君の名は。アフター小説- 私の恋(第三章)

彗星のせいで恋の行方が変わっていきます。でも三葉は優しいおねえさんのままです。

第三章 − 彗星、そして −

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瀧くんはホントにアホだ。今朝スマフォに書かれていた日記には、

”瑞穂って女の子から手紙をもらった。開けずに机の中に入れておいたから読んで返事しておけば?それにしても女の子から手紙って、お前その気あったの?それとも俺のおかげかな?”

とかなりおバカな上に脳天気なコメントが書いてあった。私にその気もないし、あんたのおかげでそんな手紙をもらえるはずはない!かなり腹が立ったので手紙はそのままにして登校したら、サヤちんが少しよそよそしい。理由を聞いてみたら、
「三葉、やっぱり女の子が好きなん?」

と、少し眉をひそめて聞いてきた。

「なんでぇ?」
意味が分からずツッコむ。サヤちん、あんた何年私と一緒にいるんよ!

「いや、昨日手紙受け取った時に”かわいい”ってゆっとたに。」
あのオトコ。やらかしてくれたわ。

頭を抱えていると、テッシーが、
「どうするんや、三葉。あれ返事するんか?」
と、あまり気にしていないそぶりで実務的に尋ねてきた。

「う〜ん、まだ読んでない…。」

サヤちんが”意外”って感じで抗議する。
「三葉、だって瑞穂ちゃんって幼稚園から知っとる子やろ?なんか急用やったんかもわからんでぇ、早よ読んであげたほうがええんとちがう?」

「そうやね。今日読んでみるわ。」
今日だったら瀧くんへの怒りも十分押さえられて冷静に読めるだろう。

幸いにも女の子から手紙をもらったことは場所が場所だっただけに噂になったりはしていなかった。今の私はもういろいろな噂が噂を呼び、糸守の噂の女王状態だ。静かな私の生活を返してほしい。それもこれもあの瀧くんのせいで…。と、これではまた腹立たしさがぶり返してしまう。今日は穏やかに暮らさなければ。

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”前略 宮水三葉さま”

かなり今時のJKが使うには古めかしい印象をぬぐえないような出だしでその手紙は綴られていて、カワイイ便箋が2枚に手書きでこれまたカワイイ文字で書かれていた。中身は瑞穂ちゃんがお母さんの奉納舞を見てお母さんのファンになったけど、お母さんが亡くなって寂しかったこと。私が少しずつお母さんに似てきたこと。この前の四葉と二人での奉納舞に感動したこと、友達二人も私と友達になりたいと言っていること。そして最後に”もしよければLINEアカウントを教えてください”と書かれていた。

確かに手紙なんか回りくどいことをしなくても、今のご時世LINEとかメールとかほかに通信手段はあるはずなんだけど、私のアカウントは学校ではテッシーとサヤちんとユキちゃん先生ぐらいしか知らないはずなので、こんな丁寧な手紙になってしまったんだろう。瑞穂ちゃんぐらいの古い付き合いなのであれば、LINEのアカウントぐらいは教えておいてもよかったはずだと反省した。

私はあまりにも大げさな手紙の見掛けで身構えてしまったけど、なんのことはない、昔から知っている女の子にアカウントを教えるだけの話だった。瀧くんが瑞穂ちゃんに少し鼻の下を伸ばしている姿を想像していたけど、瑞穂ちゃんは純粋に昔からの私を見てくれて、それで勇気を振り絞って手紙を書いてくれたんだと思うと、少し嫉妬のような感情でこの手紙を読まなかったことを申し訳なく感じてしまった。

返事をするのに時間をかけるのも申し訳ないので、早速手紙に書かれていた瑞穂ちゃんのアカウントを友達に追加しておいた。そして手紙のお礼。お母さんのことを好きでいたくれたことに感謝し、アカウントは人に教えないでほしいというのと、できるだけ夕方からあまり夜遅くならない時間でお願いしたい旨を送信しておいた。

すぐに瑞穂ちゃんから
”三葉さんと繋がれてうれしいです。アカウント宝物にします!!”
と帰ってきた。

ひとつどうしても言っておかなければいけないことを思い出したので、
”あと一つ、くれぐれも私が学校でポニーテールだった日にはLINEを入れないようにしてください。”
としておいた。

”学校で話しかけてもいいですか?”

あれ?そんなに私話しかけずらい人だったんだっけ?
”いいですよ。でもとにかくポニーテールの時は避けてください。”

これで瀧くんの毒牙から瑞穂ちゃんを守れるはずだ。

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間もなくして彗星が落ちた。

三葉さんに手紙を渡して1週間も経たないうちの出来事だった。あの日私は宮水神社の秋祭りにいた。その日三葉さんは学校を休んでいたので、お祭りの準備かなんかで忙しいんだと思い込み、お祭りに行けば三葉さんに会えるんじゃないかと思ったのだ。千歳と皐月と一緒に浴衣を着て縁日でリンゴ飴を食べていたら、停電が起きた。変電所が爆発したので高校に避難するようにと防災無線がいつもの声で言っていた。

そこに髪を短くした三葉さんと勅使河原さんがやってきた。真剣な顔で高校に避難するように叫んでいた。半分ぐらいの人は避難を始めたけど、残りの人たちが避難しないのを見るや、彗星の光で浮かび上がった階段を駆け下りていった。私たち3人は突如現れた髪を切った三葉さんにあっけにとられ、気が動転していた。なぜ学校を休んでいたのに制服を着ているのか、なぜ祭りの主役のはずなのに全くそれとは違うことをしているのか。長い髪がばっさりと切られているのも私にとって最高にショックだった。三葉さんがいなくなった後も勅使河原さんが避難を呼びかけていたが、やがて防災無線が急に切り替わってその場で待機するように指示が変わった。

私たちはそのうち電気も復旧すると思って、神社の階段に座って彗星を見ていた。すると彗星が割れて、夜空に何条もの光の線がまき散らされたようになった。その明かりは徐々に明るさを増し、壮大なショーを見ているかのようだった。私たちはそっちにあっけにとられ、まるでさっき現れた三葉さんは幻であったかのようにさえ感じていた。

その直後に避難指示が出た。歩かずに走っていくようにというかなり緊急の指示だった。お年よりや歩けない人は消防団が用意した軽トラックに乗っていけという ことで、家の中にいる人がいないか探すところから、多くの消防団や職員の人がほうぼうで大声を出していた。ただならぬ雰囲気を感じ、私たちは慣れない下駄に悪戦苦闘しながら、ようやく高校の坂のところまで来た。そこには避難してきた人たちの車が渋滞しており、その間を縫って校門の手前までやってきたのだ。

その時点にまでなるとさすがに私たちもこれから何が起こるかを既に予想できていた。彗星の一つが私たちの頭上に大きく見えるほどになり、空が煌々と明るくなってきていたのだ。まもなくさっきまで私たちがいたはずの糸守湖の対岸で大きな閃光のようなものが空をひときわ明るく染め、まるで白昼のような明るさになった。直後に大きな地震が発生して私たちは立っていられなくなった。私たちが地面に這いつくばったところで、大音響とともにすさまじい砂嵐が吹き荒れた。あたりの物が風に舞い、渋滞した自動車も音が聞こえるほどぐらぐら揺れていた。自動車の陰になっていたので何が起こっているか一切わからないまま舞い上がった砂が晴れて、周りを見渡せるようになったところで湖のほうに炎の光が見えたので私たちは校庭のほうへ行ってみた。

そこには想像を絶する光景が広がっていたのだ。あそこにまだ私たちがいたらどうなっていたか。そう考えただけで膝が震え、立っていられなくなった。そしてしばらくしてからようやく自分たちの家族がどうなったかようやく気にすることができるようになったのだ。家族の消息を3人で探し出した私たちはまず照明も焚かれていない校庭をしばらくさまよっていたら皐月の家族が見つかり、皐月はおねえさんと抱き合いながら再会を涙ながらに喜んでいた。続いて学校の中に対策本部ができたころには体育館のほうに千歳の家族がいることがわかり、千歳も家族が無事なことがわかり安堵したのだろう、その知らせを受けたとたん、家族に会う前から号泣していた。電気もない暗い中で私しか知った人がいないというのはさぞかし心細かったんだろう。

当の私が学校の坂のところにうちの車があるのに気づいたのは、それから1時間も経った頃だ。車の中にはおばあちゃん、お父さんとお母さん、それと神社で別れた弟が無事でいてくれた。私が戻って家族全員がそろったということで、お父さんにきつく抱きしめられたときには私もおもわず大声で泣いてしまった。

翌朝、自衛隊のヘリが負傷者を乗せて飛び立つのを車の中から眺めていた。カーナビのテレビではその光景を実況中継していて、負傷者は出たもののまだ死者はでていないことを報じていた。学校に備蓄してあったカンパンとスープを飲みながら、私はそれは三葉さんのおかげだということを確信した。

やっぱりあの人は普通の人ではなかった。

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私たちは高校の体育館での避難生活で1週間程度、それ以降はH市の公民館や市民体育館などを転々としたが、三葉さんのお父さんや町職員の人たちの尽力で徐々に生活は改善していった。しかし家や財産、仕事を失った人達のダメージは大きく、親せきを頼って遠い所へ引っ越す人が徐々に多くなった。唯一高校生の子供を持つ世帯が高校の編入の事情でH市内に残った。そして私たちはH市の市街に近い高校と糸守に近い高校の2校に分かれて編入することになった。

千歳と皐月はお父さんの新たな仕事の都合で市街の県営住宅を改造した仮設住宅に移って、市街の高校に通うことになった。私は糸守から約10kmのところにある郊外の高校に移った。お父さんは糸守での刈入れは済んでいたのでいたので、来年は復興事業の農地貸与の支援を受けて、H市郊外に田んぼを得ることができたそうだ。住まいは仮設住宅だけど、次の年には復興住宅も完成しそこに生活の拠点を据えることになると言っていた。

三葉さんのおうちは町長であるお父さんが彗星の直前の避難指示に対してマスコミが大騒ぎをしてさらに有名人扱いされるようになった。三葉さんや四葉ちゃんにも避難所でもマスコミが取材をしたりしていて、さも居心地が悪そうだった。三葉さんを彗星被害から3日ぐらい経ってから高校の体育館で見かけたときには顔、手、足いろいろなところに包帯やバンソウコウを貼っていた。神社で最後に見たときはそんな怪我はなかったので、彗星のときに何か大変なけがをしたんだろうか。

でも私はそれからしばらくして体育館のドアにもたれて暗く沈んだ顔をして自分の手のひらをじっと見つめたままの寂しそうな三葉さんを見て、どうしても声をかけられなかった。美しかった長い髪はもうなく、ところどころ怪我をしている上に、その表情は深く悲しい顔をしていて、以前の輝いていた三葉さんの面影は影を潜めていた。私の目には三葉さんがまさに身も心も満身創痍であるかのように映ったのだ。

私は、三葉さんが沈んでいるように見える理由が単に町が無くなってしまったとか、神社が無くなってしまったとか、そういった一般的なものではないような気がしていた。私がそう思った理由自体もあまりわからない。でもそう感じられるような、絶対的な運命にどう抗うのかを考えているような雰囲気に見えたのだ 。三葉さんはその後お父さんが任期を延長して災害対策にかかわっているという都合から、私と同じ郊外の仮設住宅で暮らしていた。高校も同じだったが、学年も違い、その高校は糸守高校よりも規模が大きかったのもあって顔を合わせる機会も少なかったので本人に確かめるすべもなく、ただ時だけが過ぎていった。

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それからちょうど彗星から1年ほど経った頃まで、私は三葉さんを校内や登下校で見かけてもどうしても声をかけられずにいた。それでも卒業までに一度だけでも三葉さんとどうしても話しておきたくて、まだLINEアカウントがブロックされていないのを確認してから、意を決して三葉さんにLINEを入れてみた。

「お久しぶりです。瑞穂です。去年の今頃は宮水神社の豊穣祭があったことを思い出してお話ししたくなりました。お元気ですか?」
文章はできるだけ月並みにしたつもりだけど、いきなり1年前のお祭りのことって、なんか変かな?と不安な一面もあったが意を決しての文章だった。

案の定すぐに既読もつかず、このままスルーされてしまうかもと恐れていたが、次の日。夜遅くに三葉さんがら返信があった。

「瑞穂ちゃん、久しぶりのLINEですね。豊穣祭、私にとっても懐かしいです。でももう私は巫女でもなんでもありません。普通に学生生活を暮らしています。でも豊穣祭のことを瑞穂ちゃんが知らせてくれたので、私もお母さんのことを少し思い出しました。ありがとう。」

しっかり文面を返してくれたのと二葉さんの話題を共有できたありがたさから、私は少し泣いてしまった。三葉さんの返信に対して私は特に気の利いたことは言えそうになかった。なので、
「これからもLINEしてもいいですか?」
とだけ打った。

「いいですよ。」
これでまた三葉さんとつながりが持てる。私は胸が熱くなってスマフォを胸に抱きしめた。

その後、三葉さんの進路のことを教えてもらったり、何度かLINEもやったし学校でも話しかけた。三葉さんから話しかけてくれることはさすがになかったけど、私が話しかけても特に嫌な顔をせずに、
「瑞穂ちゃん、久しぶりやさぁ。元気そやね。」
と笑顔で返してくれた時も、少し感動してまた泣きそうになった。普段の物憂げな雰囲気を微力ながら私が崩すことができたようなささやかな達成感がそうさせたのだ。

それからは1〜2か月に1回、LINEかリアルかいずれかで三葉さんと会話することができた。三葉さんの受験勉強を応援したり、三葉さんの卒業式には小さかったけど花束を渡せた。春からは東京の大学に通うと言っていたので、都会に染まって私なんか口がきけなくなるのか心配していたけど、桜の季節になったら三葉さんから桜の花が咲いたと知らせるLINEが入った。私は狂喜乱舞した。うれしくてうれしくて久しぶりに千歳と皐月に連絡したぐらいだった。

私はどうしても三葉さんと同じ東京の大学に行きたくなって、猛勉強を始めた。当初そんな学費はないと首を縦に振らなかった両親も、私の生きたい大学に三葉さんが行っていると聞くと、”そこだったらええ”と言ってくれた。さすが我が家における宮水家の影響は未だ根強く残っていると痛感した。そして10月になって、三葉さんの大学のオープンキャンパスに行くことにした。それを三葉さんに知らせたところ、なんと、
「そんなら、うちに泊まっていきない。」
とLINEで帰ってきた。私はそれを見て卒倒しそうになった。”あの三葉さんの部屋に泊まれる!一緒に寝れるなんて!”

一応、厚かましいヤツと思われるのは嫌なので、
「そんな、ご迷惑では?」
と返したところ、

「何回か四葉が来とるから大丈夫やよ。」

”え〜っ!私って四葉ちゃんの寝た布団に寝れるん?”
もう妄想が止まらなくなってしまった。結局三葉さんの部屋に金曜日から2泊して、土曜に浦安の例の夢の国にいって、日曜日にオープンキャンパスに三葉さんも同行してくれることになった。

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金曜日は学校が終わってから特急に飛び乗ったので、東京に着いたのは夜の9時を回っていた。三葉さんはご飯も食べずに東京駅で待っていてくれた。久しぶりに会った三葉さんはパステルカラーのワンピースを身にまとい、髪は少し伸びていていつもの組紐を耳の後ろに回していた。三葉さんが東京に行って派手になってしまったらと心配していたけど、そうでもなくって安心した。二人で東京駅の地下で晩御飯を食べ、少しお話した。あんなにたくさん三葉さんと話したのは初めてで、私は緊張もあってほとんど三葉さんの顔を見れなかったのを覚えている。

その後、三葉さんの部屋へ着いたのは深夜だった。もう時間も遅いということで早々にシャワーを浴びて(もちろん別々だけど)いよいよ就寝。四葉ちゃんが使ったであろうお布団と枕。当然シーツや枕カバーは洗濯してしてあったけど、私は三葉さんのベッドの横で興奮してなかなか寝られなかった。

翌日は夢の国に三葉さんと行くという、もうまさに”夢”のような一日だった。

その日、園内のカフェレストランでランチを食べているときに、三葉さんはこの夢の国に来るのは2回目だと言っていたので、気になったところを聞いてみた。
「三葉さん、この前来たのってどなたと来たんですか?」

「四葉やよ。あの子何回か来とるんやけど、1回だけは行っときたいって言ってねぇ、私もついてきたんやよ。」

「そうなんですかぁ、私てっきりカレシと来たとか考えちゃいましたぁ。」
と、いきなり探りを入れてみたのだ。

「ははは、カレシとかそんなんおらんよ。」
三葉さんは少しにこやかだけど、少しその声はトーンが低めで、あまり好ましくない質問のようなそぶりだ。でも嘘をついている感じはない。

「でも、三葉さんぐらい綺麗だと、言い寄られたりするんじゃないですか?」
そうそう、東京は危ない場所なんだ。勝手に想像してみた。

「声かけてきてもみんなサークル勧誘とかぐらいやよ。それに…。」
三葉さんの顔がちょっと曇った。糸守で彗星後によく見た顔で、テーブルに置いた手のひらをじーっとみている。

「それに?」
私は地雷を踏んでしまったかもしれない。三葉さんを昔に戻してしまうなんてなんて罪深い。

「ああ、私もあんまりわからんのよ。ごめんね、瑞穂ちゃん。」 やはりあれは最も聞いてはいけないことだったのかもしれないし、この言葉の意味するのは、確固たるここからはダメということだ。親しくなれたと思い上がりすぎて、失礼な領域まで踏み込んでしまった。

”失敗した。”

もしかしたら三葉さんはかなわぬ恋をしているのかもしれない。直観的にそう感じた。どう叶わないのかは想像したくはなかったが、三葉さんのその表情を見る限り、両想いである可能性もありそうだった。とにかく純粋に片想いしている乙女の表情ではなく、何かしらの困難を伴って恋をしているのは確実だ。

こんなことがあったので午後は三葉さんにあんまり話しかけられなかった上に、心からは楽しめなかった。私が招いた失敗なので自業自得なのはしょうがないとして、つまらない思いを三葉さんにまでさせてしまったことを心から悔いていた。けど私はそれにちょっとしょげすぎていたかもしれない。三葉さんにかえって気を遣わせてしまったようだ。帰りの京葉線の中から観覧車を見ながら糸守とは全然違うカタワレ時の湾岸の景色を目を細めながら見ていた三葉さんを見て、さらに反省を深めた。

三葉さんのアパートの最寄り駅にそろそろ到着しようかというところで、三葉さんが急に、
「瑞穂ちゃん、お料理得意なん?」
と聞いてきた。私は何のことかわからないまんま、
「うちに中華鍋があって、それで炒め物すると家族がすごく喜んでくれます!」
と、家族に唯一褒められるポイントを思い出して答えた。

すると、三葉さんはきょとんとした顔をして、いきなり笑い出した。
「あはははは、そうなんや、その中華鍋って大きいヤツ?」
興味津々で乗ってきてくれた。中華鍋はずいぶん昔にお父さんが中華料理屋さんが廃業した時にもらってきたやつをそのまんま台所に置いていて、普段からお母さんが邪魔だと言っていたので、一度使ってみたらどうなのかと思って野菜炒めを作ってみたところ、家族に持ったよりも評判が良かったというものだ。

中学の時は軟式テニス部だったので、スナップを利かせて強火にしたコンロの上で煽っていたらずいぶんと香ばしくなおかつしゃきっとした野菜炒めができただけの話だ。なので、
「中華鍋っていっても、そんなに大きいやつじゃないです。でも煽りがうまいって言われました。」

「そうか〜、じゃあ中華鍋買って瑞穂ちゃんの炒め物をごちそうになろうかな?」

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 第三章 了

 

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