ディープな新海さんファンやアニメファンの皆さんの賛否

私のようなアラフィフ直前にアニメにハマったアニメにわかは本作の内容に一方的に歓喜し,称えるしか能がありませんが,やはりしっかりと若いころから継続的にアニメ産業を愛で,育て,支えてきたファンの皆さんの中には本作に否定的な方もいるようです.決して多数派ではないですが,少数派と言えるほどではありませんので,その背景なんかについて今回考えてみたいと思います.

<エンディングについて>

新海作品に愛着を持っていらっしゃる方の多くは,作品としての”秒速5センチメートル”とそれ以前の計3作品をとても大事に考えているように思います.そのような方の多くは貴樹と明里の最後のシーンのような,あるいは決して誰もがハッピーエンドとは思えない,何か考えさせられるようなエンディングを求めてしまうのは当然だと思います.

しかし,同じエンディングということでいえば,言の葉の庭はほとんどの人がハッピーエンドと取れるような終わり方ですが,そこに関してはあまり賛否を聞いたことがありません.それは秋月君はまだ高校生,雪野先生は帰郷ということでお互いその後が容易に想像できる立場でなかったからだと思います.そこには見る側の想像によってどのようにでもなる自由度があったので,人によっては関係は続くけれどもお互いの気持ちを素直に表せないまま歳を重ねてしまうアフターストーリーもあり得たわけです.

それに比べて本作では,もう確実に二人がどうなるか想像できてしまう.見る側の想像力で補完されることに意義があった過去作品に対し,ほとんどその余地がない本作.そこはある意味ディープなファンは耐えられない部分と捉える人もいたのかな?と思います.

ただ,新海さん本人がこのようなエンディングも許容できるようになったのは,ご自身の生活の変化にも影響を受けているかもしれないと思います.やはり一番大きな変化はご家族の存在ではないかと思います.まず結婚するということは,相手とめぐり合いお互いが結婚したいと思うことが必要です.まず,それには偶然の出会い,様々なきっかけが必要です.自分たちが意図していない部分も縁とか運命とかいう言葉にしてしまうと簡単になってしまいますが,簡単には言い表せない何かがあってめぐり合うのです.それに加えてお子さんが生まれるということ.私もそうでしたが,今まではすでにあった家族すなわち自分の親と兄弟が家族であったのに,ここからは自分が作っていく家族という大きな変化が形になる瞬間です.この変化は”与えられたもの”から”創り上げるもの”への変化であり,その心情の変化が作品のストーリーに影響しないわけはないと思うのです.

そうやって考えると,例えば貴樹と明里は”与えられた”環境の中でもがいて,それでもお互いの気持ちを理解したり,表現したりという点では特に何もできず,あのようなエンディングとなったのに対し,秋月君と雪野先生は与えられた環境に甘んじず,殻を破って自分を表現することであのエンディングに至りました.本作ではそれに輪をかけて,入れ替わりの時期を経て与えられた環境や運命を変えるための強い意識下での様々な努力の末に,お互いを無意識化で探し求める苦しい時を経てあのようなエンディングになったのです.

これはまさに新海作品の変遷の中で,与えられた運命を受け入れるだけではなく,自ら人生を創成していく形に主人公たちが変えられていったということを意味すると思います.そのような創り手としての新海さんの心理変化なんかも考慮しながら歴代の作品を見直すと,結構自分の大事な人とめぐり合った瞬間,家族を持った瞬間などいろいろ思い起こすことが出来たりして,私は懐かしい気持ち,あるいは愛おしい気持ちになったり出来たりするのです.

ちなみに蛇足になりますが,秒速5センチメートルでも,自分の気持ちに関してちゃんと努力した人のことがコミック版では描かれています.コスモナウトで登場した花苗です.はっきりした結末はあえて書かれていませんが,少なくとも花苗の気持ちが誰かに届くようなそんな期待の持てる内容になっています.確かに”秒速”の中では唯一花苗は一途で純粋ではかなくも強い思いを貫き通しました.コミック版のストーリーにどの程度新海さんの思惑が投影されているか定かではありませんが,映画をブルーレイで見終わって,せめて花苗には何かしらのご褒美があってもいいのにななんて思っていたので,コミック版を読んである意味ほっとしたものです.

<エンターテインメント性>

新海さんがインタビューなどで本作はエンターテインメントと言うことを意識して作り上げたということを何度かおっしゃっています.ここも本作をもろ手を挙げて歓迎できないファンの方には引っかかるところかもしれません.今までの新海作品と言えば,新海さんが作りたい,表現したいものを作るというのが一義でした.それらは決してエンターテインメント性を追い求めたものではなく,アニメの表現の自由さ,自らの技術の高さ,それに視聴する側に深く印象に残るストーリーなど様々であり,それがうまく融合して出来上がってきたと思います.その絶妙なバランスに”エンターテインメント性”が入ってきたら,それらの何かを犠牲にしなければいけなくなるのではと危惧してしまう人も自然に多くなってくると思います.確かに本作では言の葉の庭よりも高い技術を発揮しきれていない点などを指摘する方々もおられます.

そのような方々は新海さんがエンターテインメントを意識して創作することをふさわしくないと考えることもあるのでしょう.しかし私は本作のエンターテインメント性のために新海さんのほかの面がスポイルされたような点はあまり感じませんでした.逆に絶妙なバランスが取れたおかげで新たな新海ワールドが開けたような気がして,さらに今後の作品に期待を寄せてしまうのです.そうなるとむしろあんまり大きく期待しすぎて新海さんのプレッシャーにならないように気を付けたいところではありますが.

<メジャーになってしまう危惧>

歴史を紐解くと,名だたる画家,作家,音楽家などの中には若くしてメジャーになり生活が楽になったところで創作意欲が低下して,大した作品が残せなくなってしまったり,かえって評判を落としたりしてしまう人が少なくありません.現在においても作家,漫画家,映画監督などにもそのような方がいないわけではありません.それは生活面での満足による創作意欲の低下のみならず,次回作の期待があまりにも大きくつぶれてしまうケースや,自分一人で作業できなくなって,その分自分が発揮できなくなってしまうケースなど自分だけではどうしようもない様々な原因があったりします.事実宮崎駿さんは,大作が評価されればされるほど”もうやめたい”とおっしゃっていたのにもかかわらず,すぐれた作品を生み出し続けたようですし,それほどまでに至高の良作を世に生み出した人特有の厳しい立場というのを感じてなりません.

確かにそういった意味では本作の影響は非常に大きく,今後の新海さんの仕事の仕方がガラッと変わってしまうトリガになることは確実です.私も実は興行収入が200億円を超えたところあたりから,千と千尋を抜いてトップに躍り出てほしい気持ちもありつつ,250億ぐらいで止めておいて,次回作で1位を狙うぐらいのモチベーションを残せるほうがいいかもとか勝手ながら気持ちが揺れています.

勿論,本作のスタッフもすでにもう十分すぎる経歴や実力を持った人で固められています.安藤さんや安藤さんを引っ張った元ジブリの方々,新海作品のカラーを変えるほどの影響があった川村さん,クロスロード,本作と連続で連携した田中将賀さんや,新海作品の中で技術を究極なまでに高めた美術の丹治さんなどのそうそうたる皆さんがおられます.

なので,よっぽど変なKY的な外力がなければ,次回作も相当期待できると思ってしまわざるを得ません.映画会社さんなどはちゃんとこの点わきまえて決して興行収入だけにとらわれず良い作品を創出することをサポートしていただきたいなと思います.個人的には次回作の興行収入は10億ぐらいでも全然かまいませんので.

ちなみに次回作での最も大きな私の期待しているポイントがあります.今回のユキちゃん先生みたいにほんの一瞬でいいので,たきみつが登場するといいななんて思うのです.糸守のような田舎でカフェをやっているとかが最右翼ですが,もしかしたら舞台は日本じゃないかもしれませんし,現代でもないかもなのでどうなることやら.

ということで,ひとまず私の思いつく限りのものを挙げてみましたが,いろんな方がいらっしゃるのも事実なので,これがすべてではないとは思います.あくまでも私の個人的な考えや推論ですので,もし違う考えで本作に違和感を感じている方がいらっしゃったとしても何卒ご了承いただきたいと思います.

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