サヤちんと311の投影

そろそろ311が近づいてきました.本作はやっぱり新海さんもおっしゃっているように311をメタファーとした部分も多いと思います.まず彗星は1200年周期.予想できるけどどこに落ちるかまではわからない=確率が低いということになります.津波は地震があれば起きる可能性が発生し,予測は可能.1200年とかではなく実際東日本では約70年ぶりに大きな災害となったということになります.ここで70年というタイムラグについて考えます.

例えば,津波の被災時の生き残りで,当時子供だった人がいたとしましょう.最低でもその人が,地震の後どのような判断がなされ,どのように避難が進み,そしてどれほどの人が助かったか,または亡くなったか,どのような地域で被害が大きかったか,どうすればもっと多くの人が助かったか?を正しく記憶できるような年齢になったとしましょう.恐らくそれは最低でも10歳ぐらいでしょうか?するとその人が次の津波に遭遇するのが約70年後として80歳ということになります.

たとえば,もし何の前情報もなく,その80歳の方が地震の後に津波が来るから高台に逃げろと一人叫んだとしていて,何割の人がそれに従うでしょうか?津波の事を知らない多くの人たちは年寄りがまた大げさなことを言っているといって聞く耳を持たないでしょう.それと同じく,例えば伊勢神宮の式年遷宮が20年ごとというのは人から人へ技能が渡るのに要する期間とシンクロしており,見事に技能伝承とお社の維持管理のサイクルを両立していると思います.それは技能伝承のサイクルにイベントを合わせこめたからこそ成立しているのだと思うのです.

一方で,これが自然災害の場合はそのサイクルを選ぶことはできないので,伝承は自然に劣化していきます.なのでそれの歯止めとして地方自治体が主体となってハザードマップを作ったり,避難計画,災害に強いまちづくりをしたりしています.そして,その避難計画に基づき防災無線があるわけです.なのに本作においてその防災無線の指示にすぐに反応した人とそうでない人がいるという描写がなされていました.これは防災無線が万能ではないということを表したかったのだと思います.311でも防災無線でも避難を呼びかけ,消防団も決死で車を走らせてできるだけ広範囲の人を助けようとサイレンを鳴らし,走り回りました.しかし逃げなかった人がいたし,それを後になって責める人がいたりしました.でも逃げない人がいるのは仕方がないことなんだと,この防災無線のシーンは私たちに訴えかけているのかも知れません.

<サヤちんの役割>

ここでようやくサヤちんが登場します.サヤちんの本作での重要な役割としては三葉の親友であり理解者であるということと同時に,防災無線のアナウンスをやったということになります.ここで思い出すのは311での南三陸町の防災無線のエピソードです.さやちんの心情は本当に彗星が落ちてくるんだろうか,三葉の言っていることは本当なんだろうかと思いつつ,それでも三葉やテッシーへの友情と,もしその友情が本当であった場合の町の人を救いたいという気持ちで奮い立ち,ジャックした電波で放送を繰り返したのだと思います.311の防災無線もはじめは本当に津波なんか来るのか?と疑いの気持ちをもちながら放送した人もいるのかもしれません.本作のサヤちんは複雑な思いがありながらも,不確実な情報の中で人を救おうとする心の尊さを感じさせるエピソードであり,サヤちんが涙を浮かべながらそれでも泣きそうな声にならないように頑張って,最大限“伝える”ことを健気にも一人ぼっちの放送室でやっているという姿がさらにその思いを加速させます.

アナウンスの声については悠木さんの演技力に負うところも大きいでしょう.ちなみに実は私がサヤちんの演技で一番好きなのは,防災無線とは関係ないところなんですが,部室の中での”なんでよ”のところ.あと,直前のスプーンの上のイチゴの動き.もうここだけでもサヤちん大好きになってしまいます.この部室の中で最初は否定的だったのに,三葉,テッシーとの友情のためには一肌脱ぐように結果的には変わっていく心情の移り変わりが絶妙です.実際,放送室でもサヤちんは信じ切ってはいないような気がします.放送室から連れ出され,最後の最後で実際彗星が割れたのを目で見て,初めて三葉の言った事が真実だと悟り,先生たちを説得するような気持にまでなったのかと思います.決して主人公ではないけど,キーパーソンのそんな気持ちの変化をしっかりと時系列で感じ取れるようになっているのが本作の特徴でもあるんですね.

<隕石衝突後の大火>

311の本作における投影ということではもう一つ,隕石の直後の湖面での大火災が印象的です.恐らくあのショットは311の気仙沼の大火をモチーフにしていると思います.それ以前にも奥尻島の津波でも火災があり,当時は津波でなぜ火災が?と疑問に思ったものですが,津波の威力を物語るに十分な付帯災害だと思います.よく考えれば,人が生活しているところに急に大きなエネルギーが直接襲ったわけで,特に冬場の暖房がついていたり,食事の準備をしている家庭が多ければ必然的に火災は起きやすくなるはず.糸守も時間帯としては少し遅い夕餉時であったわけで,津波そのものではないですが大地震+津波かそれ以上のエネルギーで完膚なきまでに破壊されれば,あのような惨状になってもおかしくないと思います.

それで私が何が言いたいかですが,本作では311の記憶をメタファーとすることでより観客にリアル感を持たせるという役割を果たしていると思うのです.そして,その先には何度か述べていますが,伝承や記録,記憶を大事にしてそれを未来に活かそうということなんだと思います.単に災害とか大きな出来事でなくても,人間は過去から学べる生き物です.人生を少しでも良くするためにしっかり人とつながっていることも重要なのだと,それが現代の人々にも必要なムスビでもあるのだと強く感じます.

<2017.3.12追記>

311の某局番組7年目の真実で新海さんがインタビューを受けたり,被災地域を訪れてたりと本作と震災被害のことについてお話しされていました.私は2011年に新海さんが被災地(名取市閖上:ゆりあげ)を訪れていたという映像を見たことがなかったので知りませんでしたが,その番組を見てその訪れた被災地がサヤちんの名字になっているというのを確信しました.サヤちんはテッシーとともに言の葉の庭の小説のほうではちゃんとフルネームが出ていませんでした.本作で初めてフルネームが用意されたことになり,以前からそうではないかなと思ってはいたものの,番組の中とかで新海さんが明言していたわけではありませんが,やっぱりということでちょっと感動してしまいました.

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