や境内にはいろいろな屋台が出て、様々な神事が執り行われるのだ。

私が物心ついたころだから、あれは3歳ぐらいだったはずだ。宮水神社のお祭りというのはいろいろな行事を含んだ全体のことを言うのだけど、その一番初めにあたる豊穣祭の神事に奉納舞というのがあった。その年の神様へのお供えものを準備する意味があるのだそうだけど、神楽殿で巫女さんが舞を踊るのだ。まだ幼かった私は、その巫女さんの妖艶かつ壮麗な舞に一発で参ってしまったのだ。

暗闇の中、篝火に浮かび上がっているかのような神楽殿の舞台で、軽妙なお神楽の音色に合わせ鈴を操りながら無駄のない、まるで宙をすべるかのような舞。長い髪の額に乗った竜をかたどった髪飾りが、動きに合わせて篝火の光を跳ね返し、キラ、キラと光っていた。それにあの時見た舞は、その巫女さんのまわりに何か見えない光の層がまとわりついていたように見えたのだ。まるで巫女さんの動きを追いかけるように光がその後をついていくようで、まるで夢を見ているようでただ美しかった。

そのあとになって、うちのおじいちゃんの話であの巫女さんは宮水神社の二葉さんという人だということが分かった。おじいちゃんはその二葉さんに何度かお告げのようなものをもらい、いろいろ助けてもらったことがあったそうで、とにかく何かというと二葉さんの話をするのが好きな人だった。

おじいちゃんは何かにつけ、
「(あの人は)とにかく光ってござるのよ。」
というのが口癖だった。
お父さん、お母さんが棚田に出て作業をしている間、訛りがきつすぎてそれ以外は半分ぐらいしかわからなかったけど、おじいちゃんと話をする機会が多かった私は自然と二葉さんのファンになっていったのだ。

それ以来、何かにつけ神事や寄り合いが神社であるごとにおじいちゃんに連れられて宮水神社に足を運んだ。神事では巫女姿の二葉さんを見ることができたし、社務所での寄り合いでは普段の二葉さんをうかがい見ることができた。私が幼稚園に上がったころには二葉さんには旦那さんがおり、その人が神主さんだということ。娘さんが一人いて、三葉さんという私より1つ上だということが分かった。次の年から私の通うことになった糸守幼稚園は小学校に併設されていて、年中も年長も同じ教室なので、入園式の後三葉さんをお迎えに来た二葉さんに
「瑞穂ちゃんも幼稚園になったんやね、三葉と仲良くしてあげてね。」
と言われ、頭をなでられたのが今でも忘れられない。まだ幼かったのに、その行為がまるで万病を治癒させてしまうほどの威力に感じられたのだ。私はその力にすっかり当てられてしまったのか、その時はせっかくなのに二葉さんの顔さえも見れなかった。

それなのに実際の私はというと、雲の上の存在であった二葉さんの娘さんということで、同じ幼稚園児なのにもかかわらず私はほとんど三葉さんと話すこともできずにいた。なので”仲良くしてね”と言われたことを満足に果たせていなかったことが、私にとって心あたりでもあった。なのでなおさら二葉さんと顔を合わせるたびに下を向いて緊張しまう私なのだった。

その年の参観日に二葉さんが見に来ていたときもとっても緊張した。今考えてみると参観日に、自分のお母さんよりも人のお母さんに対して緊張するっていうのも変だなとは思う。けれど、当時の私から考えればそれはごく自然なことだった。

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小学校に上がってからも、毎年9月の初め頃の二葉さんの神楽舞を年に一度のエンターテインメントとして楽しみに待つ、というのが私のライフスタイルだった。小学校に上がると三葉さんはもうお姉さんっぽくなっていて、三葉さんが新入生のお世話をいろいろやってくれたこともあって、私も三葉さんと話す機会が増えてきた。なので当時の私は徐々に二葉さんだけでなく三葉さんへのあこがれも抱くようになっていった。その時三葉さんが言ってくれた言葉は今でもよく覚えている。
「瑞穂ちゃんの”みずほ”って”みつは”と少し似とるね。」

子供同士の他愛もない会話だったが、私はこれで三葉さんにもイチコロで参ってしまったのだ。

三葉さんが新入生のお世話をいろいろしてくれていた背景には、二葉さんが妊娠してお姉さんになると言われたからだというのを私はお母さんから聞いた。ほどなくして四葉ちゃんが生まれ、おじいちゃんと一緒に行った社務所での寄り合いで、四葉ちゃんのお披露目みたいになったときに、二葉さんの腕に抱かれている四葉ちゃんを見て、 ”私も二葉さんの子供になれたらよかったのに”
と、そんな事をふと思った。今思い起こすと、つくづく私のお母さんには申し訳なかったなと思う。

変化はその年の神楽舞からだ、例年神々しさを増していた二葉さんの神楽舞が、なぜだか生気のないものに変わってしまっていた。舞い損じとかは一切ないのだが、いつもは感じられるあの光が心なしか弱弱しいのだ。しばらくして二葉さんは入院したと聞いた。そしてあろうことか1年もたたないうち二葉さんは亡くなってしまったのだ。

二葉さんが亡くなったと聞いた私は、なぜかすぐに神社に走った。そこにはうつむきながらひたすら箒で落ち葉をかき集めている三葉ちゃんとせっせと小石を集めている四葉ちゃんの姿があった。無意識に私は”声をかけてはいけない。”と思った。お母さんが亡くなったというのに、その幼い子供たちがいつもと変わらず神社の境内を清めるという、むごたらしいまでに神聖な光景を、私のような者が汚してはいけないと感じたのだ。

何日か経って、田んぼの真ん中の農道を二葉さんの葬列がゆっくり進んでいくのを遠くから眺めていた。町全体にあれほど影響力のあった人ではあったけど、それがかえってほかの人たちからすると恐れ多いということで葬列はそんなに長くはなかった。人は亡くなるとこれほどまでにあっけないものなんだと、その時に感じた。同時に二葉さんとの思い出が、めくるめく私の脳裏に浮かんだ。それまで人の死について深く考えたことはなかったので、そのとき私は初めて人が亡くなったことで涙を流した。

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その年の神楽舞はなんと三葉さんが舞を踊っていた。普段はきれいに結わえてある髪を下して、唇には濃いめの口紅を引いているものの、二葉さんのような風格や荘厳さとは違っていた。それでも単に子供が学芸会などで踊っているそれとは全く次元の違う、思わず言葉を失って見入ってしまうほどのものだった。
ただ、私はまだそのころ二葉さんの舞に魅了されていたころの余韻が残っていて、そのときは逆に三葉さんから二葉さんがいなくなったことを念押しされているように感じた。そしてその年は三葉さんの初めての舞ということで見物客は心なしか多かったように思う。なので、私は三葉さんの舞に感嘆する大人たちの陰に隠れながら、複雑な思いで三葉さんを見ていたのを記憶している。

程なくして三葉さんは小学校を卒業した。二葉さんを失い、三葉さんも卒業してしまったので、その1年間、私はぽっかりと胸に空洞が開いたかのような、そんな空虚を感じながら”宮水ロス”な日々過ごした。その1年の間はお祭りの神楽舞で三葉さんの舞をただぼんやりと眺めていたのだけが唯一の三葉さんの記憶だった。

1年後、中学の入学式の後、なんと三葉さんが私に声をかけてくれた。
「あ、瑞穂ちゃん入学おめでとう。制服似合っとるね。かわいいねぇ。」

意外だった。私の中の三葉さんの最後の思い出は、お母さんが亡くなった直後のあの姿そのものでしかなかったので、急に明るく声をかけてくれた三葉さんに、しかもかわいいと言われ、舞い上がってしまったのだ。それに私はまた少し髪が伸びてきた三葉さんに二葉さんの面影を見つけて、色めき立ってしまっていた。
要は三葉さんの変化から”少女が大人になっていく”ということを初めて実感したのだ。

入学式では気軽に声をかけてくれた三葉さんだったが、それ以降はあまり接点がなかった。三葉さんは神社のお役目があるため部活にも入っていなかったし、いつも三葉さんの周りには勅使河原さんと名取さんがいたからだ。三葉さんを含めたこの3人の糸守密着ぶりは相当なものだ。三葉さんはもとより宮水神社の巫女、果てには宮司になるようなお方。それに二葉さんが亡くなった後に宮水家を出ていったお父さんは、町会議員を経てその年には町長になっていた。勅使河原さんは町で唯一の建設会社の御曹司、名取さんはお母さんもお姉さんも町役場勤めで、広報のアナウンス係。ご本人も着々とその階段を上がっていて、中学の放送委員で常に放送で声を聴くような人だ。この3人が登下校いつも一緒に歩いている光景は、私にとって”糸守で中核的立場の血統でなければ、三葉さんには近づけない”と言われているようなものだ。

私はうちの家系の平凡さを恨んだ。うちは代々狭い棚田と畑を持ち、長年百姓を生業にしてきた家系だ。あとは内職でおばあちゃんとお母さんが組紐を作っているぐらい。ひと月に一回ぐらい出来上がった組紐を宮水神社にもっていって、宮司のおばあさんにお祓いをしてもらってから市街や道の駅やなんかの物産コーナーに置いて売っている。ごくごく平凡な糸守の農家なのだ。

あと、話題を色恋沙汰に切り替えたとしても、三葉さんには一切その気配がなかった。私が見る限り勅使河原さんは三葉さんに一方通行のようだが、かわいそうなことに三葉さんは全然勅使河原さんのことは眼中にない。気づいているのか、無視しているのかわからないけど、勅使河原さんは確実に安全パイだと思っていた。

そのわりに中学で私の見てきた2年間、三葉さんはみるみる綺麗になっていったのだ。特に三葉さんは早くにお母さんをなくしたり、お父さんと別居していたりそういった家族の事情もあったのか、学校ではめったに笑わなかった。私が中学になって初めて意識して感じた横文字の言葉、”クールビューティー”というのは三葉さんのためにあるんだと確信した。そしてその隠れた笑顔を私の前だけでも見せてほしい。そんな妄想をするようになっていた私は、この時期、
”あこがれ”が”恋”に変わっていくのを実感していたように思う。

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狭い町なのに、小学校と中学、高校がそれぞれ湖の外周に沿ってほぼ等分布しているのを私は本当に腹立たしく思っていた。小学校から中学への1年と同じく、中学3年の私は完全に”三葉ロス”で狂いそうになっていた。

”私の目が届かない間に、三葉さんが誰かと付き合ってしまったりしたらどうしよう。”
それだけが日々ひたすら私が恐れていたことだった。わざわざ高校生が返ってくる時間まで通学路のわきの自販機のあるバス停で待ち伏せしたりしたこともあった。その年の神楽舞の時は買ってもらったばっかりのスマフォで神楽舞の一部始終を動画に収めることができた。

最後の口噛み酒のところまでをかなり神楽殿の近いところまで寄って撮影していたのだが、ちょっとこっちを見て怖い顔をしていたのが気になるが、その動画を毎日寝る前に一通り見てから眠りにつくのが私の日課になっていた。

あと、その1年はあまりに三葉さんがいないことが寂しいので、自分が三葉さんみたいになろうと思って髪の毛を伸ばしてみたりした。そしてお母さんの組んだ組紐を使って三葉さんみたいに結わえて学校に行ってみたが、もう冬だったので襟首は寒いし、友達も”似合わん”と言って不評だった。あんなに時間と手間をかけて毎日三葉さんは髪を結っているのかと感心したが、結局1週間ぐらい続けたところで風邪をひいてしまい、お母さんに禁止されてしまったのを覚えている。

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春。私も晴れて高校生になった。高校になると他の中学からの出身者もいるので、三葉さんを毎日見かけることはできたが、三葉さんに声をかけてもらうとかの嬉しいイベントは起きなかった。中学の時は三葉さんに制服を褒めてもらってどれだけうれしかったことか。なので、少しオシャレをして気を引いてみることにした。

私の髪は入学式の時点では長いまんまで、春になったら三葉さんと同じ髪型にして通うんだと息巻いていた。でもよく考えると実際三葉さんのいる学校で同じ髪型というのはちょっと恥ずかしい。もしかしたら”三葉フリークです”というのを過度に主張している感じになって、三葉さんに迷惑がかかるかもしれない。それにあの髪型は綺麗な三葉さんがやるから効力が発揮されるわけで、私が真似しても所詮劣化コピーだ。なので劣化コピーでしかいられない自分がみじめに思って、別路線で行くことにした。少しでも三葉さんにかわいいといってもらえるようにしたくなったのだ。

まず髪の毛をロング目のボブにして、次にカラーを入れてみた。無難なウォームブラウンの7トーンとかで、結構抑えめにしたはずなのに結構糸守高校では目立つ感じになってしまった。すると気のせいか友達が増えてきた。中学が同じで、今まであまり話をしなかった子が話しかけてくるようになった。ショートカットで前髪を髪留めで止めていておでこがとってもかわいい皐月ちゃんと、ロングでおさげ髪がとっても綺麗な千歳ちゃんだ。いろいろオシャレに関して情報交換をしたり、一緒に名古屋まで服を買いに行ったりした。けどその二人とはなかなかコイバナで盛り上がることはできなかった。だって私は三葉さん一筋なので、それまで男のヒトは眼中になかったのだから無理もない。適当に話を合わせてはいたものの、いつも私の男のヒトについての好みとかに話題が移った時は都度かわしていたので、二人には変な顔をされたこともあった。

そんな大きな変化があった高校生活も夏休みが過ぎ、二学期になった。そこで私はある変化に気づいた。それはまだ短縮授業が終わったばかりの頃、門入橋の少し行った先の千歳、皐月との分かれ道のところで少し名残惜しくって立ち話をしていた。するとなんだか後ろから聞いたことのあるダミ声がした。勅使河原さんの声だ。
「三葉ぁ。お前帰ったら絶対おばあちゃんにお祓いしてもらえ。それ絶っ対狐憑きやぜ。」

「ほらほら、テッシー。何でもオカルトにしんの。三葉も困っとるでぇ。」

私は”三葉”という単語に反応し、その声の方向を見た。凝視するのは三葉さんに失礼なので、いつものようにチラ見をするつもりだった。
”チラッと、な。”

思わず二度見してしまった。

”何なん!?あれ〜っ?”
心のなかで絶叫した。まるで幼児向けの間違い探し本を見ているようだ。簡単にその”間違い”が列挙できてしまう。

・髪の毛が無造作ポニーテール
・気持ちガニ股に歩いている
・鞄を肘をつきだして背中越しに持っている
・リボンをしていない
・シャツのボタン外しすぎ
・スカート若干長い
・険しいしかめっ面
・少し聞こえてきた口調がなぜかとっぽい

二度見どころか、結局私たちのそばを三葉さんを含むその3人が通り過ぎるまでの間、私はその”間違い探し”に夢中になって、三葉さんをひたすらガン見してしまった。

「ちょっと、瑞穂。話聞いとる?」
皐月が私の異変に気付いた。

「何、”がーん”みたいな顔しとるん。今変やったよ?」
いつも少しだけ感受性の高い千歳が、より細かく指摘する。やっぱりそんな顔になってしまっていたか。少し後悔したけど、無理もない。狐憑きを見てキツネにつままれたような顔になるのは、ごく自然なことだ。

それにいつもは私の顔を見たら、にこやかに少しだけ会釈してくれるはずなのに、今日はしかめっ面のまんま、下唇を突き出して前髪を指でくるくるやりながら私のほんの1メートル横を通り過ぎて行った。

”何か私の知らないところで、得体のしれないことが起こっている。”

そう思った。

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 第一章 了

 

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