自作人生序章

パソコンと私のお付き合いは実はあまり深くありません.中坊の頃親父が8ビット機を買って,仕事に使おうとしていたのを横目に見ながら,BASICを雑誌を見つつ打ち込んだりしてゲームを作った程度でした.その8ビット機と言うのはHITACHI(?)のMulti8というやつだったと思います.多分当時まだうら若い林葉直子(爆)が広告に出ていたと思います.ははは...

その後高校時代なんかは友人が9801Fを買ったと言って大騒ぎしているのをまたまた横目で見ていたり,そんな感じでしたし,大学では4回生になって初めて研究室においてある8801で松を使って報告書を作ったり,卒論を書くのにギリギリ納入された9801VMで一太郎Ver3を使ったぐらいでした.勿論HDDなぞ無く,5インチフロッピーを出し入れして立ち上げたりしたのを覚えてます.

一太郎Ver.3を使った時はこんなに便利なワープロ見たこと無い!と驚いたものです.

さて,会社に入って環境は一変するかと思いきや,そうではありませんでした.なんせワープロ専用機が数台あるだけでPCはエンジニアが現場で使うようなものばかり.図面はドラフターだし,文書は手書きでした.そんな中,ある怖い上司からCADを選定しろと言われました.さてこれは一大事,ハードウェアのことは知らないし,ましてCADの業界がどんなになっているかなんてわかりません.さっそくリサーチしました.

当時CADといえばWSで,その場だけのLANを組んでプロッタをつけるというのが一般的な構成でした.バックアップメディアはやはりテープ.大学時代リクルート活動していた時に,ある企業の設計室を見学しました.そこにはCADAMがあり,ガラスの向こうにはA0も打てるような静電プロッタが置いてありました.その時の台数は忘れましたが10台程度で7-8千万と言っていました.業界大手のCADベンダーに試しに見積もりをとると,3台とプロッタにLANを組んでテープバックアップを入れて,4千万でした.うーむ...貧乏性の私はその当時バブル華やかなりし頃ではありましたが,その見積もりを握り締め,これではいかんと格安CADの捜索に乗り出しました.丁度その頃,NECがH98というグラフィック強化した98を出すとの情報が入りました.また2-3のパソコンCADも見つかりました.当時JW-CADの存在も知っていたのですが,Niftyserveにどのように入ればいいのかも,どのようにダウンロードすれば良いのかも分かりません.JW-CADは当初H98に対応しなかったこともあり,結局除外しました.

その時に導入したハードウェアがH98model70というもので386(DXでもSXでもない)の33MHz.グラフィックバスにNESAバスというNECオリジナルを採用し,ずば抜けた性能を誇っていました.HDDの100MB付いていたモデルでその当時のHDDの標準的な容量と言えば40MBの時代です.描画性能も一台700万するWSに負けてませんでした.その定価は138万で,当時のPCの値段からはかけ離れたものでありましたがWSの導入に比べれば十分にコストパフォーマンスを評価できるものでした.で,当時は喜び勇んでそのH98とPC用CADを導入し,シリアル切り替え機なんかを入れてプロッタを共有したりしてなんとか導入にこぎつけたのです.比較的身近な98の環境でCADができるということで当時は結構稼働率も高く,見る見る台数も増えていったのでした.

ところが!これが2年後には同等以上の機能を果たすPCを購入するのに60万かからないようになってしまったのです.EPSONのPC-486GRなどが出てきて,標準でNESAバスでしかサポートしていなかった高解像度表示を載せてしまったのです.当然そのPC用CADもその上でシャカシャカ動きました.愕然としましたがこの時私の中でPCの法則成立していきました.

それは"2年で半額以下の法則"です.

この法則は今現在でも大体的を得ていると思います.ただし細かい話をいえば昨今では出来合いのPCのスペックレンジが相当狭まっていて,2年前と同じ性能のものを市場に探すことは困難になってきています.パーツについてもそうで,現在に当てはめるならば"1年で(1/2)^0.5倍の法則"とでも言いましょうか.たとえば99年3月現在SDRAMは128MBのCL=2が20000円前後ですが一年前にはそれは28000円ぐらいでした.特に売れ線である限定された商品を除いてはこのような法則が当てはまるのではないかと今でも考えております.

話は脱線しましたが,そのような経緯の後,そろそろ自宅にもPCが欲しくなってきました.その頃は会社でniftyに入ったばかりで昼休みなどに時間を裂いてBBSの個人売買などを閲覧していました.自作PCそのものはまだ個人売買に出てきませんでしたが,当時ショップブランドPCの黎明期で,その売ります件名がたまに出てきました.余談になりますがショップブランドの黎明期とはいえ,例の教団のPCも売りに出てまして,私はその頃知らなかったものですから,"○○○ーシャ売ります"の掲示に対し"売ってください"のメールを出してしまったこともありました.その時は先約が居たらしく,危うく教団のPCを中古なりとも買ってしまうところでした.

そうこうしているうちにある方とコンタクトが取れ,売ってもらうことになりました.DX2-66MHz,8MB,250MBHDD,VGAはCL-GD5426,CD-ROMなし,SOUNDなし,ATミニタワーの構成で,12万円.当時DX2はx86CPUのうち最速で,秋葉でも7万円程度で売られていたと思います.当時のDELLコンピュータのほぼ同じ仕様が23万程しましたのでかなりお買い得と言えるでしょう.

さて送られてきた品物を見るとAXUMコンピュータのステッカーが貼ってあります.この店は末広町のあたりにあったらしいのですが今は無くなっています.それは良いとして,私が確認しなかったのが悪かったのですが,メインボード上にある8MBのRAMは30pinのSIMMで1MBx8の構成になっています.8ヶあるメモリソケットはすべて埋まっていてこれ以上の増設をするにはこの8MBを捨てなければなりません.当時はWin3.1が全盛でしたので,8MBで十分であったのですが,将来を考えるとこれは頂けません(1MBの30pinは当時1ヶ10000円でした).またVGAも私が早合点してCL-GD5426はVLバス(当時PCIはまだ有りませんでした)ならば十分早いと思い込んでいたのですが,それは5428の話で,5428が32bitチップであるのに対し,5426は16bitチップだったのです.案の定ベンチマークを取るとその当時の一番遅いショップブランドPCより遅い...このような不手際が私を一層自作PCの世界に引き込んだのだと思って止みません.

一方モニタはPCでCADがやりたいということで17インチにこだわりました.幸いCTX-CPS1760というのが45000円で手に入りました.CTXというのはもう潰れてしまいましたが"5つのNo"とかスローガンを掲げて,商品の説明や,商品の展示などを一切行わないで安くすることで有名であったステップというディスカウント電器店が通信販売で扱っていた商品でした.

このモニタは意外に当たりでした.外観はちょっと使い込まれていたものの,表示は1280x1024においてもにじみが少なく,CADなどに十分使えたからです.そんなこんなで自宅にPCを初めて入れたのですが,当初は仕事に使うこともなく,たまにゲームをやるぐらいで,妻にも責められたもんでした.

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